⑩ 母を訪ねて
朝がやってくる。
結局、一睡も出来なかった俺は、居間に座ったまま、次郎さんが起きてくるのを静かに待った。
「ふあぁ……」
次郎さんが、大きな欠伸をしながら居間に入ってきた。
「にぃちゃん、もう起きてたのか」
俺は深呼吸をして、次郎さんを真っ直ぐに見つめた。
そして、母の事を尋ねてみた。
「次郎さん、この村に『栗岡真由美さん』って方、います?」
俺が母の名前を口にすると、次郎さんが驚いた顔をした。
「……なんで、真由美ちゃんを知っとるんだ?」
その時、俺は背中から首筋にかけて、ゾワっと鳥肌が立った。
やはり……知っていた。
次郎さんの話によると、俺の母である栗岡真由美は隣町で働いていたが、お腹に子が出来て、この村に帰って来ているとの事。
今は、徳弘辰子さんという、産婆の家にいるらしい。
やけに詳しいなと思ったが、こんな小さな村だ。
きっと、そういった噂話は、すぐに広まるのだろうと想像した。
「その徳弘辰子さんの家は、どこですか?」
俺は、次郎さんに問いかけた。
「ん? 案内してやろうか?」
「いいんですか? ありがとうございます! 是非、お願いします!」
思った以上に、話は早かった。
これは本当に、母に会えそうだ。
「でも、なんで真由美ちゃんに会いたいんだ? にぃちゃんと、どんな関係があるんだ?」
もっともな意見だ。
次郎さんは腕を組むと、訝しげな目で、俺を見てくる。
「あ、いえ、ちょっと、知り合いかも知れないので……」
俺は、栗岡真由美が母である事を伏せた。
ここで母だと言ってしまうと、話がややこしくなるからだ。
次郎さんを含め、母や村の人、みんなが困惑するだろう。
だが次郎さんは、俺の心配をよそに、台所へと向かい能天気な声を出した。
「まあ、その前にメシだな、メシ!」
俺は、はやる気持ちを抑えて、朝食を頂く事にした。
すると、階段からドスドスと足音がした。
コウタ君が、起きてきたのだ。
俺とコウタ君の朝食は、共に白米に目玉焼きとサラダだった。
育ち盛りのコウタ君は、もりもり食べているが、俺は全く食欲が無かった。
これから、母に会うのだ。
食事どころではない。
それでも残すわけにはいかないので、無理やり口に詰め込むと、お茶で一気に流し込んだ。
次郎さんはというと、相変わらず一心不乱に焼き芋を食べている。
本当に芋が好きなんだな。
俺は呆れた。
さて、食事が終わり庭に出ると、コウタ君はヘルメットをかぶり自転車にまたがった。
これから、隣町の小学校まで行くそうだ。
山道を自転車で登校とは、なんと逞しい子供だろうか。
コウタ君を見送ると、次郎さんはトラックに乗り込んだ。
ブルルン! と、荒々しくエンジンが唸りを上げる。
次郎さんが、窓を開けた。
「おい、にぃちゃん。早く乗りなよ」
俺は「どうも」と頭を下げて、白いホコリが舞う助手席へと座った。
◇ ◇ ◇
朝の農道は、清々しかった。
眩しい日の光も、母との出逢いを祝福しているように思えた。
「……しかし、真由美ちゃんが、もう母親になるとはなぁ」
ギアチェンジをしながら、次郎さんが言った。
母は、どんな人だったのだろう?
母の事を、あれこれ訊くと変に思うだろうか?
それでも訊きたかった俺は、景色を見ながら、さり気なく尋ねた。
「ちなみに、栗岡真由美さんって、子供の頃はどんな感じでした?」
「うーん、おとなしい子だったな。よく隣町の図書館まで行って、本を沢山借りてきてたな」
俺は「へぇ……」と、興味なさそうに答えながらも、固唾を飲んで次郎さんの話に耳を傾けた。
同時に、本を読んでいる母の姿を想像してみた。
「あの子なぁ、中学生の頃だったかな。可哀想に、両親が交通事故で死んじまったんだよな。それからは、辰子さんが親代わりになって、面倒を見てたんだよ」
なんと……。
母親に身寄りがない事は、児童養護施設の施設長から聞いていた。
だが、母親の両親が交通事故で亡くなったとは初耳だ。
俺は胸が締め付けられ、思わず目を閉じた。
突然、両親が亡くなるとは、さぞ辛かった事だろう。
俺は母の悲しみを思うと、いたたまれない気持ちになった。
「……あれが、辰子さんの家だ」
次郎さんの声に、俺は目を開けた。
次郎さんは運転しながら、顎をクイッと突き出して、場所を示してきた。
その家は、次郎さんの家に似ていた。
古い、木造二階建て。
俺は何も言わず、トラックの座席から、辰子さんの家をジッと見つめた。
車が停まり、次郎さんがエンジンを切ると、再び胸が騒めき出した。
言い知れぬ不安と、期待が込み上げてくる。
俺は深い吐息を吐いた。
そして、平静を装いながら車を降りた。
小石が敷き詰められた玄関前。
ジャリジャリとした音の中、次郎さんが言う。
「この村の人はな、ほとんどが辰子さんに取り出されたんだよ。俺も、コウタもそうだ」
取り出された?
あぁ、辰子さんは産婆をしてたんだっけ。
それにしても、次郎さんの出産の時に産婆をしていたとなると……辰子さんという人は、かなりの高齢だろう。
玄関に近づくと、待っていたかのように、ガラッと扉が開いた。
中から腰を曲げたお婆さんが出て来た。
きっとこの人が、辰子さんだろう。
俺の想像通りだ。
「おやおや。車の音がしたから、誰じゃろうと思ったら、次郎君じゃないかね。こんな朝早くから何じゃね?」
「お、辰子さん、おはよう。真由美ちゃんいる?」
「真由美か? いるぞ」
……いる。
その言葉を聞いた瞬間、俺の鼓動が加速した。
つづく……




