第二十八話 審美眼の証明
オークションも終盤。
会場の熱気と、大公が仕込んだサクラによる価格吊り上げ演出が最高潮に達した頃、司会者が困惑した顔でアナウンスする。
「ええ……続きましては特別出品。北の王国からの参加者による持ち込み品です」
ざわめきの中、ステージに運ばれてきたのは一枚のキャンバス。
額縁すらない剥き出しの画布。
描かれているのは、子供が絵の具をぶちまけたような混沌とした色彩の渦。
タイトルは『無題』。
そう、路地裏でイザベラ様が金貨1枚で購入したあの『落書き』だ。
あまりに前衛的すぎるその品に、会場が呆気にとられたように静まり返る。
だが、その静寂はすぐに破られる。
「ぶっ……ふはははッ! なんだ、あれは!?」
「ただのゴミではないか!」
「北の国には額縁を買う金もないのか!?」
どっと湧き上がった嘲笑。
会場を埋め尽くしたのは、興味ではなく明らかな侮蔑の色だった。
レオンハルト大公が勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
「これが君たちの『至宝』かね? あまりに前衛的すぎて、私にはゴミにしか見えないが……」
「あら、そうですか? やはり大公様には視えませんのね」
イザベラ様は悠然と立ち上がると、貴賓席の手すりに手を置き、会場全体を見下ろして声を張り上げる。
「お静かになさい! 美を知らぬ哀れな子羊たちよ!」
その凛とした一喝に笑い声がピタリと止んだ。
イザベラ様には天性の『場の空気を支配する力』がある。それは彼女の圧倒的な自信と、何者をも恐れぬ度胸によるものだ。
「貴方たちはこの絵の表面しか見ていないのですわ! いいこと!? 芸術とは『形』ではなく『物語』なのよ!」
イザベラ様は扇子でビシッと絵を指し示す。
「この絵を描いたのは名もなき孤児よ。彼は言葉を持たなかった。光を知らなかった。絶望の淵で、ただ一つ残された絵の具を使い、魂の叫びをこのキャンバスに叩きつけたの! 見なさい! この赤は『怒り』! この黒は『孤独』! そして中心にある微かな金は……『希望』よ!」
嘘である。
完全に、今その場で作った即興の作り話だ。
だが、イザベラ様の語り口は、あまりにも熱っぽく、ドラマチックだった。
「洗練? 技術? そんなものは小手先の飾りよ! この絵にあるのは生のままの『感情』! 貴方たちの飾られた豪邸に足りないのは、この泥臭くも愛おしい『生命力』ではないかしら!?」
会場の空気が変わった。
嘲笑が消え、困惑と、そして奇妙な熱気が生まれ始める。
富豪たちは『美』には弱いが、それ以上に『物語』と『希少性』に弱い。
公爵令嬢がここまで熱弁するのだから、何かあるのではないか?
これを見抜けない自分は遅れているのではないか? 疑心暗鬼が広がる。
私はそのタイミングを見逃さず、殿下に合図を送る。
殿下は涼しい顔で手を挙げた。
「金貨1000枚」
会場がどよめいた。
身内による買い支え? いや、腐っても一国の王太子が、ゴミに1000枚の値をつけたのだ。
これは冗談でも、示威行為でもない。
周囲の誰もが、本気だと悟った。
「な、なんだと……?」
大公が顔色を変える。
私は手元の通信魔道具を使い、会場に潜ませておいたエルヴィン(変装済み)に指令を送った。
『サクラAの隣で、こう呟いて。「あれは隣国で流行している『ネオ・プリミティブ(新原始主義)』という画法らしいぞ」』と。『了解だよ!』と指令を受けたエルヴィンが動くと、噂は瞬く間に広がる。
「流行?」
「最先端なのか?」
ざわめきが大きくなる。
そこへ、イザベラ様がとどめの一撃を放つ。
「あら、殿下。この絵を独り占めするおつもり? 残念ね、この絵は私のお気に入りなの。もし、これを落札した方がいらしたら、その方の主催する夜会には、私が新作ドレスを着て優先的に出席して差し上げてもよろしくてよ?」
これは効いた。
この国には、イザベラ様のドレスやセンスに憧れる貴婦人が山ほどいる。その彼女が『優先的に出席する』という特典。
それは金貨数千枚以上の価値がある『社会的ステータス』だ。
「1200枚!」
貴婦人の一人が手を挙げた。
「1500枚!」
それに釣られて、商人が叫ぶ。
「2000枚!」
止まらない。
大公のサクラたちも、空気を読んで値を吊り上げるべきか、それとも無視すべきか混乱している。大公からの指示がないからだ。
「3000枚!」
「3500枚!」
価格は、先ほどの大公のコレクションを超えた。
もはや誰も絵の出来栄えなど見ていない。流行とステータスという名の幻影に金を払っているのだ。
「5000枚! ……ほ、他にございませんか? ……落札!」
ハンマーが振り下ろされた。
落札したのは西方の鉱山王だった。彼は汗だくになりながら、「これで妻の機嫌が直る!」と叫んでいる。
金貨5000枚。
元値1枚の落書きが、5000倍の価値に化けた瞬間だった。
イザベラ様は扇子を広げ、高らかに笑う。
「オーッホッホ! 素晴らしいわ! やはり本物は伝わるのよ!」
「そんな馬鹿な……」
レオンハルト大公は、手元のグラスを握りつぶさんばかりに震えていた。
彼の計算された相場が、イザベラ様という予測不能な嵐によって破壊されたのだ。
私は静かに大公に歩み寄る。
「大公閣下、勝負あり、ですね」
私は懐から、先ほど殿下が署名した書類を取り出す。
「お約束通り、我が国の『審美眼』は証明されました。金利の件は据え置きでよろしいですね?」
「うぐっ……」
大公は屈辱に顔を歪めたが、衆人環視の中で公言した手前、撤回はできない。
彼は忌々しそうに吐き捨てる。
「……よかろう。今回は君たちの勝ちだ……だが、忘れるな。芸術の価値は水物だ。いつかその化けの皮が剥がれる時が来るぞ」
「ご忠告感謝します。ですが……」
私は眼鏡を押し上げ、冷徹に告げる。
「化けの皮が剥がれるのは、貴方のほうかもしれませんよ?」
「何……?」
私は鞄から一冊の分厚い帳簿――『レオンハルト王立工房・裏取引台帳(写し)』を取り出す。
これこそが、私たちが街での買い物の合間に、エルヴィンを使って入手させた『爆弾』だ。
オークション会場の喧騒は続いていたが、貴賓席の空気は凍りついていた。
レオンハルト大公は、私が突きつけた『裏取引台帳』を凝視し、額に冷や汗を浮かべている。
「な、なんの真似だ……? そのような偽造書類で、私を脅す気か?」
「偽造ではありません。これは貴国の王立工房から廃棄された書類と、貴方が雇っている『価格吊り上げ役』たちへの報酬支払記録を照合したものです」
私は淡々と事実を並べた。
「貴方は無名の画家の作品を二束三文で買い上げ、それを王立工房で『箔付け(修復と称した加筆)』し、サクラを使ってオークションで高値をつける。そして吊り上がった価格を『市場価格』として帳簿に載せ、それを担保に他国から融資を引き出している。これは芸術振興ではありません。ただの『資産価値の捏造』であり、大規模な『粉飾決算』です」
「黙れ……! 芸術の価値など主観的なものだ! 私が1万枚だと言えば、それは1万枚なのだ! それを詐欺とは言わせん!」
「ええ、主観の話ならそうでしょう。ですが……『信用』は客観的なものです。もし、この事実が大陸中の銀行や投資家、特に貴国に多額の資金を預けている帝国の資産家たちに知れ渡ったら、どうなるでしょうか?」
エストリア公国は金融国家。
その力の源泉は他国からの信用にある。もし、「この国の担保資産(美術品)は全てハリボテだ」と露見すれば? 預金は引き出され、国債は暴落し、公国の経済は一夜にして崩壊するだろう。
「わ、私を脅迫するのか……!」
「いいえ、取引です」
私はアレクセイ殿下に目配せをすると、殿下が進み出る。
「レオンハルト、我々は鬼ではない。貴様のこの『錬金術』を今すぐ公表するつもりはない」
「……条件は?」
「我が国の借款、その『全額免除』だ」
大公が息を呑んだ。
金利の据え置きどころではない。借金そのものを帳消しにしろと言うのだ。
「ば、馬鹿な! あれは国家予算規模の巨額だぞ! それをタダにしろだと!?」
「嫌なら、今ここでこの帳簿の写しを会場にばら撒く。……さあ、選べ。『借金の消滅』か、『国家の破滅』か」
究極の二択。
大公は震える手でワイングラスを握りしめ、そして、「ガシャン!」と床に叩きつけた。
「……分かった。認めよう。借款は全て放棄する」
屈服。
完全なる勝利だった。
「あら、話はついたの?」
そこへ、イザベラ様が戻ってきた。
彼女は手元に大公が自慢していた『王家伝来の壺』を持っている。
「大公様、この壺はとても素敵ですけれど、底のシールを剥がし忘れてますわよ?」
「な、何……?」
「ほら、ここ。『観光土産・特価100枚(※値引き不可)』と書いてありますわ」
「うッ……!?」
大公が悲鳴のような声を上げて壺をひったくる。
どうやら、彼自身が騙されて偽物を掴まされていた上に、老眼で刻印が見えていなかったらしい。
イザベラ様は、心底「かわいそうに」という目で彼を見る。
「審美眼を磨くには『愛』が必要なの。お金だけ見ていても、本物は見えないわよ?」
その言葉は鋭い刃となって、大公のプライドを粉々に砕いた。
彼は小さく「愛……」と呟いた後、ガックリと玉座に崩れ落ちた。
◇
帰りの船上。
私たちは巨額の借金消滅という大戦果を挙げ、祝杯を挙げていた。
「大儀であった、イザベラ。今回の勝因は間違いなくお前だ」
甲板で風に吹かれながら、殿下が珍しく素直に礼を言った。
「お前の常識に囚われないハッタリと、空気を読まない突破力。あれは外交戦において最強の武器になる」
それは殿下なりの戦略的価値に対する、最大限の賛辞だった。
だが、イザベラ様はいつも通りに斜め上に受け取る。
「まあ……!」
イザベラ様が感激したように両手で口元を覆う。
その瞳がギラギラと輝いている。
「最強の武器……つまり殿下は私を『愛の最終兵器』として、一生手元に置いておきたいと仰るのですね!?」
「は? いや、俺は戦術的な話をしているのだ」
「分かりますわ! 共に世界を征服しましょうというプロポーズ! 喜んでお受けしますわ! さあ、契約のキスを!」
イザベラ様が唇を尖らせて迫る。
「待て! 飛躍しすぎだ! リリアナ、通訳をしろ!」
「申し訳ありません、殿下」
私はすっと視線を逸らし、青い空を見上げた。
今日もいい天気だ。カモメが飛んでる。
借金がなくなった分、ボーナスは弾むだろうか。
次は南の島のパンフレットでも取り寄せようかな。
「ま、待て! 来るな……! そのクッキーを口にねじ込むな!」
「照れないでくださいまし! さあ、あーんですわ!」
美しき水の都を背に、王太子の悲鳴と公爵令嬢の高笑いが、どこまでも響き渡っていた。
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タイトル:「結婚なんて墓場よ!」と豪語する悪役令嬢の使用人Aですが、墓場の住み心地は天国でした
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