第二十五話 優雅なる督促状
第二章のエピソード24に【番外編】を投稿しております。そちらも、是非よろしくお願いいたします。
『大陸労働者統一戦線』の革命騒ぎ(実際は労働争議)が収束し、王宮の庭園に桜が舞い散る頃。
私のデスクに、見慣れない一通の封書が届いた。
最高級の羊皮紙に、金粉を混ぜたインクでしたためられた、実に優雅で、それでいて胃が痛くなるような手紙だ。
差出人は大陸南西に位置する『エストリア公国』。
小国ながら、大陸全土の通貨発行権と金融を握る銀行国家であり、同時に芸術を至上のものとする、『美の都』としても知られている。
「殿下、エストリア公国より、来月の『大陸定例融資会議』への招待状が届きました」
「あの守銭奴どもか」
アレクセイ殿下は読みかけの外交文書を置き、不快そうに眉を寄せた。
「用件は分かっている。我が国が過去の戦乱期に借り入れた『復興借款』の金利見直しだろう。奴らは『芸術振興』という名目で、法外な手数料を上乗せしてくるのが常だ」
「はい。今回の手紙にも美しい詩と共に『近年の物価上昇に伴い、金利を現在の2倍に引き上げざるを得ない』と遠回しですが、強烈な通告が記されています」
金利2倍。
もしこれが実行されれば、我が国の財政は破綻しかねない。ようやく軌道に乗り始めた公共事業も、私が経営する白銀館も、この流れを途中で断ち切られることになってしまう。
「……行かねばなりませんね、エストリアへ」
「ああ。直接乗り込み、奴らの美意識ごと借用証書を書き換えさせてやる」
私たちは次なる戦場――美しい水と石造りの街並みが広がる、エストリア公国へと向かうことになった。
そして当然、あのお方もついてくることになる。
「まあ、愛の逃避行ですのね!? 殿下、ご安心ください! この私が、どこまでもお供しますわ! オーホッホッ!」
どこからともなく姿を現した、イザベラ様と共に。
◇
数日後。
海路を経て、エストリア公国へ向かう船上。
甲板で潮風に吹かれるアレクセイ殿下が、難しい顔で海図を睨んでいた。
そこへ日傘をさしたイザベラ様が優雅に歩み寄る。
「殿下、そんなに眉間に皺を寄せては美しいお顔が台無しですわ。少しは海の青さを楽しまれてはいかが?」
「遊んでいる暇などない。相手は海千山千の古狸だ。対策を練らねばならん」
「あら、殿下ったらいつも真面目な方。けれど……」
イザベラ様は、持っていたバスケットから何かを取り出す。
それはハート型に焼かれた巨大なクッキーだった。
「糖分補給も大切ですわ。はい、あーんですわ!」
「断る。仕事中だ」
「まあ、照れ屋さんですこと! でも分かりますわ、公衆の面前では恥ずかしいのですわね? でしたら、船室で二人きりになりましょう!」
「なぜ、そうなるのだ!? よ、寄るな!? そのクッキーから凄まじいほどの甘ったるい匂いがするではないか!?」
殿下が後ずさりするが、イザベラ様はめげない。
「殿下の疲れた脳を癒やすための『愛の特製クッキー』ですのよ! 隠し味に惚れ薬……じゃなくて、栄養ドリンクを混ぜてありますの!」
「今、何か恐ろしい単語が聞こえたぞ!?」
船上での攻防戦。
私はそれを遠目に見ながら、手帳に『殿下の精神的疲労、蓄積中』とメモに書いた。
だが、不思議と殿下の表情は、執務室にいる時よりも、生き生きとしているように見える。
……まあ、逃げるのに必死なだけかもしれないが。
◇
エストリア公国の首都『アクア・ルージュ』。
海の上に浮かぶように建設された、美しい水の都。
行き交うゴンドラ。
街中に響き渡る管弦楽の調べ。
運河沿いに立ち並ぶ大理石の彫刻。
すべてが計算し尽くされた『美』によって構成されている。
だが、港に降り立った私たちを待っていたのは、歓迎の宴ではなく、冷ややかな検閲だった。
「お待ちください……」
入国管理官の男が、私たちの前に立ちはだかる。
彼は金縁眼鏡の奥の瞳から、私の服装をジロジロと眺める。
「貴国の方々はこの国へ入るための『ドレスコード』をご存じないのですか?」
「ドレスコードですか? 私たちは外交使節として正装をしておりますが」
「ええ、確かに『服』は着ておられる。ですが……美しくない」
男は鼻で笑い、私の事務服(機能性重視の紺色スーツ)を指先で弾く。
「地味な色、実用一点張りのデザイン、遊び心のないボタン。このような無粋な格好で街を歩かれては、我が国の景観が損なわれます。入国を許可するわけにはいきませんな」
「はっ……?」
服が地味だから入国拒否?
殿下が殺気立ち、腰の剣に手が伸びる。
「貴様、俺の補佐官を愚弄するか」
「事実を申し上げたまでです。野暮な田舎者には当国の空気を吸う資格はないと……」
一触即発の空気。
殿下が抜剣しようとした、その時。
「お待ちなさい! 私の殿下に何という口を利くのですの!」
タラップの上から甲高い声が降ってきた。
現れたのは、船旅の最中も一日五回の着替えを楽しんでいたイザベラ様である。
今日のイザベラ様はエストリアの街並みに合わせたのか、透き通る海を思わせる水色を基調に、無数の真珠を散りばめた『マーメイド・ドレス』を纏っている。
陽光を受けて煌めくその姿は、港に集まった視線を一瞬でさらっていった。
(イザベラ様、今日も派手ですが、海に合わせた装いも素敵ですよ)
「私の婚約者(思い込み)を田舎者呼ばわりするなんていい度胸ですわね! 貴方こそ随分と『古い』美意識をお持ちのようだけれど!?」
「……なんだと? この私が古いだと?」
イザベラ様は真珠をあしらった扇子を開き、管理官のネクタイをビシッと指す。
「その結び方! 10年前に流行った『ダブル・ウィンザー・ノット』でしょう? 今のトレンドは、もっと軽やかな『シングル・クロス』よ! そんな化石のような首元で、よく他人様の服装にケチがつけられるわね!」
「ぐっ……!」
図星を突かれた管理官は、耳まで真っ赤にして体を震わせる。自尊心だけは無駄に高そうな男だ。引き下がることもできず、勢いに任せて一歩踏み出し、あろうことかイザベラ様を指差す。
「貴様こそ、その格好は何だ! ジャラジャラと真珠をぶら下げ、品がないにも程があるではないか! まるで船底に張り付いたフジツボの化け物ではないか!」
「フ、フジツボの化け物ですって!?」
「そうだ! フジツボ女め! 入国したければ、その貝殻を削ぎ落としてから出直してこい!」
管理官が勝ち誇ったように叫んだ、その時だ。
イザベラ様の叫びと共に、彼女の腰元のトレーンが跳ね上がる。仕込まれていた形状記憶ワイヤーが唸りを上げ、足元から背後にかけて、巨大な扇状のカーブを描いて固定された。
(前言撤回。あれは青孔雀……いや違う。今回は翼がない。足元から広がるあの優美な曲線、そして貝殻の上に立つような姿……そうか! 海より生まれし、女神アフロディーテだ!)
イザベラ様は巨大な貝殻の中に立ち、神々しくポーズを決めた。
「ホタテ貝……?」
「なんですって!? これは美の女神が海より生まれ出でし姿、『ヴィーナスの誕生』よ!」
「な、何が女神だ! どう見てもホタテ…いや、アサリだ! フジツボからアサリになっただけではないか!」
「お黙りなさい! そもそも殿下がお怒りなのは、私の友人のリリアナを侮辱されたからですわ!」
イザベラ様は巨大な襟をバサバサと揺らしながら、一歩、また一歩と管理官に詰め寄る。
「リリアナの服装は『地味』ではないわ! 『最小限主義』という洗練の極みよ! 無駄を削ぎ落とし、機能美を追求したこのスタイルは、貴方のような凡人には高尚すぎて理解できなかったかしら!?」
(イザベラ様、ありがとうございます。派手なホタテ姿でミニマリズムを語られると説得力があるのかないのか分かりませんが、助かります)
管理官は目の前に立ちはだかる巨大な貝殻の圧力に耐えきれず、涙目で道を空ける。
「わ、分かった! 近寄るな!? 通れ! 通ってくれぇぇ!」
「最初からそう言えばよろしいのよ。さあ殿下、参りましょう!」
イザベラ様は高らかに笑い、背後の「殻」を揺らしながら、殿下の腕にギュッと抱きついた。
「おい、イザベラ。その背後のやつは畳めないのか? 邪魔だぞ」
「あら、殿下。美しさのためなら空間占有率など無視するのが淑女の嗜みですわ。さあ、エスコートしてくださいまし!」
殿下は真珠の塊を背負った彼女に溜息をつきつつも、その腕を振りほどきはしなかった。
私は二人の後ろについて歩き出す。
イザベラ様を連れてきたのは、吉と出るか凶と出るか。
私の胃がキリキリと痛み始めた。




