⑨絶望
——数時間後。
フラフラとした足取りで、辿り着いた場所は、元いた次郎さんの家だ。
引き戸が外れた開けっ放しの玄関をくぐると、食器を片付ける次郎さんがいた。
次郎さんは俺に気付くと、眉毛を釣り上げた。
「にぃちゃん、どこ行ってたんだ? んん? どうした、暗い顔して」
「……え、いや……」
絶望に打ちひしがれた俺は、まともに返事が出来なかった。
すると、家の奥からパジャマ姿のコウタ君が、駆けてきた。
「凄いよ! おにぃちゃんの言った通りだったよ! 3対1で、Y球団が勝ったよ! 予知能力があるんだね!」
「違うよ……未来から来たんだよ……」
意気消沈で答える。
認めたくないが、俺はタイムスリップしたのだ。
なぜなら、そう考えると、全ての合点がいくのだ。
ガックリ肩を落とす俺とは対照的に、コウタ君は興奮気味だ。
「未来の人なの? ねえねえ、じゃあさ、来年はどこが日本一になるの?」
「……1996年だったら、O球団が日本一になるよ」
「そうなんだ! じゃあさ、今メジャーリーグで活躍しているN投手って何勝するの?」
「……えーと、確か日米通算200勝するよ。でもメジャーって言ったらさ、もの凄い選手が出てくるよ。投げては160キロ以上の球で、バシバシ三振を取って、打ってはガンガンホームラン連発する二刀流選手」
「ええっ、二刀流? 凄い!」
コウタ君と話をしていると、しぼんでいた気持ちが、幾ばくか和らいだ。
未来を知っているという事に、優越感を感じたからだ。
「二刀流なんて、凄いね! それって日本人だよね? メジャーで活躍するの?」
「そうだよ。しかも背が高くて、イケメンで……」
ここで、食器を片付けた次郎さんが「おいおいおい…」と、会話に割って入ってきた。
俺とコウタ君の話を、ずっと聴いていたようだ。
「おいおい、にぃちゃん。デタラメ言うなよ。そんな漫画の主人公みたいな奴、いるわけないだろ。何がメジャーで、二刀流だよ」
「父ちゃんは黙ってて! ねえねえ、もっと教えてよ!」
子供は無邪気なものだ。
俺の話に、目をキラキラさせている。
「ねえねえ、未来は何が起こるの?」
「ん、まあ色々あるけど……2011年に大震災が起きるよ。あと2020年に、世界中でウイルスが大流行するよ」
「え? ウイルス? やばいの? 人類が滅びちゃうの?」
「いや、滅びはしないけど。ただ、マスクは沢山買っておいた方が良いよ。ウイルスが日本で広がり始めた時、すぐに完売になったからさ……」
いつの間にか、焼き芋を食べだした次郎さんが、また横槍を入れてくる。
「おいおい、にぃちゃん。世界中でウイルスが流行るとか子供を怖がらせて、からかうなよ」
だって本当の事だから……と、俺は言いたかったが飲み込んだ。
さらに、次郎さんが小声で呟く。
「みんながみんな、マスクするのか? 夏でもか? そんな訳ないだろ。はははっ」
この時代に生きる人にとっては、突拍子も無い話だったのかも知れない。
俺は反論せず、コップに注がれていた、ビールを飲み干した。
全く美味しくなかった。
空になったコップを置くと、座椅子にもたれかかる。
その時、ポケットから何かが落ちた。
音楽プレーヤーだ。
そういえば、バスに乗っている間、ずっと使っていた物だ。
掌に収まるくらいの、薄くて小さな音楽プレーヤーを拾い上げると、コウタ君が顔を近づけてくる。
「何それ? ポケベル?」
「いや、音楽が聴けるんだよ」
「え? こんなに小さいのに? CDもカセットテープも入らないよ」
「いや……」
相変わらずクチャクチャと、不快な咀嚼音をたてる次郎さんが、ニョキッと首を伸ばしてきた。
「何だ、この画面。写真みたいに綺麗だな。ボタンは、どこだ?」
「ボタンっていうか……画面で操作するんです」
俺が液晶画面をタップすると「うわっ、動いた!」と、二人が驚愕の声を出した。
「画面を触って操作するのか? にぃちゃん、本当に未来人みたいだなぁ」
次郎さんが、しばらく慣れない手つきで、画面をタップし始めた。
「ワシな、工場で電化製品とか作っていた事があるんだよ。これは、今の時代には造れないなぁ。にぃちゃんが未来から来たっていう話、案外本当かもしれんな」
どうやら次郎さんが、ほんの少しだけ信じてくれたようだ。
「父ちゃん、僕もやりたい!」と、コウタ君が小さな指で画面をペタペタと触りだした。
俺は興味津々の二人をよそに、仰け反った。
ああ……それにしても、どうしたら2023年に戻れるのだろう。
あてもなく壁を見ていると、神社の絵ハガキが目に入った。
その時、あの小さな神社の事を思い出した。
次郎さんは、何か知っているのだろうか?
俺は尋ねてみた。
「次郎さん、近くに小さな神社がありますよね? 凄く小さな神社」
「……ああ、あれか。分かるぞ。あんな小さい神社、日本中を探しても無いからな、はははっ。ずっと昔からあるぞ」
「その神社で、なんか時空を越えるとか、タイムスリップしたとか、そんな話を聞いた事ないですか?」
次郎さんは顎を掻きながら、斜め上を見つめた。
「そう言えば……ワシが子供の頃、そんな噂があったような気がするな」
やっぱり!
俺は、身を乗り出した。
「俺、あの神社の本堂の中で、タイムスリップしたみたいなんですよ!」
次郎さんとコウタ君が「へえ……」と唸った。
同じ「へえ……」でも、それぞれのトーンは違う。
次郎さんは、半信半疑だ。
コウタ君は、信じているふうだ。
「まあいいや、そろそろ風呂入って寝るか」
俺の話が面倒臭くなったのか、次郎さんは風呂に入るよう促してくる。
「風呂の後、にぃちゃんは俺と寝室で寝なよ」
「あ、はい、どうも……」
コウタ君は二階に上がろうとして、途中で振り向いた。
「おにぃちゃん、明日も未来の話を訊かせてよ!」
「……ああ、いいよ」
俺は力なく、返事をした。
◇ ◇ ◇
風呂から出ると、次郎さんが寝室へと案内してくれた。
そして、用意してくれた布団へと入る。
だが、潜り込んだ瞬間、くしゃみが出た。
よく見ると、布団はシミだらけで埃臭い。
長い間、納屋にでも放り込んでいたのだろうか。
俺は、思わず顔を歪めた。
だが次郎さんは、そんな俺に目もくれず、さっさと寝室の電気を消そうと手を伸ばす。
「じゃあ、おやすみな。にぃちゃん」
「あ、ちょっと次郎さん、この布団……」
パチリ。
聞く耳を持たない次郎さん。
早々と電気の紐を、引っ張った。
本当に、健作さんはマイペースな人だ。
……大丈夫かな?
こんな布団で寝てしまったら、二度と目覚める事が出来ないのでは?
戸惑う俺の耳に、大きな寝息が聴こえてくる。
次郎さんは、もう眠りに落ちたようだ。
仕方がない。
俺は側にあったタオルで、鼻と口を押さえながら、布団に入った。
暖房機が何もなく、寒いからだ。
こんな、粗大ゴミ置き場に捨ててあるような布団でも、無いよりかはマシだろう。
そんな事を思っていると、突然、不愉快な音がした。
ブゥッ。
隣で寝ている、次郎さんのオナラだ。
芋を沢山、食べたからだろう。
ブゥッ。
……まただ。
ブゥッ。
……またかよ。
ブゥッ。
……しつこいぞ。
オナラをする度に、俺は布団を頭から被った。
しかし、次郎さんはオナラだけでなく、イビキも酷かった。
グォォォォン……グォォォォン!
まるで地響きだ。
家の真下を、地下鉄の電車が走っているくらい轟音だ。
テーブルの上にある置き時計が、振動でタカタカと揺れた。
時折、寝言や歯ぎしりまで聴こえてきた。
その上、寝相も悪く、短い足で俺を蹴ってくる。
とてもじゃないが、こんな人の隣では寝れない。
俺は起き上ると、次郎さんを、ひと睨みして部屋を出た。
しかし、家の中を勝手に歩くのは気がひける。
泥棒と思われても困るし。
仕方なく、俺は外へ出た。
サワサワと、草木を揺らす風を受けながら、次郎さんが使っているであろうトラックの側に座った。
背後からは、リーリーコロコロと、コウロギの音が聴こえた。
しばらくすると、辺りが妙に明るい事に気付いた。
夜空を見上げると、満月が浮かんでいる。
俺はその満月を、ぼんやりと眺めた。
……ああ、どうしよう。
もし2023年に戻れなかったら、この時代で生きていく事になる。
そうなると、もう友也には会えないだろう。
マロンマロンも、自然消滅だ。
……でも……まあいいか。
これだけ芸人として活動しても、全く売れなかったのだ。
きっと俺達には、才能が無かったんだ。
すっかり落胆した俺は、無意味に石を拾っては、力なく放り投げる。
向こうの世界では、俺が突然いなくなって、どうなったんだろう?
……まあ、俺一人が消えたところで、さほど困る人もいないだろう。
なぜなら、俺には親友と呼べるほどの友達もいないし、彼女もいない。
おまけに、家族もいない。
……ん? 待てよ。
家族?
ふと、ある人物が頭に浮かんだ。
俺は、1995年の10月28日に、この東岩佐村で生まれたはずだ。
そして、この世界では、今日は1995年の10月26日……。
——ドクン。
鼓動が一気に跳ね上がる。
俺は心の底から、撃ち震えた。
……今、この村に……母がいる?
つづく……




