第二十三話 天国から地獄へ
王立学園のスパイ騒動から一転、私は一人、二泊三日の温泉旅行を楽しんだ。
行き先はもちろん、私がオーナーを務める温泉宿『白銀館』。
アレクセイ殿下とイザベラ様という、二大台風を王都に置き去りにし、私だけが温泉宿で癒やされる。
至福だった……。とはいえ、白銀館が私の休暇に合わせて休んでくれるほど甘い場所ではない。
現地では新たな取り巻き部隊(L〜U)が、目覚ましい働きを見せていた。
彼女たちは総支配人であるクルトさんの「この館を成功させることこそ、イザベラ様への最大の貢献になるよ」という言葉に、完全に感化されていた。
到着するなり、彼女たちは『貴族社会のネットワーク』という、猛毒を撒き散らしていたことに気付く。
彼女たちの実家や有力者に手紙を書きまくり、「お父様! まだ予約していないのですか!? イザベラ様のトレンドに乗り遅れるということは、すなわち社交界での死を意味しますわよ!」と、金持ちたちの不安を限界まで煽り、巧みに予約へと誘導していた。
恐るべき集客力、いや、脅迫力だ。
想定外だったのは、『取り巻き軍団』の間で、私は伝説と化していたことだ。
「きゃーっ! 本物のA様よ!?」(取り巻きL・M)
「イザベラ様の大のお気に入りと云われた、伝説の……」(取り巻きN・O)
「お会いできて光栄です! 写真いいですか!?」(取り巻きP・Q・R)
「あの……サインいただけますか!?」(取り巻きS・T・U)
私はレジェンドOGだった。
ひとまず、顔を引きつらせながら撮影に応じ、コースターにサインをし、どうにかその場を切り抜けた。
その後、施設を見て回る。
すべて完璧。
あの廃屋だった館が新館へと姿を変え、裏手には『養鶏場』と『蒸し場』も完成。
さらにマーサさんの伝手もあり、厨房の従業員も確保されていた。
「リリアナちゃんよ、顔色が悪いね。ちゃんと食べてるのかい?」
厨房を覗くと、割烹着姿のマーサさんが、お玉を片手に仁王立ちで迎えてくれた。
彼女の背後では、新しく雇われた料理人たちがテキパキと動いている。
「あ、マーサさん、お久しぶりです。従業員の確保まで、ありがとうございます」
「なーに、私の甥っ子や近所の腕利きを引っこ抜いてきただけさ。さあ、挨拶はいいから、まずはこれを食べな!」
ドンッ、とテーブルに置かれたのは、湯気を立てる山盛りのご馳走の数々。
「山で獲れた猪に鹿肉、あとは山鳥だよ! キノコもたっぷり入ってるから、これで精をつけな!」
そして名物、『白銀』を冠した『朝採れたまご』と『白銀の宝石』。とろける温泉玉子に、濃厚な極上プリン。
すべてが絶品だった。
最高の湯に浸かり、湯上がりに冷えた牛乳を一気に飲む。さらに追いかけるように、アイスクリーム。滑らかな舌触りと、濃厚なミルクのコク。
ああぁ……幸せだ。
殿下のワガママも、イザベラ様の騒音もない世界。
私の日頃のストレスは、湯けむりと共に天へと昇華された。
そして帰り際。
村長をはじめとする村人たちの温かい見送りを受ける。
「みなさん、素晴らしいおもてなしでした」
「ありがとう。次はぜひ、あの化け……いや、お二方も一緒に」
「……はい。今度は三人で来ますね」
私は心身共にリフレッシュされ、王都への帰路についた。
たった数日で、王宮が地獄に変貌しているとは知らずに。
◇
私は爽やかな気分で王太子執務室に出勤した。
しかし、なぜか廊下に人影がない。
足音だけが妙に響く。
――静かすぎる。
嫌な予感のまま扉を開けた瞬間、私は理解した。
ここは執務室ではない。災害現場だ。
書類が床に散乱し、花瓶の水は腐りかけ、ゴミ箱は溢れている。
そして何より、あのアレクセイ殿下がポットから紅茶を注ぎ、カップではなく、テーブルに盛大にこぼしていた。
「……殿下、何をしておられるのですか?」
「……やっと帰って来たか。見れば分かるだろう。茶を淹れようとしたのだ」
殿下は不機嫌そうに布巾(よく見れば国宝級のシルクハンカチ)で、雑にテーブルを拭いた。
「お前が遅いからだ! 温泉でふやけている間に、王宮は死の城と化した! 侍従も、メイドも、料理人もボイコットだ。分かるか? この私が! 次期国王たる私が! 今朝の朝食に保存用の乾パン(岩のように硬い)を水でふやかして食べたのだぞ!? これは拷問だ!」
「なぜ、そのようなことが……?」
私は慌てて窓の外を見下ろした。
眼下にある王宮前広場に、色とりどりのプラカードを掲げた群衆で埋め尽くされていた。
「貴族は敵だ!」
「パンと自由を!」
「週休二日制の導入を!」
シュプレヒコールだ。
地鳴りのようにここまで聞こえてくる。
「東方から西進してきた『大陸労働者統一戦線』。彼らの扇動により、王都の下級労働者や王宮の使用人たちが一斉にストライキに入った。おかげで私の紅茶を淹れる権利を侵害するとは、万死に値する」
「それは大変ですね……。まずは相手の要求を聞きましょう。交渉のテーブルに着かなければ、殿下の午後のティータイムも絶望的です」
私は鞄から『白銀館のお土産(白銀マカロン)』を取り出し、殿下に差し出した。
まずは糖分補給だ。
空腹の俺様王子ほど厄介なものはないし。
◇
正午。
王宮のバルコニーに、アレクセイ殿下と私が姿を現した瞬間、広場の群衆から「出てきたぞ!」という怒号と、王家へ向けたブーイングが巻き起こった。
その先頭に立つ一人の青年が、手を挙げて静寂を求める。
栗色の髪を風になびかせ、粗末だが清潔なシャツを着た青年。
彼こそが組織の指導者、レオニード。
「若き革命の獅子」と呼ばれ、その甘いマスクと情熱的な弁舌で、瞬く間に民衆の心を掴んだカリスマらしい。
「聞け! 腐敗した王族と貴族たちよ!」
レオニードがよく通る声で叫ぶ。
「我々はこれ以上の搾取を許さない! 汗水たらして働く者が報われず、生まれながらの特権階級が富を独占する! そんな不条理な時代は終わったのだ!」
「「そうだー!」」
「「我々に権利を!」」
民衆の熱狂は凄まじい。
レオニードは殿下を指差す。
「アレクセイ王太子! 即刻、貴族制度を解体し、富を民に再分配せよ! さもなくば、我々はこの王宮を実力で解放する!」
殿下がピクリと眉を動かす。
抜剣しようとした殿下の手を、私が制した。
「お待ちください。ここは私が」
私は拡声魔道具のマイクを手に取り、眼鏡を押し上げる。
「革命指導者レオニード様。貴殿の主張は理解しました。平等な社会、素晴らしい理想です」
「ふん、役人の言葉遊びには乗らないぞ! 我々が求めているのは即時の変革だ!」
「はい。ですが、変革には『予算』と『手順』が必要です」
私は手元の資料をめくる。
「貴殿は『貴族制度の解体』を要求していますが、現在、地方行政や治安維持、及び農地の管理は各地の貴族が私財を投じて行っています。もし彼らを追放した場合、それらの行政コストは全て中央政府……つまり、新たな共和国政府が負担することになりますね?」
「当然だ! 民による政府がそれを行うのだ!」
「その財源は? 貴族からの徴税が無くなれば、国家歳入の60%が消滅します。残りの負担は誰が? そう、ここにいる『民衆』の皆様への増税で賄うことになりますが?」
ざわざわと群衆に動揺が走る。
「増税?」「俺たちが払うのか?」という声が漏れる。
勝った、そう私が思った時。
「騙されるな!!」
レオニードが叫んだ。
「見ろ! あの女の冷たい目を! 奴らは数字で我々を煙に巻こうとしている! 増税だと!? 違う! それは貴族たちが隠し持っている財産を没収すれば済む話だ! 彼らは我々の血と汗を啜って、宝石に変えているんだぞ!」
その言葉に、動揺していた民衆の目に再び暗い火が灯る。
論理ではない。
嫉妬と怒りという感情の火だ。
「そうだ……俺たちが食えないのに!」
「あの眼鏡女も引きずり下ろせ!」
ヒュンッ! 群衆に投げられた石つぶてが、私の頬をかすめて背後の壁に当たった。
「ッ……!」
「下がっていろ、リリアナ」
アレクセイ殿下が私を背後にして庇い、鋭い視線で群衆を威圧する。
だが数千の怒りは、王太子の威光すら飲み込もうとしていた。
「見たか! これが民意だ!」
レオニードが勝ち誇ったように叫ぶ。
「遠慮はいらない! 貴族が隠し持っている財産を没収すればいい! 彼らは我々から搾取した金で贅沢三昧をしているはずだ!」
レオニードの声に、群衆が一斉に「そうだッ!」「贅沢を許すな!」と雄叫びが上がる。
まずい……感情に火がついた群衆には、もはや正論など通じない。
まさに暴動が起きる、その時だった……。




