⑥次郎さん
おじさんは、水谷次郎と名乗った。
お米や野菜、果物など、沢山の作物を生産しているそうだ。
今、一輪車に乗せている芋は、朝と夕方に収穫しているとの事。
「……それで次郎さん、家には家族の方がいるんですか?」
俺が問いかけると、次郎さんは頷いた。
「ああ、十歳の一人息子がおるよ」
「そうなんですね。奥さんは?」
「女房か? あのアバズレはなあ、男作って……逃げやがったんだよ」
次郎さんの様子が一変する。
一瞬、般若の顔になったのだ。
怒りを含んだ声に、俺は怖気付く。
まずい、余計な事を訊いてしまった。
俺は慌てて、話題を変えようと、自己紹介をしてみた。
「あっ、すみません、自己紹介が遅れましたね。えっと俺、翼と言います。お笑い芸人やってます」
「へえ、お笑い芸人を」
次郎さんは物珍しそうに、俺の顔を眺めてくる。
良かった、奥さんの話は、もう気にしていないようだ。
俺は、さらに奥さんの記憶を遠くへ押しやろうと、続けて話しかけた。
「でもまだ、全然売れないんですよね。もうすぐ30なのに」
「まあ、お笑いの世界も厳しいだろうからなあ」
「……ええ、そうなんです。だから今回のテレビ出演は、本当に奇跡で、やっと訪れたチャンスだったんです。絶対に目立ってやろう、爪痕を残してやろう! そう思っていたのに……」
「おい、にぃちゃん。あれが俺の家だよ」
つい身の上話を吐露してしまったが、次郎さんは関心がないようだ。
話の途中なのに、家の場所を教えてきた。
どこかで慰めを期待していた俺は、がっかりした。
肩を落としながらも、とりあえず彼が指差す方に、顔を向ける。
そこには木造二階建ての家が、ぽつんと建っていた。
かなり古い造りだ。
まさに『ザ・昭和』という雰囲気を、漂わせている。
次郎さんは、芋を乗せた一輪車を、庭らしき場所に置くと、家の玄関の引き戸を開けようとした。
「あれ? 何だこれ、またか」
木枠にガラスの入った格子戸は、かなり年季が入っていた。
きっと古くて、歪んでいるのだろう。
なかなか動かないようだ。
ガタガタ……。
「くそっ! この野郎、開けっ!」
次郎さんは、中腰になって必死に開けようとしていた。
俺も何か、力になれないかと、次郎さんの背中に近づいた。
——その時だ!
突然、引き戸が外れ、こちら側に倒れてくる。
それは一瞬の出来事で、避ける間もなく、引き戸が俺の脳天に直撃した。
バーーーン!!
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
猛烈な痛みに、俺は頭を押さえて、地面を転がり回った。
頭が、真っ二つに割れたのではないかと思うほどの激痛だ。
「おおっ、すまん、すまん。にぃちゃん、大丈夫か?」
次郎さんが、倒れた引き戸を持ち上げながら謝ってくる。
俺は痛みを堪えながら、涙目で立ち上がった。
「いえ、だ、大丈夫です」
全く大丈夫ではなかったが、これからお世話になる手前、ここで怒るわけにもいかない。
俺は、激しく打ち付けた頭を、何度もさすった。
血は出ていないようだが、タンコブは確実に出来るだろう。
次郎さんは、外れた引き戸を元に戻そうとするが、それも上手くいかないらしい。
俺はもう、手伝う気を完全に無くし、離れた場所から見守った。
「……もういいや」
とうとう次郎さんが諦めた。
引き戸を玄関脇に立て掛けると「どうぞ」と、家の中に招いてくれた。
玄関が開けっ放しになるが、良いのだろうか?
戸惑いながらも、俺は「お邪魔します」と言って、次郎さんの後に続いた。
つづく……




