【番外編】謹賀新年、それは愛と破壊とお金
大陸暦2026年、1月1日。
王宮の正月は静寂から始まる、はずがない。
世間は新年の祝賀ムードに浮かれ、寝正月を決め込んでいる時間帯だが、王太子執務室は、いつも通りの稼働音に包まれていた。
「シュパッ、シュパッ、シュパパパパパッ」
「タンッ、タンッ、タンタタタタタタタッ」
私が書類をめくる音と、アレクセイ殿下が決裁印を叩きつける音だけが、小気味よいリズムを刻む。
「リリアナ、東方諸国からの年賀の書状だ。返礼の草案は?」
「作成済みです、殿下。相手国のランクに合わせて、松・竹・梅の3パターン用意してあります。特に貿易摩擦が懸念されるガレリア国へは、皮肉を2割増量した『特製・梅』を送るのがよろしいかと」
「ふん、性格の悪い文面だ。採用」
殿下はニヤリと笑い、私の作った草案にサインをする。
私たちは視線も合わせず、阿吽の呼吸でタスクを消化していた。
なぜ、元旦から働いているのか。
答えはシンプル。
――『正月特別手当』。
基本給の300%増し。さらに食事・おやつ付き。
この甘美な響きが、私をコタツの魔力から引き剥がし、職場へと駆り立てたのである。
今日の私は呼吸するだけで、チャリン、チャリンと小銭を稼ぐ集金マシーンだ。
「平和だな」
殿下が窓の外の雪景色を見ながら呟く。
「はい、とても平和です(稼ぎ時です)」
私は眼鏡を中指で押し上げ、口元だけニヤリと微笑んだ。
このまま夕方まで静かに業務が進めば、私の懐も温まり、国の行政も滞りなく進む。
まさにウィン・ウィンの関係、そのはずだった。
平和協定(私の皮算用)を粉砕する甲高い絶叫と共に、執務室の重厚な扉が、「バンッ!」と蹴破られた。
「お待ちなさい!!」
「チッ、今年は大凶か」
「殿下、大凶ではなく『孔雀』です」
砂煙の向こうから現れたのは、目も眩むようなド派手な振袖に身を包んだ、公爵令嬢イザベラ様だ。
着物の柄まで、まさかの『孔雀』。
金糸と銀糸で刺繍された孔雀が、彼女の動きに合わせてギラギラと光を反射している。
帯留めには拳大ほどのルビー。
髪には本物の孔雀の羽根に加え、隙間がないほど無数の金簪が突き刺さっている。
歩くたびにそれらが触れ合い、カチャカチャと賑やかな音が鳴る。
その姿は、福と富を過積載した『歩く宝船』だ。
「リリアナ! アレクセイ殿下! あけましておめでとうございますわ! って、なぜ新年の挨拶に来てくれませんの!?」
「仕事だ」
「稼ぎ時ですから」
私と殿下が即答すると、イザベラ様は「キーッ!」と地団駄を踏んだ。
「いいこと!? 一年の計は元旦にあり! 今日くらいはパーッと遊ばないと、一年中シケた顔で過ごすことになりますわよ! つまり、新年会ですわ!」
「仕事の邪魔だ、帰れ」
「新年早々、殿下は初日の出より眩しく麗しいですが、帰りませんわ! 今日はとっておきの『軍団』を連れてきましたのよ! みんな、入りなさい!」
イザベラ様がバチンと扇子を鳴らす。
その合図と共に、廊下から地響きのような足音が近付いてきた。
「新春のお慶びを申し上げますわ!」(取り巻きB・C)
「お召し物が世界一似合っておりますわ!」(取り巻きD・E・F)
「重箱とお神酒をお持ちしました!」(取り巻きG・H・I)
「今年もよろしくお願いしますの!」(取り巻きJ・K)
雪崩れ込んできたのは、色とりどりの着物を着た総勢10名のイザベラ親衛隊こと、取り巻き軍団。
彼女たちは瞬く間に執務室の来客用ソファとローテーブルを占拠し、手際よくテーブルクロスを敷き、巨大な重箱を積み上げた。
「リリアナ、警備は何をしている?」
「顔パスです。彼女たちの実家は、食品卸、繊維業、土木建築など、王都の流通を牛耳る商家の娘たち。下手に追い返せば、明日の王宮の食堂からメニューが消えます」
「厄介な連中だ」
殿下が眉間を押さえた、その一瞬の隙を狙い、イザベラ様が、私の手からペンをひったくった。
「仕事は終わりですわ! まずは腹ごしらえよ! リリアナ、どうせ貴女は朝からカフェインしか摂ってないのでしょう?」
「うっ……図星です」
「ほら、座りなさい! 殿下もですわ! 次期国王が空腹で倒れるなんて、国益を損ねます!」
「国益……?」
「ええ。ですから、仕方なくお休みなさいませ。『ローゼンバーグ家特製・開運おせち』を振る舞って差し上げますわ!」
イザベラ様が、ドヤ顔で重箱の蓋を開ける。
そこには、私の想像を超える光景が広がっていた。
一の重:伊勢海老(殻が銀箔でコーティングされ、見た目ダイヤモンド)
二の重:黒豆(一粒一粒に『寿』の文字が金粉で書かれている)
三の重:のし鶏(孔雀の形に整形されている)
四の重:栗きんとん(栗は普通だが、金箔厚塗りで、ほぼ金。食べると口の中が財務省)
「……色々とツッコミどころが満載ですが、食材は超一級品ですね」
「当然よ! そして極めつけは、五の重!」
イザベラ様がうっとりとした顔で、最後の段を開けた。
五の重:アレクセイ殿下への『婚姻届』(記入済み・ホワイトチョコ製)
真っ白な食べられる紙に、イザベラ様の名前と拇印が、チョコペンとストロベリーチョコペンで鮮烈に記されていた。
殿下の署名欄だけが空欄になっている。
「……五段目が一番重い(物理的にも精神的にも)ですね」
「あら、食べてしまえば契約完了ですわよ? 殿下の胃袋から法的に外堀を埋める作戦ですの!」
「まずは毒見役を呼べ」
殿下は引き攣った顔をしているが、イザベラ様はお構いなしに箸を渡した。
私も隣に座り、婚姻届以外の料理に箸を伸ばす。
……美味しい。
悔しいが味は絶品だ。これだけの料理を王都の料亭で頼めば、金貨10枚は下らないだろう。それがタダ(福利厚生?)で食べられる。
やはり、イザベラ様は最高の元上司だ。
「美味しいです、イザベラ様」
「当然よ! さあ、殿下も! これを食べれば、今年一年、私の愛に包まれて過ごせますわよ!」
「呪いのような効能を言うな」
殿下は渋々といった様子で、銀箔まみれの伊勢海老を手に取った。
「……美味い。余計な装飾はさておき、『縁起担ぎ』としては『悪くない』。手間をかけたな、イザベラ」
「縁起担ぎとしては悪くない……縁担ぎ……縁……」
イザベラ様が、ぱちりと瞬きをした。
そして次の瞬間、頬がみるみる薔薇色に染まっていく。
「き、聞いた、リリアナ! 今の……今の殿下のお言葉を!!」
「はい、美味いと。それから『縁起担ぎ』としては悪くない、ですね」
「殿下、今……縁を結ぶと仰いましたわね!? しかも私のために手間をかけたと! これはもう、実質――」
「違う。落ち着け」
「照れ隠しですわ!!」
「翻訳精度が今年も壊れておられます」
その後、口では悪態をつきながらも、私と殿下の皿に、次々と料理を盛るイザベラ様。
根が世話焼きなのだ、この人は。
取り巻きたちが、「イザベラ様の慈悲深さは海より深いですわ!」と囃し立てる中、私たちは束の間の宴を楽しんだ。
だが、嵐は食後にやってきた。
「では、お腹も膨れたところで、メインイベントですわ!」
イザベラ様が立ち上がり、着物の袖をまくり上げた。
その手には禍々しい装飾が施された、巨大な羽子板が握られている。
「イザベラ、それは何だ?」
「羽根つきですわ、殿下! 王宮の新年と言えば、古式ゆかしい羽根つきバトル! 負けた者の顔に墨を塗りたくる、血と屈辱のデスマッチですの!」
「俺は忙しい」
「あら? 逃げるんですの? 『氷の貴公子』と恐れられるアレクセイ殿下も、私と遊ぶのが怖いと?」
イザベラ様が挑発的な笑みを浮かべる。
だが、その瞳の奥には「もっと構ってほしい」という駄犬(駄鳥)のような期待が見え隠れしていた。
殿下の眉がピクリと跳ねる。
「ほう……誰に向かって口を利いている」
「自信がないなら結構ですわ。私が『不戦勝』ということで王都中に言いふらしておきますから。『殿下はイザベラに恐れをなして尻尾を巻いて逃げた』、と」
上手い。そこまでして、殿下と羽根つきがしたいとは。いや、彼女なりの愛の育み方か。
「面白い……」
殿下が立ち上がった。
その背後から、凍てつくような魔力が立ち昇る。
「その減らず口、墨で塗り潰してやる。リリアナ、羽子板を用意しろ」
「はい(業務命令ですので)」
私は予備の羽子板(来客用の普通のもの)を殿下に手渡した。
執務室の中央、高級絨毯が敷かれたスペースが、即席の闘技場へと変わる。
「ルールは簡単ですわ! 羽根を落とした方が負け! 先に3本取った方の勝利ですの!」
「いいだろう、始めろ」
対峙する二人。
片や、愛ゆえに暴走する孔雀令嬢。
片や、売られた喧嘩は買う次期国王。
審判は私。観客は、扇子とおひねりを構えた取り巻き軍団。
「では、一本目……始め!」
私の合図と共に、イザベラ様がサーブを放つ。
ドンッ!!
羽子板とは思えない重低音が響いた。
ふわりと山なりに飛ぶはずの羽根が、空気を切り裂く音を立て、直線的に殿下の顔面へ迫る。
「くッ……!」
殿下は最小限の動きで首を傾け、それを回避しつつバックハンドで打ち返す。
ガギィッ!!
金属音がした。
殿下の打ち返した羽根は、目にも留まらぬ速さでイザベラ様の足元へ突き刺さる……はずだった。
「甘いですわ! 殿下への愛があれば、軌道くらい簡単に読めますの!」
イザベラ様が着物の裾を翻し、回転レシーブをしたのだ。
無駄に洗練された動き。
ドレス捌きで鍛えた体幹が、こんなところで活きるとは。
だが、これは羽根突きではない。
ラケットの代わりに木の板を使った、愛の殺人テニスだ。
「イザベラ様、素敵ですわ!」(取り巻きB・C)
「愛の力です!」(取り巻きD・E・F)
「殿下も見惚れて手元が狂いましたわ!」(取り巻き(G・H・I)
「これぞ愛の共同作業ですの!」(取り巻きJ・K)
黄色い大歓声が上がる中、鉛仕込みの羽根が、凶器となって殿下を襲う。だが殿下は涼しい顔でそれを打ち返した。
鋭い金属音が響き、高速のラリーが……続くことはなかった。
殿下が打ち返した羽根が、イザベラ様の頭飾り(孔雀の羽)を掠め、その背後にあった『第三代国王ゆかりの壷』に直撃したからだ。
ガシャンッと、盛大な破砕音が新年の執務室に響き渡り、殿下とイザベラ様の動きが止まった。
私は電卓を弾き、無慈悲に告げる。
「試合終了です。国宝級の器物破損により、両者失格。損害額は、金貨500枚です」
「……給料から引いておけ」
「パパに請求しておいて!」
結果、喧嘩両成敗ということで、二人の顔にはたっぷりと墨が塗られた。
殿下のお顔には太い髭が、イザベラ様のお顔には猫の髭が描かれる。
「ふふん、殿下とお揃いですわ!」
「最悪だな……」
顔中墨だらけになっても、イザベラ様は幸せそうに笑っていた。
そして、ふと思い出したように窓の外を指差す。
「そうですわ、殿下! 厄払いに行きましょう、初詣です!」
「この顔でか?」
「墨は魔除けになりますのよ! さあ、リリアナも行くわよ!」
「え、私もですか? 残業代は……?」
「出しますわ! パパがね」
「喜んでお供いたします」
◇
私たちは王都の中央にある大神殿へと向かった。
取り巻き軍団は、「壷の破片を片付けておきますわ!」「お二人の邪魔はしません!」と、気を利かせて留守番をしてくれたため、珍しく三人だけの外出だ。
外は一面の銀世界。
吐く息は白いが、参道は多くの参拝客で賑わっていた。
屋台の香ばしい匂いと、楽しげな喧騒。
殿下とイザベラ様は目立たないよう、フードを深く被っているが、その端正な顔立ちと煌びやかな着物(と顔の墨)で、すれ違う人々が二度見していく。
「殿下、焼きトウモロコシですわ!」
「はしゃぐな。転ぶぞ」
「キャッ!」
言った側から、イザベラ様が雪に足を取られた。
だが、倒れる寸前で殿下の腕が、彼女の腰を支えた。
「だから言っただろう」
「あ、ありがとう、ございますわ……」
「これだから、お前は……」
イザベラ様が真っ赤になってうつむく。
殿下は「全く、お前という奴は」と悪態をつきながらも、その手を離そうとはしなかった――と、イザベラ様にはこのように脳内変換されて見えていただろうが、実際は違う。
「はしゃぐな。転ぶぞ」
倒れる寸前で殿下はイザベラ様の襟首を、まるで猫を摘み上げるように掴んで引き止めた。
「ぐえっ」
「足元のおぼつかない孔雀だ」
殿下はイザベラ様を強引に支えただけであった。
神殿の本堂に着くと、私たちは賽銭箱の前で手を合わせる。
(殿下が逃げませんように! そして今年こそ結婚できますように! あと殿下の健康と、私の美容と、それから……)
イザベラ様の心の声が漏れている。
欲張りすぎだ。
殿下は静かに目を閉じ、何かを祈っている。おそらく国家の安寧あたりだろう。
そして私は――
(家内安全、無病息災。そして何より、金利の低下と特別ボーナスの支給を!)
カランカラン、と鈴を鳴らし、切実に頭を下げた。
参拝を終えた帰り道。
空からは、ちらちらと雪が舞い始めていた。
「楽しかったですわ。また来年も三人で来ましょう」
イザベラ様が、少しはにかんで言った。
殿下は、フンと鼻を鳴らす。
「まあ、悪くはない」
「本当ですの!? 約束ですわよ!」
嬉しそうに殿下の腕に抱きつくイザベラ様。
騒がしくて、手がかかって、どうしようもない元主君だが、その笑顔は雪の中でも温かかった。
「リリアナ」
不意に、殿下が私を呼んだ。
投げ渡されたのは厚みのある封筒だった。
「取っておけ。OTOSHIDAMA(慰謝料及び口止め料込み)だ」
「ありがとうございます!」
私は封の中身をこっそり確認する。
(一、十、百、千……)
カシャン、カシャン、チーン!
私の脳内にある巨大なレジスターが、新年最初のファンファーレを鳴らす。
これなら実家の風呂の修理どころか、弟たちへの仕送りも倍増できる。
割れた壷? 顔の墨?
そんなものは、この金額を見れば些細なエンターテインメントに過ぎない。
王宮の正月は、騒がしくて、破壊的で、そして何より、実入りが良い。
今年も忙しい一年になりそうだが、悪くないスタートだ。
私は小切手をしっかりと懐にしまい、この日一番の『営業スマイル』で言った。
「殿下、本年もよろしくお願いいたします!(今年も稼がせていただきます!)」
私から読者さまへ、ささやかなお年玉。
話を少し修正&エピソード位置を変更しました。




