⑧タイムスリップ
次郎さんがテレビを点けると、ちょうど野球中継が始まったところだ。
その瞬間、俺は「あれ?」と首を傾げた。
なぜなら、ブラウン管テレビに映し出された映像は『激闘! 1995年、日本シリーズ』の古くさい文字だったからだ。
何だ、これは?
DVDか?
こんな昔の試合を、今から見るのだろうか。
俺は訝しげに、二人の顔を交互に見た。
コウタ君は「どっちが勝つかなあ?」と、興奮気味だ。
次郎さんは「さあなぁ」と言いながらも、これから始まる試合を楽しみにしているようだった。
俺は、次郎さんに訊いてみた。
「これ、当時の野球中継を録画してたんですか? こんな古い試合を、今から見るんですか?」
今度は逆に、親子二人が怪訝な顔で、俺を見てくる。
次郎さんより先に、コウタ君が口を開いた。
「おにぃちゃん、なに言ってるの? 頭、大丈夫?」
俺は渋い顔で、頭を掻いた。
おかしいのは、俺なのか……?
戸惑いながら、何気なく部屋を見渡してみる。
よく見ると壁に、1995年10月のカレンダーが掛けられているではないか。
座卓の上に置かれた新聞も、95年10月のものだ。
その他の雑誌や、週刊少年漫画も、表紙に95年と明記されている。
俺は、ますます混乱した。
なぜこの親子は、1995年にこだわるのだろう?
困惑していると、親子が再び野球の話を始めた。
「ねえ父ちゃん、最近この人、全然打たないね」
背番号51番の選手が、バッターボックスに入る時、コウタ君がそう言った。
「ああ。この選手、かなり研究されているんだろうな。この打席も、期待出来んなぁ」
次郎さんがそんな事を言うものだから、俺は思わず口を挟んでしまった。
「一回の表ですよね……ホームラン打ちますよ」
俺がそう言うと、次郎さんが不思議そうな顔で俺を見た。
その顔は、やがて呆れた笑みに変化した。
「ないないない、もし打ってもヒットだよ。ホームランは絶対にない! 断言する!」
きっぱり言い切って、首を振る。
コウタ君も、同意見だった。
「そうだよ、ホームランバッターじゃないんだよ。それにこの人、今すごく調子が悪いんだよ。いきなりホームランなんか、打てるわけないよ」
コウタ君が、そう言い終えた瞬間だった。
カキーン!
テレビの実況が叫ぶ。
『いきなり初回に、ホームランが出ました!』
親子二人が「ええっ?」と驚く。
「にぃちゃん、何で分かったんだ?」
次郎さんが、目をひん剥いた怖い顔を近づけてくる。
息が臭い。
俺は顔を逸らしながら答えた。
「……だってこの試合、最近、動画で見ましたもん」
「ドーガ?」
眉間に、深い皺を作る次郎さん。
「分かった! おにぃちゃんには、予知能力があるんだよ!」
コウタ君が、座卓に両肘をついて、顔を突き出してきた。
「じゃあさ、この試合って、どっちが勝つの?」
「確か、3対1でY球団が勝って、日本一になるけど……」
俺は、過去のプロ野球に詳しかった。
なぜなら、昔の試合を振り返る動画を、友也と二人でネット配信しているからだ。
それは、友也が野球に詳しかったため始めた、野球動画チャンネルだ。
過去の有名な試合を見ながら、二人で面白おかしくトークしていく動画配信は、ある一定数の野球ファンが見てくれている。
とは言え、視聴回数は良くても、500ほどだが。
とにかく、この95年の日本シリーズについては、二日前に友也と収録し配信したばかり。
まだしっかりと覚えている。
しばらく腕を組んで、しきりに首を傾げる次郎さん。
ホームランを言い当てられた事が、よほど腑に落ちないようだ。
俺はCMに入ったタイミングで、一つ咳をして、立ち上がった。
ここで、ずっと胸に抱えてきた疑問を、ぶつけてみた。
「あの、次郎さん。ちょっと訊きたいんですけど。なんで、テレビもカレンダーも新聞も、全部1995年なんですか?」
次郎さんは、ぽかんと口を開けて、俺を見上げている。
「今、2023年ですよ。令和5年ですよね!」
「レイワ?」
初めて聞いたような顔をしている。
ふざけているのだろうか?
「もう、訳わからないですよ。何なんですか?」
呆れと苛立ちで、顔をしかめていると、ふと次郎さんの背後に黒電話が見えた。
そうだ、友也に電話をかけてみよう。
でも番号は何だっけ?
首を捻りながら黒電話に近づくと、次郎さんの声がした。
「にぃちゃん、電話かけたいのか? すまんがそれ、壊れとるぞ」
「えっ?」
「この前の台風で電話線が切れたんだよ。明日、業者が直しに来てくれるけどな。今日は使えんぞ」
「ええっ……本当ですか……」
俺は思わず、しゃがみ込んでしまった。
しばらく項垂れていると、ふいに別の考えが浮かんだ。
そうだ、近くの住民に訊いてみよう!
俺は玄関に行き、素早く靴を履いた。
「ちょっと、出かけてきます!」
振り返り、そう告げると、次郎さんとコウタ君の呆然とした顔が一瞬見えた。
外は暗く、肌寒かった。
すっかり日が落ち、夕闇が深さを増し始めていた。
ふと、遠くに家の灯りが見えた。
俺はその灯りを目指して、鈴虫の鳴く狭い農道を、小走りに駆け抜けた。
家に着くと、すぐにドアホンを鳴らす。
ピンポーン!
数秒後、玄関の明かりが点き、廊下を歩く足音が近づいてきた。
「はいはい、どちら様?」
引き戸を開け、出てきたのは四十代の女性だ。
初めて会う俺を見て、少し警戒しているように見える。
俺は「あのぅ、突然、すいません……」と、頭を下げた。
「変な質問なんですけど、今って何年ですか? 2023年ですよね」
女性は無言で、瞬きを繰り返した。
この人は、何を言っているの?
そんな心の声が、聴こえてきそうだった。
息苦しい沈黙が続く。
女性は何か考えた後「……今は1995年よ。平成七年。これって何かのクイズなの?」と言った。
……その言葉に、俺は絶句した。
戦慄が走るとは、この事だ。
ジワリと背中に、冷や汗が滲む。
女性の側に貼ってあるカレンダーがまた、俺に追い討ちをかけた。
1995年の物だったからだ。
それでも諦め切れない俺は、道で人を見かけては、今が何年かを尋ねた。
恐ろしい事に、誰もが「1995年、平成七年」と答えた。
ついでに日付は、10月26日との事。
あぁ……。
俺は血の気が失せて、立ちくらみがした。
鏡がないので分からないが、そうとう青ざめた顔をしているに違いない。
とうとう、暗く冷たい畑道に、へたり込んでしまった。
あり得ない……。
あり得ない……。
そんな事、絶対にあり得ない……。
でも、もしかしたら……本当に28年前にタイムスリップしたのかも……。
そう言えば、あのアナウンサーが言っていたではないか。
「28年前の1995年、未来からタイムスリップしてきた男が、神社の本堂から現れた」と。
その男とは、つまり……。
つづく……




