第十五話 白銀の宝石と雪原に佇む白孔雀
「で、出ましたわぁぁぁ!」
イザベラ様が絶叫し、私に抱きつく。
確かに、男湯の境目にある岩壁の辺りから奇妙な音が響いている。
「おい、リリアナ。聞こえるか?」
壁の向こうから、幽霊よりも恐ろしい冷静な殿下の声が聞こえた。
「殿下、ご無事ですか!? まさか、そちらに幽霊が……?」
「そんなわけないだろう。いや、先ほど背中に何か……そんなことより、これはただの『物理現象』だ。岩壁の隙間を見てみろ」
私はイザベラ様を引きずりながら、岩壁に近付く。
そこには直径10センチほどの穴が開いており、そこから湯気が勢いよく噴き出していた。
「これは……蒸気の逃げ道ですね」
「ああ、地下の蒸気が岩の隙間を抜けるたびに笛のような甲高い音が鳴る。夜は冷え込み、湯気が白く見える。それが人魂のように見えたのだろう」
「ただの蒸気だったってことね……」
安心したのか、イザベラ様が急に強気になる。
「もう、人騒がせな温泉ね! でも、これなら解決策は簡単ね」
「はい。この穴を塞ぐか、逆に『歌う温泉』として売り出すかですね」
「リリアナ、お前ならどうする?」
壁越しに殿下が問う。
私は眼鏡(入浴中もかけている)が曇るのを拭いながら答える。
「そうですね……私ならこの蒸気を使って『温泉蒸し料理』の名物を作ります。音が出るタイミングに合わせて蒸し上がりの合図にするんです。『地獄蒸しプリン』なんていかがですか?」
「プリンだけじゃないわ! 温泉卵も絶対に必要よ!」
「いいですね。ですが『地獄蒸し』では少々おどろおどろしいでしょうか。もっと女性客に響く名前が必要ですね」
「なら『天使のたまご』なんてどうかしら? 私が宣伝するんだから可愛くないとダメよ」
「却下だ。甘すぎる」
「そ、そうですか……でしたら『アルビノのたまご』はいかが!? 私の高貴な白さをイメージして!」
イザベラ様が「これなら文句ないわよね!」とばかりに胸を張る。
しかし殿下は即座に却下する。
「何だ、それは? この温泉郷の名は『白銀』だ。雪景色と湯気をイメージしろ。『白銀の宝石』はどうだ? 高級感が出るぞ」
「あ、それ採用です。さすが殿下、ボッタク……いえ、高付加価値を付けるのがお上手で」
「ん? よく聞こえなかったが、今なんと言おうとした?」
殿下のツッコミを、私は湯の音で掻き消すようにスルーした。
『白銀の宝石』。いい響きだ。それだけで単価を3割は上げられる。
「殿下! もう一つ、私のアイデアを聞いてくださる!?」
イザベラ様が「思いつきましたわ!」とでも言いたげに叫んだ。
「このお湯は美肌効果がすごいですわ! これをボトルに詰めて『公爵令嬢愛用・奇跡の美容水』として売り出すなんていかが!? もちろんパッケージデザインは、私が監修しますわよ!」
「……ふむ。イザベラの知名度を利用するのは悪くない手だ。それも採用してやる」
岩壁を隔てて行われた即席の経営会議。
殿下が当然のように采配を振るっている。
――あの、ここ私の温泉地なんですが?
そんな疑問を抱きつつ、星空の下、湯けむりの中で仕事の話になったが、不思議と疲れは感じなかった。
◇
風呂上がり。
ピカピカになったロビーで、私たちは途中に立ち寄った麓の村で仕入れておいた『地元の特濃牛乳』で乾杯した。馬車に備え付けの『魔導冷蔵庫』のおかげで、キンキンに冷えている。
「ぷはーっ! 最高ね!」
イザベラ様が腰に手を当てて牛乳を一気飲みする。
湯上がり姿は色っぽいが中身はおっさんだ。
アレクセイ殿下も髪を濡らしたまま満足げに瓶を置いた。
「リリアナ、この宿の再建計画だが、俺が一口乗ることにした」
「え?(乗ってもいいか? ではなく?)」
「お前の個人資産だけではリフォーム費用が足りないだろう? 王家からの『投資』という形で資金を出す。その代わり利益の4割は貰うぞ」
「……3割でお願いします(急に!?)」
「3.5割だ。これ以上は譲らん」
「交渉成立です(仕方ない)」
殿下はいつだって容赦ないが、こちらにも譲れない事情がある。修繕費、当面の運転資金、仕入れ……温泉宿は湯さえ出れば回るほど甘い商売ではない。とはいえ、ここで揉めて決裂すれば資金繰りは即死する。
まあ色々と思うことはあるが、資金繰りの問題は解決した。
私はひとまず胸を撫で下ろした。
そこへ、イザベラ様が割って入る。
「勝手に話を進めないでくださる! 私も仲間に入れなさい! 宣伝部長は、この私よ!」
「ああ、はい。イザベラ様には『特別広報大使』の肩書きと、専用のVIPルーム使用権を差し上げます」
「悪くないわ! そうと決まれば善は急げね! 明日の朝一番で宣伝用の写真を撮るわよ! そのために今すぐ特製パックをして、お肌を最高の状態に仕上げなきゃ! お先に失礼するわ!」
イザベラ様は嵐のように騒いだかと思うと、客室へと駆け去っていった。
相変わらずの行動力だ。
ロビーには私と殿下と虫の声だけが残される。
「リリアナ」
ふいに、殿下が低い声で私を呼んだ。
「はい」
「俺たちは多忙だ。いつまでもここで大工仕事の監督をしている暇はない。分かるな?」
「もちろんです。私たちが去った後、現場を指揮する者が必要ということですね?」
「そうだ。明日の最重要課題は、俺たちの手足となって動く『現地の支配人(番頭)』の確保だ。工事の指揮から経営まで、全て丸投げできる優秀な奴を見つけ出せ」
殿下は試すように片眉を上げ、ニヤリと不敵に笑う。
「お前の人を見る目は信頼している。俺の代理が務まるような、タフな人材を期待しているぞ」
「承知しました」
上司からの難題だが望むところである。
可哀想な生贄……ではなく、必ず逸材を見つけてみせる。
私の『温泉慰安旅行』初日は、『温泉宿共同経営プロジェクト』へと姿を変えた。
窓の外に広がる満天の星空を見上げながら、明日の『村人スカウト計画』について思いを巡らせるのだった。
◇
翌朝。
温泉地は見事な快晴に恵まれた。
昨夜の幽霊騒ぎ(蒸気噴出)が嘘のように、雪化粧をした山々が朝日に照らされる。
絶景だ。これを売りにしない手はない。
「リリアナ! もっと光を! レフ板の角度が甘いわよ!」
……まあ、その絶景の前で、謎のポーズを決める公爵令嬢がいなければの話だが。
「はいはい、もっと顎を引いてください。そうです、その『私が世界で一番美しい』という不遜な表情が最高です」
「失礼ね! 『慈愛に満ちた女神』と言いなさい!」
私は朝食もそこそこに、イザベラ様の専属カメラマン(魔導写し絵機係)としてこき使われていた。
つい先ほどまでは『雪原に佇む一羽の白孔雀』というテーマで優雅に撮影していたのだが、今の彼女は違う。
バスタオル一枚で雪の中に立つ公爵令嬢。
普通なら凍死案件だが、彼女の体内からは常に熱いパッションが放出されているため、寒さは感じないらしい。
パシャリ、パシャリと数枚撮影し、私は頷く。
「終わりました。素材は十分集まりましたので、これより『村人スカウト作戦』を開始します」
「ふぅ、ようやくね。私の美しさがフィルムに収まりきったか不安だけど」
イザベラ様が優雅に髪を払う。
そこへ周辺地形調査から戻ったアレクセイ殿下が合流した。
「リリアナ、準備はいいな。午前中までにケリをつけるぞ」
「はい。目星はつけてあります」
私が答えると同時に、アレクセイ殿下の視線が、「このほうがよかったかしら?」とポーズを決めているイザベラ様に向けられた。
バスタオル一枚。
露わになった白い肌。
本来なら目のやり場に困るか、あるいは鼻の下を伸ばす場面だ。
イザベラ様もそれを期待してか、バサァッと無駄にタオルを孔雀のようにはためかせ、流し目を殿下へ送る。
「あら、殿下。お戻りでしたの? 撮影は今しがた終わりましたのよ。残念ですわ。私の輝くような美肌をもっとお見せして差し上げたかったので――」
「おい、イザベラ」
殿下は、氷点下の雪原よりも冷たい声で遮った。
「なんでしょうか、殿下?」
「二の腕に鳥肌が立っているぞ」
「えっ?」
「アップで見れば修正が必要なレベルだ。商品価値が下がる」
「鳥肌ですって!? こ、これは武者震いですわ!」
「どうでもいい。リリアナ、その『鳥肌の立った肉』を直ちに収納しろ。風邪でダウンされて作戦に支障が出ても迷惑だ」
殿下はそれだけ言い捨てると、踵を返した。
凍りつくような空気。
だが、殿下の背中が見えなくなった瞬間、イザベラ様はうっとりと頬を染めて身悶えた。
「ねえ聞いた、リリアナ? 『直ちに収納しろ』ですって!」
「は、はい。早く服を着させろという意味ですね」
「違うわ! 『俺以外の男に、その美しい肌をこれ以上見せるな』って嫉妬したのよ! なんて情熱的な独占欲かしら!」
「……(すごい翻訳力だ)」
イザベラ様は「キャー!」と叫び、雪原にダイブせんばかりの勢いで喜びを表現した。
「はいはい、凍死されると困りますので。着替えますよ、イザベラ様」
しばらくして馬車で雪道を下り、昨日牛乳を購入した麓の小さな寒村――『コルカ村』へと向かった。
三が日も最後ということで、三本目を21時に投稿します




