第二十二話 国賓へのおもてなし
「……証拠? それが、どうしたんだい?」
「何だと?」
「忘れてないかい? 僕は外交官特権を持っている。君たちが僕を裁くことはできないし、拘束もできない。このまま堂々と帰らせてもらうよ。スパイ活動の件も、本国が『誤解だ』と発表すればそれまでさ」
フレデリック王子はふてぶてしく笑い、ファイルを放り投げた。
確かに、国際法上は彼の身柄を拘束するのは難しい。
王子はそれを知っていた上で強気に出た。
「残念だったね、リリアナちゃん。僕は部屋に戻って、ゆっくりと寝かせてもらうよ」
勝ち誇ったように王子が背を向けた、その時だ。
「あら? どこへ行かれますの?」
水を飲みに行っていたイザベラ様が戻ってきた。
その手には、なぜか赤い羽根飾りのついた教鞭用の長い指揮棒が握られている。
「イ、イザベラ嬢……」
「まだ『求愛のダンス』の確認は終わっておりませんわよ」
「求愛のダンス……?」
「ええ、この私にアプローチしたのですから、仕方なくとはいえ、最後までお付き合いして差し上げるのが公爵家の務めというもの。それに……」
イザベラ様は扇子で口元を隠し、にこりと目を細めた。
「レディのエスコートを途中で放棄して帰るような、国家の恥晒しな真似はなさいませんわよね?」
「ッ……! わ、悪いが失礼するよ。僕は疲れているんだ」
「もう、お疲れですの?」
「そ、そうさ。色々と気苦労もあってね」
「まあ、それは大変ですこと。でしたら……一から叩き直す必要があるわね!」
イザベラ様はビシッと指揮棒を王子に向ける。
その瞬間、ダマスクローズの濃密な香りがふわりと満ちた。
「我が国の最重要国賓として、特別に! この私が朝までつきっきりで『王族の心得』をご指導して差し上げますわ! これも友好のための文化交流(マナー研修)ですもの!」
「なっ……!?」
王子の顔色は青ざめていくが、イザベラ様の顔色はさらに血色がよくなった。
すかさず、私が眼鏡を押し上げて補足する。
「……というわけです。我々に殿下を法的に拘束する権限はございません。……ですが、我が国を代表する公爵令嬢からの熱烈な善意による『文化交流』を止める権限もありません」
「なんだと……!?」
「これは公式な『おもてなし』です。もし、無下に断って帰れば我が国の筆頭公爵家、ひいては王家の顔に泥を塗ることになります。……外交問題になりますが、よろしいですか?」
外交特権という盾を『貴族の義務』という矛で貫く。
大人しく金を払うか、イザベラ様の終わらない説教と地獄のマナー矯正を朝まで受け続けるか。
「さあ、チャラ男王子。改め、フレデリック殿下! 背筋を伸ばして! まずは『ワルツにおける指先の美学』について、実技を含めて8時間ほど行いますわよ!」
「ひっ……!?」
イザベラ様が指揮棒を構えるのを見て、王子の心は折れた。
この令嬢と朝まで一緒になどいれば、スパイとしての自我どころか、人としての尊厳まで崩壊してしまう。
そう思ったのだろう。
「払う! 払うよ!! サインでも何でもするから、その棒をしまってくれぇぇぇ!!」
「サインは後で結構ですわ。まずは姿勢。口より体を動かしなさい!」
「ひ、ひいぃぃぃ……!?」
◇
翌朝。
王立学園の正門前には、荷物をまとめたフレデリック王子の姿があった。
昨日までのキラキラしたオーラは完全に消え失せ、やつれ果てた顔をしている。
懐は空っぽ、プライドはズタズタ。
そして何より、馬車に積み込まれた荷物の量が異常だった。
馬車の荷台が傾いている。
「何だ、これは……? お、重すぎる……」
「お忘れ物ですよ、殿下」
私が見送りに立つと、王子が青い顔で荷物を指差した。
「リリアナちゃん……頼む、この『アルバム』だけは置いていかせてくれないかな? 石板でできているのか、馬車の車軸が折れそうなんだよ……」
彼の荷物の大半を占めているのは、イザベラ様が友情の証として押し付けた(強制購入させた)特製ポートレート集『美の系譜』だ。
後世まで残るようにと、表紙は大理石で作られている特別仕様である。
「お断りします。それには『友好の証』として、王家の認印が押されていますから、捨てたり置いていったりすれば、その時点で『条約破棄』とみなされますので、気を付けてください」
「そんな……!? お、覚えてろよ! いつか必ず、この借りは……!」
フレデリック王子が捨て台詞を吐こうとしたその時。
「あら、もう帰国なさるの?」
背後から日差しよりも眩しい真紅のドレスが現れた。
イザベラ様だ。
「残念だわ。せっかく『続・王族の心得(応用編)』のカリキュラムを組んでまいりましたのに」
イザベラ様の手には、昨夜とはまた違う真っ赤な指揮棒と、分厚い教本が握られていた。
「ひ、ひいぃっ!? 出せ! 早く! この国は魔境だぁぁぁ!!」
フレデリック王子は悲鳴を上げながら馬車に飛び乗る。
御者が鞭を入れると、馬車は「ギギギ……」と重そうな悲鳴(大理石の重み)を上げながら、傾いたまま走り去っていく。
砂埃の向こうに消えていくスパイの背中は、物理的にも、精神的にも、あまりに重そうだった。
「安いものだったな、リリアナ」
アレクセイ殿下が、私の手にある小切手を見て笑った。
このお金は国庫と被害に遭った令嬢たちへの慰謝料。そして何より、私の特別ボーナスに分配される予定だ。
「はい。ですが少しだけ可哀想な気もします」
「どこがだ?」
「イザベラ様の写真集です。あれだけの量は処分に困るでしょうね……」
「違いない……」
私たちは顔を見合わせ、静かに合掌した。
だが、感傷に浸る時間は短かった。
殿下が元凶であるイザベラ様に向き直り、声をかけたからだ。
「大儀であった、イザベラ。礼を言うぞ」
「え?」
「お前のその『妥協なき美への執着』が、我が国の機密を守ったのだ。あのスパイを退けたのは間違いなくお前の功績だ」
それは殿下なりの最大限の賛辞だった。
毒を以て毒を制す。イザベラ様の暴走を計算に入れた上での作戦だったとはいえ、結果を出したことへの正当な評価。
だが、イザベラ・フォン・ローゼンバーグという傑物は、それを斜め上に受け取る。
「まあ……!」
イザベラ様が感激したように両手で口元を覆う。
その瞳がキラキラと、いや、ギラギラと輝き始めた。
「分かりますわ! あの軟弱なチャラ男では、私の情熱の炎を受け止めきれず、灰になってしまいましたもの! 私の高尚な美学を理解し、受け止められるのは……」
バサァッ!
風も吹かない中、真紅のトレーンが意思を持ったように背後で翻る。
それは燃え盛る不死鳥の翼となり、王城の門前に展開された。
朝日に照らされ、物理的な熱気すら感じるほどの圧倒的な迫力。その中心で、イザベラ様はうっとりと熱っぽい眼差しで殿下を見つめ、自らの世界に入り込む。
「やはり殿下しかおりませんわ! この溢れんばかりの情熱を受け止め、共に美の頂点へと羽ばたくことのできるお方は!」
イザベラ様は両手を合わせ、祈るように、夢見るように宣言した。
「リリアナ……」
殿下の声は奇妙なほど平坦だった。
目の前で物理的に展開した巨大な炎の翼と、陶酔しきったイザベラ様を見て、完全にフリーズしていた。
どうやら殿下の冷徹な頭脳をもってしても、この現象を言語化できないらしい。
「……これは、どういう文脈だ? 私はただ労いの言葉をかけただけのはずだが……なぜイザベラは発光し、翼を広げ、求愛の詩を吟じているのだ? 何かの暗号か?」
「申し訳ありません、殿下」
私はすっと視線を逸らし、遠い空を見上げた。
今日はいい天気だ。朝の日差しが目に沁みる。
「これより『代休』に入らせていただきます」
「待て。考えるのをやめたな? 職務放棄だぞ、リリアナ!」
「さあ殿下、参りますわよ! まずは愛のデュエットから! 朝練開始ですわ!」
イザベラ様が燃え盛る翼を広げたまま、殿下に詰め寄り、腕を組んで連れ去る。
「あとは、お二人だけでごゆっくりどうぞ」
私は二人の背中を見送りながら小さく呟いた。
殿下は連れ去られながらも振り返り、声を張り上げる。
「リリ……う、裏切りおったな……!」
「殿下! よそ見は禁止ですわよ! さあ、二人っきりのレッスンですわ! オーホッホッ!」
うっとりしたまま次期国王を連れ去る真紅の不死鳥と、理解が追いつかず、連れ去られる次期国王。
その光景は、平和な王国の日常そのものだ。
私は手帳を取り出し、今日のページの最後にそっと書き加える。
『任務完了。ボーナス獲得。弟たちの学費を確保』と。
ペン先を止めると、私は現実から目を逸らす。
「はぁ……温泉行こ」
ここまで、お読みいただきありがとうございます!
これにて第二章が終わり、次話から第三章に入ります。
連載を始めて十日が過ぎ、早くもPV40万以上!
総合評価、18000ポイント以上!
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[週間]異世界〔恋愛〕 - 3位
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