EPISODE9 〝破〟
*登場人物
水守千景・・・ 高校2年生 / 無能力者
神崎朔弥・・・ 24歳 / 封師殿・異邦尋問官 / 火能者
渡辺朱里・・・ 24歳 / 無能力者
遠ざかる足音が消え
また重たい沈黙が部屋を満たした。
胸の鼓動がなかなか落ち着かない。
膝を抱えたまま私はかすれた声で朱里に尋ねる。
千景「……今の、なに?」
朱里は少し黙ってからゆっくりと答えた。
朱里「……“罰を破った人間”だよ。」
千景「……え?」
朱里「声を出したり、壁を叩いたり――
決められた規則を破った奴はすぐに連れ出される。
そして……ほとんどは戻ってこない。
でもたまにいるんだ。人間だった頃の姿のまま
別のものになって戻ってくるやつが。」
息が止まりそうになる。
千景「別のもの……?」
朱里は淡々と言った。
朱里「生きてるわけでも、死んでるわけでもない。
ただ命令だけで歩いて規則を破った者の
部屋の前に立つ“監視”の一部になるの」
私は背筋が凍るのを感じた。
千景「……じゃあ、さっきのは……」
朱里「もともとは、ここで罰を受けた誰かだった。
でも今はもう、人間じゃない。
だから絶対に目を合わせちゃだめ。
声なんか出したら、次はあんたの番になる。」
朱里の声は低く、けれど優しかった。
朱里「怖いだろうけど……覚えておきな。
ここでは、人間でい続けることすら簡単じゃない。
だから、絶対に生き残るって決めるんだよ。」
私は震えながら、けれど力をこめて頷いた。
千景「……はい。」
朱里「…あんた、まだ若いんだろ? なら、生きな。」
短い沈黙のあと、私はそっと問いかける。
千景「朱里さんは
……どうしてそんなに、落ち着いていられるの?」
また、少しの間。
遠くの部屋で誰かが呻く声がしたが
やがてそれも途切れる。
朱里「……落ち着いてなんか、ないよ。」
朱里の声は小さく笑ったようでそれでもどこか遠い。
朱里「ただここで生きてくために
……感情を置いてきただけ。」
その言葉が胸に刺さる。
私は唇を噛んで、震えをこらえた。
朱里「千景。あんたはまだ、そのままでいい。
泣きたいなら泣いてもいい。
心の中でならいくらでも。」
私は膝に顔を埋め
こみあげてくるものを必死に噛み殺した。
時間の感覚はもう壊れかけていた。
でも、ふと――
遠くで、かすかに何かが揺れる音がした。
金属の鎖が擦れるような……。
千景「……また来るの?」
私が心の中で問うと
朱里は小さく首を振った気配を見せた。
朱里「……今のは違う。
あれは、誰かを運んでる音。」
千景「運んでる……?」
朱里「そう。新しい“部屋の住人”が
どこかに入れられたんだよ。」
その言葉で胸の奥に冷たいものが落ちていく。
朱里はしばらく黙った。
やがてかすれた声でつぶやく。
朱里「……こうやって、少しずつ増えていくんだ。
泣く人も、諦める人も、影になる人も。」
私はその言葉を飲み込むように頷いた。
心の中で母の鼻歌を繰り返しながら
この夜を生き延びると必死に念じる。
やがて遠くでわずかに聞こえた。
誰かが扉を閉める乾いた音――
そして低くかすれた男性の声。
「……神崎、次の調査、頼んだぞ。」
朔弥。
その名が胸を刺す。
またあの声が私の前に現れるのだろうか。
闇の中で、私はかすかに息を吸い込んだ。