第十二話 計算外の乱数
本日、17時も投稿します。
「お待ちなさい!!」
「……イザベラ、来たか」
アレクセイ殿下が眉をひそめる。
イザベラ様を呼んだのは私だ。
論理が通じない相手には、論理の外から来る乱数をぶつけるに限る。
ただ、ここまで豪快に踏み込んでくるとは想定外だったが。
「失礼いたしますわ! どうしても黙っていられなくて!」
イザベラ様は警備兵を振り切り、ためらいなく皇帝の御前へ進み出た。
ディミトリ皇帝が目を丸くする。
シルヴィアが殺気立ち、席から立ち上がった。
「無礼者! 皇帝陛下の御前です! つまみ出しなさい!」
衛兵たちが動こうとした、その瞬間だった。
「待て」と一言。しかし低く、絶対的な威厳を含んだ声が響いた。
アレクセイ殿下だ。
殿下はグラスを置き、鋭い眼光で衛兵たちを制した。
「シルヴィア補佐官、ここは王国の王宮であり、私の会議室だ。誰を退室させ、誰の発言を許すかは、私が決める」
「で、ですが、殿下! この者はただの部外者です!」
「部外者などではない。彼女は我が国を代表する公爵令嬢であり、この国の文化の体現者だ。続けろ、イザベラ。その『黙っていられない理由』とやら、私が聞いてやる」
「さすが殿下、話が早くて助かりますわ! ふふん。私のことを国の誇りと分かっていらっしゃるのね! それなら遠慮なく、黙っていられない理由を申し上げますわ!」
イザベラ様が殿下に優雅にウィンクを飛ばすと、扇子でシルヴィアを指差した。
「そこのガリ勉片眼鏡!」
片眼鏡の奥で、シルヴィアの瞳が冷たく光る。
ガリ勉片眼鏡。帝国の頭脳に対し、なんという暴言。
だが、イザベラ様の立ち振る舞いは、なんとも頼もしく見える。
「貴女たち! 本当にあの森を切り倒すつもりなの!?」
「こ、これは経済合理性に基づく決定よ」
シルヴィアが、イザベラ様の圧で一瞬戸惑う。
「合理性ですって? 馬鹿を言わないで! あの森にはね。世界で唯一の『黄金蚕』が生息しているのよ!」
イザベラ様が叫んだ。
――黄金蚕。王国の繊維商なら誰もが知るが、外交資料には載らない類いだ。
(イザベラ様の独自ルートかな?)
「私のこのドレスを見なさい! この美しい光沢! これこそが、黄金蚕の糸で織られた我が国の最高級シルクよ! あの森が無くなれば、このドレスも作れなくなってしまうわ!」
イザベラ様は、その場でくるりとターンすると、生地が光を受け、黄金にきらめいた。
確かにそのドレスは無駄に派手だが、生地の質は極上だ。
「それが何だと言うの? そのような衣服は、ただの贅沢品でしょう。道路の利益には及ばないわ」
「ただの贅沢と名付ければ消していいと? 片眼鏡は随分と便利な言葉をお持ちですこと!」
イザベラ様の纏う空気が変わった。
単なるワガママ令嬢ではない。自らの美意識に絶対の自信を持つ、誇り高き貴族の覇気がそこにある。
「いいこと、片眼鏡。貴女の言う『合理性』とやらで世界を埋め尽くしたとして、何が残りますの? 効率的な道路、安い食料、無機質な街並み……それで国民は『心』まで満たされると思って?」
「それは……」
「愚かな人ね。人はね、パンだけで生きるにあらずよ。美しいもの、心震えるもの、あるいは私のように『無駄に煌びやかなもの』を見て、初めて『生きていてよかった』と思うのよ! その『豊かさ』を切り捨てて、何が国家経営ですの!」
イザベラ様の言葉が、会議室の空気を震わせる。
私は息を呑んだ。『文化』という数値化できない価値。それを守れるのは理屈を超えた愛と執着を持つ人だけだ。
そして、その価値を即座に理解し、武器に変えることができる男がここに一人いる。
「聞いたか、ディミトリ皇帝」
アレクセイ殿下が静かに口を開いた。
彼は椅子に深く座り直し、皇帝を真っ直ぐに見据える。
「彼女の言葉が感情論に聞こえるか? 私はそうは思わない。これこそが『統治』の本質だ」
「その通りですわ! よく聞きなさい、片眼鏡! 帝国の貴婦人たちが、なぜ夜会でマウントを取り合えると思っているの? このシルクや、希少な香木を使った香水があるからでしょう! それを生産しているのが、あの森なのよ! もし森を潰せば、帝国の貴族社交界から『新作ドレス』と『限定香水』が消えるわ!」
イザベラ様は、皇帝までも睨みつける。
「陛下! 皇后陛下や宮廷のご婦人方から『なぜ、あの可愛いドレスが手に入らないの!?』と、ヒステリーを起こしたら、貴方はどう責任を取るおつもりです!? 毎晩、寝室が戦場になりますわよ! それでも平気ですの!?」
「……皇后がヒステリーを起こすのか?」
「ええ、間違いなく! 買い物の恨みは、国の予算より恐ろしいのですわ!」
「なっ……」
皇帝の脳裏に、何か恐ろしい記憶が蘇ったらしい。
あの冷徹な皇帝が額に冷や汗を浮かべる。
その隙を、アレクセイ殿下は見逃さなかった。
殿下は立ち上がり、ゆっくりと皇帝のテーブルに手をついた。
「ディミトリよ、これが『魅力の支配』だ。武力でも経済でもない。我が国の『美』と『文化』が、すでに帝国の深層心理……いや、貴族社会の基盤を侵食しているのだ。もし森を焼き払えば、貴国は『道路』を得る代わりに、国内の半数、すなわち女性たちを敵に回すことになる。物流コストの30%削減と、宮廷の安定。天秤にかけるまでもないのでは?」
皇帝が息を呑んだ。
イザベラ様のヒステリー予告を、殿下が冷徹な政治リスクへと翻訳したのだ。
だが、皇帝の瞳に宿ったのは単なる恐れだけではなかった。
「文化支配か……」
皇帝が独り言のように呟いた。
「武力でも経済でもない。他国の『美』が、我が国の深層心理に入り込んでいる……。それを絶てば我が国の社交界そのものが枯死し、内部から不満が噴出するか。……シルヴィア、我々は計算を間違えたかもしれん」
「陛下……?」
「計算し直せ。もしもだ。『帝国への嗜好品輸出』が停止した場合、国内の貴族院、特に婦人会からの支持率はどうなる?」
シルヴィアが慌てて計算を始める。
高速で電卓を叩く彼女の指は未だ乱れない。
「データ照合中……。帝国の輸入高級品の6割が、あの森の産物に依存しています。もし供給が止まれば、貴族院における婦人派閥の反発は極大……最悪の場合は宮廷クーデター。あるいは陛下の家庭内別居のリスクが80%を超えますわ」
「……家庭内別居は困る。非常に困る……」
皇帝が深刻な顔で呟いた。
どうやら皇帝は意外と愛妻家(あるいは恐妻家)らしい。
私はその隙を逃さず畳み掛ける。
「さらに申し上げますと、その黄金蚕の糸は、魔導機器の絶縁体としても極めて優秀です。単なる贅沢品ではなく、軍事転用も可能な戦略物資。それを自らの手で潰すのは合理的とは言えませんが?」
後付けの理屈だが、イザベラ様の『感情論』に『実利』をトッピングすれば、最強の論理となる。
シルヴィアが呆然と立ち尽くした。
彼女の完璧な計算式には、『女性の買い物欲』という名の『文化への渇望』という変数が抜け落ちている。
「……認めるわ。森の伐採案は撤回します。でも代案を出すわ。迂回ルートの拡張工事、その費用と工期の負担割合を今ここで決めましょう。帝国は『遅延』を嫌うの」
伐採は止まり、こちらの土俵に引きずり出した。
アレクセイ殿下が口元だけで笑い、私に小さく頷いた。
そしてイザベラ様は「当然よ!」と高笑いしながら、皇帝に向かって言い放つ。
「分かればよろしいのよ! ついでに、その古臭いマントも新調なさいな! 私の馴染みの店を紹介してあげてもよくてよ!」
……なんて恐ろしい人(孔雀)だ。
皇帝相手に服のダメ出しまでするとは。
この人こそが、国一番の最終兵器かもしれない。
だが、そんな彼女の背中が、少しだけ眩しく見えた。
◇
会談は我が国に有利な条件で妥結した。
帝国の使節団が帰る際、シルヴィアが私の元へやってきた。
「……リリアナ」
「はい、シルヴィア様」
「貴女の勝ちよ。まさか、あのような『非論理的な爆弾』を隠し持っているとは思いませんでした」
彼女は馬車の中から、イザベラ様(まだ皇帝にファッション指導をしている)を忌々しそうに見つめた。
しかし、その瞳には、かつてのような冷たい軽蔑の色はなかった。
「ですが勉強になりましたわ。論理だけでは測れない価値がある。効率だけを突き詰めた先にあるのは、きっと色のない世界なのでしょうね」
シルヴィアは自嘲気味に笑った。
その笑顔は鉄女の仮面が剥がれた、一人の疲れた女性のものだった。
「猫との昼寝と言ったかしら?」
「はい」
「悪くない夢ね。私も少しだけ考えてみることにするわ。皇帝陛下の脳漬け計画は、私の『非合理的なワガママ』で拒否させてもらうわ」
シルヴィアは初めて柔らかい笑みを見せた。
そして私に小さな紙片を差し出してきた。
「これは私のプライベートの連絡先よ。……計算に疲れたら、愚痴くらいは聞いてあげるわ」
「ありがとうございます。こちらこそ、家庭内別居の危機回避策が必要なら、いつでもご相談を」
「ふふ、その時があれば、そうさせてもらうわ」
馬車が走り去る。
私は馬車を見送りながら、ポケットの中の『温泉地権利書』を握りしめた。
この権利書もただの紙切れではない。私が家族と過ごす未来の温かい時間の結晶だ。
そう思えば、ボロボロになるまで働いた日々も、決して無駄ではなかったと思える。
「リリアナ、よくやった」
背後からアレクセイ殿下が声をかけてきた。
彼は満足げに頷き、私の肩をポンと叩いた。
「イザベラという劇薬を使いこなし、帝国の論理を内側から崩壊させるとはな。お前を私の補佐官に選んだ目利きに、我ながら惚れ惚れする」
「殿下、それは私を褒めているのですか? ご自身を褒めているのですか?」
「両方だ。だが礼を言う。お前のおかげで、私も『王の器』というものを一つ学んだ気がする」
珍しく素直な言葉に、私が驚いて目を丸くすると、殿下は照れ隠しのように顔を背けた。
「イザベラを投入するタイミング、完璧だったぞ。おかげでディミトリの弱点(恐妻家)まで知ることができた」
「はい。ですが、一つ問題が」
「まだ何かあるのか?」
「はい。イザベラ様が今回の報酬として、『私も一緒に温泉に行きますわ!』と言い張っているのですが」
殿下は顔を引きつらせた。
「それは……」
「殿下も道連れですよ? 『殿下の背中を流す特権』を要求していましたから」
殿下の顔色が皇帝と同じぐらい蒼白になった。
そして、私の安息の日々はまだ遠いらしい。
でも、まあいい。
騒がしい公爵令嬢と、俺様王子、そして有能な私。
『効率』も『論理』も通用しない、奇妙なトリオでの温泉旅行も案外悪くないかもしれない。
私は眼鏡を外し、青い空を見上げた。
さあ、まずは溜まった代休の消化からだ!




