第二十一話 学園交流パーティー
王宮、王太子執務室。
夜の灯りの下で、私は一日の騒動を報告書に落とし込んでいた。
学園での乱入騒動を公式な記録として、どう書くべきか頭が痛い。
そもそも学園には、卒業生や後援貴族が名を連ねる外郭団体がいくつかある。
イザベラ様はその一つ――『王立学園美的景観を守る会』の理事として、視察権限を持っていた。
聞けば、卒業後に自ら設立してポストに就いたらしい。
学園の庭や建物を『美しく保つ』という大義名分のもと、視察と称して突然やってきては、花壇の色味から、噴水の角度や水音、校舎外壁の汚れ筋、窓ガラスの反射のムラまでチェックする。
そして、気に入らないものは容赦なく是正する。
今日の対象が、偶然フレデリック王子だっただけだ。
景観を汚すノイズ、目障りな不純物、だから駆除。
イザベラ様の脳内では、そういった行政処理として完結している。
……ただ、それだけで済むなら、私の胃は痛くならない。
問題はその行政処理が、隣国の王子のプライドを粉砕しうる火力だった点にある。
――外交問題。
最悪、戦争の火種。
今日一日で何度、その単語が頭をよぎったことか。
しかし、結果だけ見れば王子は撤退し、現場は鎮圧された。
だが、その代償として、フレデリック王子に執着の光が宿った気がしてならない。
私は報告書を整え、殿下へ差し出す。
殿下は受け取るなり、ざっと目を走らせた。
私は咳払い一つして、要点だけを口にする。
「フレデリック殿下の対応ですが、偶然乱入したイザベラ様が、結果的に防壁になってくれました。本人はあれも公務の一つだと言い張っていましたが……」
「ご苦労。毒を以て毒を制すか。偶然だったとはいえ、適材適所だったではないか」
アレクセイ殿下が満足げに頷いたが、私の表情は晴れない。
「ですが、殿下。本日の彼の行動を精査したところ、単なる女好きにしては不自然な点が浮上しました。こちらをご覧ください」
「ほう……これは奴が声をかけた女性たちのリストか」
「はい。財務大臣の娘、騎士団長の妹、宮廷魔導師の姪。すべて我が国の重要機密にアクセス可能な人物の親族です」
殿下の目が鋭くなる。
「なるほど。ただのバカ殿を装って、ハニートラップで情報を抜いている可能性があると?」
「はい。先ほど彼が本国へ向けて発送した手紙を、『郵便物の誤送チェック』と称して回収し、検閲いたしました。中身は愛の言葉にカモフラージュされた暗号文。解読したところ、『王都の警備配置図』に関する記述がありました」
私は解読済みのレポートを提出する。
フレデリック王子は、ただのチャラ男ではなかった。
女好きという仮面を被った、一級スパイだ。
「舐められたものだ。我が国を、女を口説くついでに攻略できると思ったか。リリアナ、教育的指導が必要だ」
「はい。留学生には規則と代償を教えて差し上げます」
私は眼鏡の奥の瞳を光らせた。
相手がスパイなら話は早い。
事務的に、そして徹底的に追い詰める。
「奴が二度と女性を口説く気になれないほど、完膚なきまでに叩き潰せ」
「承知しました。彼は今、手紙が送られたと信じ込み、気が大きくなっているはずです。でしたら次は、より大胆な行動に出るでしょう」
「好都合だ。ちょうど、おあつらえ向きの場所もある。来週の学園交流パーティーだ」
アレクセイ殿下は、机の上の予定表を指先で叩いた。
「ああいう場は噂と視線が交差する。派手な餌を置けば食いつく」
「……殿下、言い方が露骨です」
「お前の得意分野だろう。奴を泳がせ、証拠を掴ませろ」
「はい。餌も用意します。派手で、目立ち、本人が喜んで持ち歩く類の物を」
◇
学園交流パーティー、当日。
私は本日の主役にして、最高の囮であるイザベラ様に、一冊のファイルを渡していた。
表紙には『極秘:王都地下水路・完全図面』と、あからさまに書かれている。
もちろん、私が適当に描いたダミーだ。
「いいですか、イザベラ様。このファイルは絶対に肌身離さず持っていてください。『誰にも見せてはいけない』と言われれば言われるほど、見たくなるのがスパイの心理です」
「分かったわ! 要するにこれを、あのチャラ男に見せびらかせばいいのね?」
「……結論としては、そうなります」
イザベラ様は「任せなさい!」と胸を張り、真紅のドレスを翻して、パーティー会場へ優雅に消えていった。
なお、イザベラ親衛隊である取り巻きたち(B〜K)は、私が事前に手配した『隣室の限定スイーツ食べ放題会場』に隔離してある。
あの鉄壁ガードがいると、フレデリック王子が接触できないからだ。
そのため、今日のイザベラ様は、あえて『無防備な一羽の孔雀…いや、火の…一輪の花』でなければならない。
そして、フレデリック王子の注意を引きつけ、盗みを働かせる隙を作ること。
あの派手さと、無防備さと、そして『極秘』と書かれたファイルを小脇に抱えた姿。
スパイからすれば屈辱より任務が上。
これほど美味しそうなカモはいないだろう。
会場の影で、アレクセイ殿下がグラスを揺らしながら呟く。
「――来たな」
「はい。視線が完全にイザベラ様に固定されていました」
「イザベラは公務の一環として堂々と動く。こちらとしては助かるというものだ」
「あとは手を出した瞬間を押さえるだけです」
◇
パーティー会場の喧騒を背に、バルコニーは夜景用の薄明かりだけが落ちていた。
暗い。だからこそ、こちらの仕掛けも見えにくい。
案の定、フレデリック王子は、イザベラ様に接触していた。
「やあ、イザベラ嬢。今夜の君は、夜空に咲いた一輪の薔薇のようだね」
「あら、また貴方? ……まず減点。比喩が安いわ。薔薇なんて誰にでも言えるもの」
「えっ?」
王子の笑顔が引きつるが、イザベラ様は止まらない。
「次に、声のトーン。相変わらず甘すぎるわね。砂糖菓子は一口で十分。それに距離が近い。レディの周囲一歩は不可侵領域よ。お下がりなさい」
「き、厳しすぎるんじゃないかな……?」
「まあ当然よ。今日のドレスには真紅のルビーを砕いて織り込んだ、燃える孔雀……ではなく、『不死鳥の羽』を表現しているもの。生半可な覚悟で近付けば、火傷しますわよ?」
イザベラ様はバサッと扇子を開き、彼を威嚇した。
普通の男なら、ここで心を折られて退散するだろう。
だが、フレデリック王子の目は死んでいない。
彼はイザベラ様の言葉(罵倒)を聞き流し、小脇に抱えているファイルに釘付けになっていた。
王子は「お下がりなさい」という命令を無視し、逆に一歩踏み出す。
「手厳しいね。でも、そんな君のことをもっと知りたいんだ。その脇に抱えている『大切そうなもの』も含めてね。……そうだ。二人きりで静かな場所に行かないかい?」
「却下よ。美は公開してこそ価値があるの。それで、このファイルも気になるのかしら?」
「そうさ。君のことも、そのファイルの中身もね」
「まあ、大胆な殿方ね」
この時、イザベラ様は盛大に誤解していた。
王子が知りたがっているのは機密ではなく、自ら挟んでおいた『麗しき私・ポートレート集』だと思い込んだのだ。
「いいわ。でも、タダでは見せないわよ? 私の美学についてこられるかしら?」
「もちろんさ。君の美学なら、僕は最後まで付き合うよ。じゃあ僕がエスコートしよう。君の美学の講義室へ」
王子がニヤリと笑い、イザベラ様の腰に手を回そうとした、その瞬間。
「そこ! 姿勢が悪いわ!」
バチンッと、イザベラ様の扇子が王子の背中を打った。
「痛っ……!」
「エスコートする時の背筋が曲がっているわよ! もっと丹田に力を入れなさい! そう、アレクセイ殿下のように!」
「い、いや、僕は……」
「口答えしないの! もっと胸を張りなさい!」
いつの間にかバルコニーは、イザベラ様による『スパルタ・エスコート教室』と化していた。
王子はファイルに手を伸ばすどころか、強制的にスクワットまでさせられている。
「美しい姿勢は筋肉からよ!」という持論を展開するイザベラ様の前に、稀代のプレイボーイはタジタジになった。
疲労困憊したフレデリック王子は、イザベラ様が「少し水を飲んでくるわ」と、席を外した隙を見逃さなかった。
椅子の上に置き忘れたファイル。
王子は素早い手つきでファイルを掴み、中身を確認しようと開く。
「いただいたぞ……」
だが、勝利の笑みを浮かべた王子の顔が、次の瞬間凍りついた。
ファイルの中にあったのは、地下水路の図面でも、国の機密書類でもなかった。
それは一枚の羊皮紙。
そこには大きな文字でこう書かれていた。
『請求書:慰謝料、及びスパイ活動に伴う特別課徴金一式』。
「は……?」
王子が呆然とする中、バルコニーの照明が一斉に点灯する。
「こんばんは、フレデリック殿下。お買い物ですか?」
カーテンの裏に隠れていた私と、反対側からアレクセイ殿下が近衛兵を引き連れ、完全に包囲した。
「リ、リリアナちゃん……? こ、これは何かの冗談かな?」
「冗談? いいえ、正当な商取引です」
私は眼鏡を押し上げ、電卓を片手に歩み寄る。
「殿下、貴方はこの数週間、我が国の重要人物の親族である女性15名に対し、結婚をほのめかす詐欺的な言動を行いました。これを『精神的苦痛』として換算し、一名につき金貨100枚、計1500枚」
私は電卓を叩く。
「さらに現在その手に持っているファイル。これは我が国の王家紋章が押された極秘指定の官給品です。これを無断で持ち出そうとした行為は、窃盗及びスパイ防止法違反に該当します」
「ま、待て! 僕はただ中身を見たかっただけで……」
「中身? ああ、これのことですか?」
私はファイルから、イザベラ様のポートレート写真を取り出して見せた。
雪山をバックに、白孔雀のドレスで天を仰ぐイザベラ様。
その下には達筆なサインで『美の頂、ここに極まれり』とポエムが添えられている。
「これを見たかったのですか? 限定版の非売品ブロマイドですが」
「ち、違う!」
「言い逃れは無用だ、フレデリック」
アレクセイ殿下の言葉に、王子の顔から血の気が引いていく。
だが、腐っても一国の王子であり、スパイ。
一瞬の動揺の後、王子はニヤリと口角を上げた。
「……証拠? それが、どうしたんだい?」




