第十九話 王室派遣・留学生指導官
王宮、王太子執務室。
積み上げられた書類の山を前に、私はふと数日前まで滞在していた雪山を思い出していた。
今朝届いたクルトさんからの手紙によれば、入れ違いで到着した『新しい取り巻き(L〜U)』たちは、現場に到着するなり、すぐさま投入されたらしい。
私の作ったマニュアルとイザベラ様の謎のメモを片手に、鬼となったクルトさんの指示の下、泣きながらも懸命に頑張っているそうだ。
……強く生きてほしい。
一方、イザベラ様はといえば、王都に着くなり『美容のためにエステに行くわ!』と嵐のように去っていった。
私の代休(仕事)も終わり、こうして激務の日常が戻ってきたわけだが。
「手が止まっているぞ、リリアナ」
向かいの席から、アレクセイ殿下の声が飛んできた。
「失礼しました。雪山の空気を思い出しておりました」
「もう終わったことだ。切り替えろ。そういえば来週には、ガラント王国から留学生が来るのだったな」
「はい。第二王子フレデリック殿下です」
私は手帳を開き、スケジュールを確認する。
すでに外務省との調整は済んでいるが、殿下の表情はどこか優れない。
「名目は『我が国の教育制度の視察』及び『短期留学』となっているが」
「何か、裏があるのです?」
「ああ、あいつはかなりの『女好き』で有名らしい。本国でも数々の浮名を流し、婚約破棄騒動まで起こしかけたとか。実質的な『国外追放』に近い休暇だろう」
「……それはまた、厄介な方が来ますね」
「そこでだ」
殿下はニヤリと楽しげに私を見た。
……嫌な予感がする。
背筋に寒気が走った。
「奴が視察のために『学園』へ通う一ヶ月間、学園の女子生徒を守るための監視役が必要だ」
「まさか……」
「期待しているぞ、リリアナ。お前を『王室派遣・留学生生活指導担当官』として学園へ送り込む」
「指導官ですか……?」
「そうだ。生徒としてではなく、教職員側の立場で奴を監視しろ。お前のその鉄壁の『事務的塩対応』で、チャラ男王子を更生させてやれ」
やはりか……卒業して、ようやく解放されたと思った学園に、まさか『指導官(先生役)』として戻ることになるとは。
私の平穏な日々は、いつになったら来るのか。
「承知いたしました。特別メニューでお迎えして差し上げます」
私は新しいファイルを取り出し、『対チャラ男王子撃退マニュアル』と表紙に書き込んだ。
◇
数日後。王立学園正門前。
その男が現れた瞬間、無数のバラの花びらが、どこからともなく舞い散る。
黄色い悲鳴を上げる女子生徒たちの間を縫って、彼は颯爽と馬車から降り立った。
「やあ、子猫ちゃんたち。今日も太陽が眩しいけれど、君たちの笑顔ほどじゃないね」
蜂蜜色の巻き毛、甘いマスク、そして着崩した制服。
隣国ガラント王国の第二王子、フレデリック・ド・ガラント。
通称『歩くフェロモン散布機』である。
学園の歓迎式典の最前列で、私は頭痛を堪えながら、隣のアレクセイ殿下に小声で報告する。
「殿下、前情報通りですね。到着からわずか3分で、すでに5人の令嬢と連絡先(手紙の送り先)を交換しています」
「ふん、発情期の猿め。神聖な学び舎を婚活パーティー会場と勘違いしているらしいな」
アレクセイ殿下は汚いものを見る目でフレデリック王子を睨んだ。
今回、フレデリック王子は『短期留学』という名目で我が国に来ている。だが、その真の目的が「自国の婚約者候補たちから逃げ出し、異国で羽根を伸ばすため」であることは、事前の諜報活動で把握済みだ。
「リリアナ、作戦通りに頼むぞ」
「承知いたしました。気が重いですが、仕方ありません」
私は眼鏡の位置を直し、バインダー(角が鋭利な特注品)を抱え直した。
今回の私の役職は、『王太子補佐官』兼『留学生生活指導担当官』。
要するに、このチャラ男のお守り役である。
◇
式典終了後、サロンにて。
フレデリック王子は、早速ソファでくつろぎながら、学園の令嬢たちにウィンクを飛ばしていた。
「フレデリック殿下、今後のスケジュールについてご説明があります」
私が事務的に声をかけると、彼はゆっくりとこちらを向いた。
その瞳が、私を上から下まで値踏みするように舐め回す。
「おや? 君は……アレクセイ殿下の秘書官だっけ? 名前は?」
「リリアナ・フォレストです。まず本日の講義ですが……」
「リリアナちゃん、か。堅苦しい話は無しにしようよ」
フレデリック王子が立ち上がり、滑らかな動きで私に接近してきた。
そして――ドンッ!
私の背後の壁に手をつき、顔を近付けてきた。
いわゆる『壁ドン』だ。
「その眼鏡は外した方が可愛いと思うな。ねえ、講義なんてサボってさ、僕と街へ繰り出さないかい? 君に似合うドレスを買ってあげるよ」
甘い吐息がかかる距離。
普通の令嬢なら顔を赤らめるところだろう。
だが、私の脳内で作動したのは『ときめき回路』ではなく、『労働災害防止マニュアル』だった。
私は懐から分度器を取り出し、彼の腕と壁の角度を計測する。
「肘の角度120度、壁への加圧推定150ニュートン。殿下、その体勢は肩関節への負担が大きく、また壁紙を汚損するリスクがあります。直ちに中止してください」
「は?」
王子の笑顔が凍りついた。
「それに、今の発言は『セクシャル・ハラスメント防止条例』第3条『業務中の不必要な身体的接触、及び容姿への言及』に抵触します。記録しましたので、後ほどガラント王国大使館へ抗議文を送付させていただきます」
私は手帳にサラサラとメモを取った。
「な、なんだ君は……? 僕の魅力に動じないのか?」
「魅力? いえ、今の私には『業務進行の障害物』にしか見えませんが」
私は眼鏡をクイッと押し上げる。
「殿下、貴方様がどれだけ多くの女性を虜にしようと構いませんが、私の業務時間を奪うのだけは勘弁してください。時は金なり。私の時給は高いですよ?」
フレデリック王子はポカンと口を開け、それから面白そうに口角を上げた。
「へえ……面白いね、君。僕になびかない女は初めてだ」
嫌なフラグが立った気がした。
彼は私の手を取り、甲にキスを落とした。
「決めたよ。僕の留学中の目標は、君のその鉄仮面を剥がして、トロトロの笑顔にさせることにするよ」
(うわっ、面倒くさ)
私は即座にハンカチで手の甲を拭いた。
消毒用アルコールも持ってくるべきだった。




