第三十話 友人か使用人か
「聞こえていましたよ、お嬢様」
ミミの目から涙がこぼれ落ちた。
「私もあの時、貴女様の背後でお茶をしてましたから……私は貴女様の『お友達』として付き従っていたつもりでした。でも、私は名前すらまともに覚えてもらえない、ただの『侍女以下の便利屋』だったんですね」
ミミは泣き笑いの表情で、店内の商品を指差した。
「あの日、私は誓ったんです。もう機嫌を取るのはやめる。これからは貴女様を利用してお金を稼ぐと! 私が背後でメモし続けた『イザベラ・ファッション』のデータ。そして貴女様が捨てたアイデアの数々……これが私の退職金代わりです!!」
店内は静まり返り、客たちは皆、ミミに同情的な目を向ける。
「ひどい話だわ」
「友達だと思ってたのに侍女扱いなんて」
「公爵令嬢の無自覚なパワハラね」
イザベラ様は扇子で口元を覆い、心底不思議そうに首を傾げた。
「そんな……だって、ミミ、貴女がいつも私の『後ろ』で荷物を持って、お水を持ってくるから……」
「貴女様の機嫌を取るためです!」
「お友達なら隣で一緒にタルトを食べるでしょう!? 私の後ろに立って給仕をするなんて、それはもう『使用人』の立ち位置なのよ!」
イザベラ様は、「私は論理的よ」という顔で主張する。
「だから私、てっきり貴女のことを『教育が必要な新人メイド』だと思って、あえて厳しく指導(文句)をしてあげていたのよ? プロならもっと冷たいお水を持ってきなさいって」
「指導!? あれが愛の鞭だったと言うんですか!?」
「そうよ! 友人相手なら泥水を出されても笑顔で飲み干すもの!」
イザベラ様なりの理屈だった。
彼女にとって『友人』とは、横に並ぶ対等な存在であり、『後ろに立って働く者』は使用人にカテゴライズされる。
ミミがへりくだって尽くせば尽くすほど、イザベラ様の中で彼女は友人から遠ざかり、『新人使用人(要指導)』としての地位を確立してしまっていた。
悪気はない。
ただ、絶望的に基準がズレているだけだ。
その時、店の奥のカーテンが開き、ゆっくりと拍手をしながら一人の男が現れた。
細身の長身に、ギラギラした光沢のあるスーツ。
髪をテカテカに撫でつけ、胸元には怪しげなバッジをつけている。
「素晴らしい告発でした、ミミさん。そして初めまして、イザベラ様、リリアナ補佐官」
男は蛇のような笑みを浮かべ、名刺を差し出す。
「私はミミさんの代理人兼・経営コンサルタント。ライラス・ル・ノワールと申します」
名刺には『新時代マーケティング代表』『権利ビジネス専門』といった肩書きが並んでいる。
胡散臭い。どこからどう見ても、ミミの恨みを利用して一儲けしようとしているハイエナだ。
「単刀直入に申し上げましょう。我々はローゼンバーグ公爵家に対し、ミミさんが受けた『精神的苦痛』及び『実質的な労働対価』として、損害賠償請求訴訟を起こす準備があります」
「……訴訟ですって?」
イザベラ様が目を細める。
「ええ、請求額は金貨5000枚。……ですが、裁判となれば公爵家の醜聞となりましょう。そこで提案があります」
ライラスは店内の『ニセ孔雀ドレス』を得意げに手で示した。
「この『メゾン・ミミ』を公爵家公認のセカンドライン(廉価版ブランド)として認めていただきたい。そうすれば訴えは取り下げ、売上の50%をロイヤリティとして差し上げましょう」
ライラスの提案は和解交渉ではない。
過去の失言を人質に取った恐喝だ。
私が口を挟もうと一歩前に出ようとした時、イザベラ様に扇子で制された。
「金貨5000枚ですって? そんな端金で、私の『美学』を汚すおつもり?」
「は……?」
「このポリエステルの孔雀も、ガラス玉の不死鳥も、私のブランド公認になどできませんわ。こんな安っぽいものを認めたら、それこそスキャンダルだわ!」
イザベラ様は毅然と言い放った。
彼女が恐れるのは金銭的損失や評判ではなく、『美しくないもの』が自分に関連付けられることだけだ。
すると、ライラスは驚くどころか鼻で笑う。
「ふん、安っぽい? 美しくない? これだから『古い貴族』は困る」
「なんですって?」
「貴女は何も分かっていない。今の時代、価値を決めるのは貴女の『美学』ではない。『市場』なんですよ」
ライラスは店の外に伸びる長蛇の列を指差す。
「あの行列を見なさい、民衆は貴女の高尚で高価なドレスなど求めていない。彼女たちが選んだのは、ミミさんが作る『安くて、そこそこ見栄えがするドレス』だ。数字こそが正義。売上こそが真実。つまり、今の王都のトレンド(覇者)は貴女ではなく、ミミさんなんですよ」
その言葉は、イザベラ様の逆鱗に最も深く突き刺さる。プライドの高い彼女に対し、「お前はもう時代遅れだ」と告げたに等しいからだ。
「……私が時代遅れですって? 数字が正義? いい度胸してるわね。……その腐った根性を、叩き直して差し上げますわ!」
「ほう? 口先だけで否定されますか? ならば証明していただきましょう」
ライラスはニヤリと笑い、上着のポケットから一枚の紙を取り出す。
それは、すでに用意されていた『挑戦状』だった。
「来週、王都中央広場で『市民ファッションコンテスト』が開催されます。そこで白黒つけるとしましょう。貴女の『至高のドレス』と、ミミさんの『民衆のドレス』。どちらが多くの支持を集めるか、観客の投票数で決めるのです」
「ええ、受けて立つわよ」
イザベラ様が即答する。
だが、ライラスは蛇のような目で私とイザベラ様を交互に見やり、さらに踏み込む。
「ただし、ただの勝負では面白くない。……賭けをしませんか?」
「賭け?」
「ええ、我々が勝った場合、当初の請求額金貨5000枚に加え、『ローゼンバーグ』の商標権を譲渡していただきます」
私は息を呑んだ。
商標権の譲渡。つまりイザベラ様は今後、自分の名前でドレスを作ることも、ブランドを名乗ることもできなくなる。
事実上の『悪役令嬢の死』だ。
「貴女が負ければ、『過去の遺物』であることを認め、その看板を下ろしていただく。……どうです? 自信がおありなら受けて立てるはずですが?」
明らかな挑発。
それにリスクが高すぎる。
「……安すぎるわね」
イザベラ様が、冷徹な声で吐き捨てた。
「は?」
「この私のブランドを賭けるのよ? 金貨5000枚と商標権程度で釣り合うと思って?」
イザベラ様は一歩踏み出し、ライラスを睨みつける。
「私がその条件を飲む代わりに、貴方は何を賭けるのかしら?」
「何を……わ、我々は訴えを取り下げて……」
「そんなもので釣り合うわけがないでしょう! 私が勝てば、この『メゾン・ミミ』の全権利、店舗、在庫、そしてデザイナーであるミミの身柄……その全てを私が貰い受けるわ!」
「なっ……!?」
「当然でしょう? 貴方は『ミミには私を超える価値がある』と豪語した。ならば、その価値に見合うだけのものをテーブルに乗せなさい」
「うぐ……」
ライラスが言葉に詰まる。
店とミミを奪われれば、彼は『金のなる木』を失い、ただの詐欺師に戻るどころか、借金だけが残る。
自ら仕掛けたが、彼にとっても破滅的な賭けとなった。
だが、ライラスは店の外に伸びる長蛇の列――『圧倒的な大衆の支持』を見た。
勝率は万に一つも揺るがない、そう確信した顔で。
「いいでしょう! 成立です!」
ライラスは冷や汗を拭いながらも、歪んだ笑みを浮かべた。
「傲慢な貴族が全てを失い、地に落ちる様を見るのが楽しみですよ。契約書は明日、送らせていただきます」
「リリアナ、帰るわよ! 徹夜で新作のデザイン画を描くわ!」
「……はあ」
イザベラ様は踵を返し、店を出て行く。
私はため息をつきつつ、バインダーに新たな予定を書き込む。
『来週、中央広場にて決闘。敗北した場合の損失:プライスレス』。
どうやら事務的に処理するよりも、何倍も面倒なことになってしまったようだ。
私の胃が、またもキリキリと痛み始めた。




