第三十一話 美学 vs 市場
本日17時も投稿します。
決戦の日。
王都中央広場に設営された特設ランウェイは、かつてないほどの熱気に包まれていた。
『メゾン・ミミ』対『ローゼンバーグ公爵家』。
審査員は、この場に集まった王都の女性たち全員……というのは建前で、実はもう一人VIP席に特別な審査員が鎮座している。
「……おい、リリアナ。なぜ俺が布切れの鑑賞会なぞに参加せねばならんのだ?」
最前列の貴賓席で、殿下がこめかみに青筋を浮かべている。
「諦めてください、殿下。イザベラ様が『殿下が来ないのなら、明日の新聞に『王太子、公爵令嬢に熱烈なプロポーズ! 挙式は来月!』という既成事実を流しますわ』と」
「……待て。それは脅迫というより、テロではないか!」
殿下は深いため息をつき、腕を組んで不機嫌オーラを撒き散らす。
だが、その存在だけでイベントの格が数段上がっているのだから、やはり王族のカリスマ性は利用価値が高い。
しばらくすると、軽快な音楽と共にアナウンスの声が響き渡る。
「さあ、まずは挑戦者! 庶民の味方、ミミ・フォン・バロンの登場です!」
ステージに現れたミミは、淡いピンクのフリル、ふんわりとしたスカート、そして可愛らしいリボンをあしらったドレスを纏っている。
さらにその後ろには、同じ服を着た50人の一般女性のモデルたちも続く。
「とっても可愛いわね!」
「あの服なら私でも着られそう!」
「みんなとお揃いにできるわ!」
会場の女性たちから歓声が上がる。
ミミは涙ぐみながら手を振り、その姿がさらに同情票を集める。
その光景を見た殿下が、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「ふん、量産型か。まあ悪くはないが、退屈だな。まるで兵士の軍服を見ているようだ」
さすが殿下、辛辣だ。
舞台袖でライラスが私に耳打ちする。
「見なさい、リリアナ補佐官。殿下がどう思おうと関係ありません。これが『共感』の力。高慢な公爵令嬢よりも、健気に頑張るミミさんが応援される。これはすでに勝負ありですね」
確かに、会場の空気はミミ一色。
私は手元の懐中時計を見て、静かに答える。
「共感ですか。ですが、ライラス殿。貴殿は一つ勘違いをしています」
「勘違い?」
「ええ、大衆が最後に愛するのは『同情できる隣人』ではなく、『手の届かない憧れ』です」
その瞬間、照明が落ちる。
カツン、カツン、カツン。
暗闇の中からヒールの音だけが響き渡ると、パッとスポットライトが一点を照らす。
「お待たせして申し訳ありませんわ」
ランウェイに立つのは、イザベラ・フォン・ローゼンバーグ様である。
イザベラ様が纏っていたのは、誰もが予想した『極彩色のドレス』や、『真紅の薔薇のドレス』ではなかった。
深い、夜の海のような濃紺。過剰な装飾を削ぎ落とし、最高級のベルベットの光沢と、計算し尽くされたカッティングだけで魅せる、ストイックなドレスだった。
(イザベラ様、コンテストというのに、とても地味ですが、シンプルな装いも素敵ですよ)
私は内心で評価しながら、客席のざわめきに耳を澄ませる。
「あれ? いつもの派手なドレスじゃないわよ?」
「すごく地味じゃない?」
「喪服みたいにも見えるね……」
「あれならメゾン・ミミの方が可愛いわ」
客席がひそひそと波打つ。
確かにいつもの孔雀の羽根も、不死鳥めいた装飾も纏っていない。色味を抑えたドレスは線の美しさだけで勝負する潔さがある。
だが、それが分かる者は少数だ。
殿下もまた、「ほう? イザベラにしては殊勝な心がけだな」と、興味深そうに身を乗り出す。
そしてイザベラ様がランウェイの中央、最も強い陽光が差し込む場所に立った、その瞬間だ。
「刮目なさい! これが本物の美よ!」
バサァッ!
背中のトレーンが膨れ上がる。
幾重にも重なる青い羽根。さらに砕いて粉末にしたブルーダイヤモンドが太陽光を反射し、目も眩むような閃光を放つ。
(前言撤回。あれは、またしても青孔雀……いや、あのフォルムはまたしても不死鳥。だが、あれは翼ではなく羽根だ。まさか……あの輝きは、幻の蝶『ヘレナモルフォ』か!)
ただの青ではない。見る角度によって鮮烈なメタリックブルーから、深遠なバイオレットへと色彩を変える。
私が鮮烈な輝きに戦慄している間に、広場を埋め尽くす群衆がざわめく。
「……ペンギン?」
「いや、あれはブルーペンギンだな」
「ペンギンですって!? 失礼な! その節穴をこじ開けてよくご覧なさい! これは飛べない鳥ではなく、幻の蝶『ヘレナモルフォ』よ!」
「うっ……!?」
会場が息を呑んだ。
殿下も目を見開く。
可愛いさではなく、美しくも強い。
イザベラ様は微笑まなかった。
媚びるように手を振ることもしなかった。
ただ、顎を上げ、冷ややかな視線で観衆を見下ろしながら堂々と歩く。
その圧倒的なオーラの前に、ミミのドレスが、急に『子供のお遊戯会の衣装』のように見える。
「すごい……」
会場の誰かが呟いた。
拍手は起きなかった。だが、その代わり全員が魅入られたようにイザベラ様を目で追っている。
これこそが『手の届かない憧れ』だ。
「そ、そんな……!? 貴女は『赤』や『派手な極彩色』で来るはずでしょう!? 私のリサーチではそうだったのに……どうして、リリアナ様みたいな『陰気な事務員色』を選んだんですか!?」
その言葉に、イザベラ様は私を見るなり、ゆっくりと微笑んだ。
「あら、気付いたの? そうよ、この色はリリアナをイメージしたの」
「私ですか……?」
「ええ、リリアナ。貴方はいつも地味で、可愛げがなくて、仕事の悪魔だけれど……私の背中を預けられるのは、貴方の『冷徹な青』だけよ。だから今日は、私の『一番信頼できる色』で勝負に出たのよ」
会場が「おおっ!」とどよめき、私に視線が集まる。
……まあ、そこまで言われて悪い気はしない。
イザベラ様はミミに向き直り、扇子を開く。
震えながらも、ミミは必死に食い下がる。
「で、でも、やっぱりおかしいです! そんな重くて、高くて、不便な服なんて、非合理じゃないですか!」
「非合理ですって?」
「そうです! 服は軽くて、安くて、楽なのが一番に決まってます! わざわざ、そんな苦しい思いをしてまで着飾る必要がどこにあるんですか!?」
それは生活者の切実な叫びだった。
誰もが心の中で頷く。
「そうだ、楽な方がいいに決まっている」と。
だが、イザベラ様は心底不思議そうに首を傾げた。
「ミミ、貴女は芋虫のままでいたいの?」
「え……?」
「楽なのが一番なのでしょう? 地面を這って、何も背負わず、葉の裏で一生を終える。それも一つの生き方だけれど……」
イザベラ様は一歩踏み出し、重厚なドレスの裾を翻した。
「蝶はね、羽化の瞬間が一番苦しいの。重たい羽を背負って、うまく飛べもしない。転び、もがき、それでも殻を破るの。なぜだか分かる? その先に、大地からでは決して見えない世界があるからよ」
「見えない世界……?」
イザベラ様は微笑む。
「ええ、羽のおかげで空を羽ばたき、視界が広がった。世界を上から見ることを覚えたのよ。それは人もドレスも同じだわ。……軽くて楽な服? 大いに結構。でも、それは貴女を地に縛るための鎖だわ。私はね、重くて、無駄に高くて、息が詰まるほど窮屈なドレスを着て、それでも涼しい顔で立っているのよ!」
背中で、巨大な青い翼がきらめく。
「そうすることでしか見えない高みが! 羽を広げた者にしか届かない絶景が! この世には確かに存在するのよ! 無駄を愛しなさい! 苦労を誇りなさい! 楽をして地に留まるか、重力をねじ伏せて空へ羽ばたくのか! 選ぶのは、貴女たち自身よ!」
「ドレスは羽だ」なんて、理屈としては暴論もいいところだが、その力技すぎるイザベラ流進化論は、退屈な日常に飽き飽きしていた女性たちの胸に熱い火をつけた。
「……そ、そうだわ! 私は芋虫なんかで終わりたくないわ!」
「無理してでもオシャレしたい!」
「イザベラ様! 私を飛ばせて!」
会場中が熱狂の渦に包まれ、合理性が感情に敗北した。
だが、その熱狂を切り裂くように、男の怒号が響き渡る。
「皆さま、騙されてはなりません!!」
ライラスがマイクを奪い取り、唾を飛ばして叫んだ。
「あのドレスは搾取された金で作られたものです! ミミさんはイザベラ様に虐げられ、泣きながらドレス
を作ったのです! 正義は我らにあるのです!!」
……よくも、まあ、そこまで嘘がつけるものだ。
自分が行なっている悪事を、そのまま相手になすりつける。
詐欺師の常套手段だ。
だが、事情を知らない大衆には、その悲痛な叫びが『真実』として響く。
ライラスの虚偽発言により、会場の流れは、再び劣勢へと傾いた。




