EPISODE6 〝温〟
*登場人物
水守千景・・・ 高校2年生 / 無能力者
渡辺朱里・・・ 24歳 / 無能力者
千景side
──暗い。
それなのに目を閉じても閉じなくても
同じ闇が広がっている。
壁にもたれ膝を抱えた。
床の冷たさがじわじわと体温を奪っていく。
時間の感覚がもうほとんどない。
遠くで誰かが咳き込む声。
そのあとに続くかすかなすすり泣き。
けれど次の瞬間その音は急に途切れた。
……規則を破れば罰があると言っていた。
私も声を出してはいけない。
息をするたびに胸の奥がひゅうっと痛む。
あの部屋を出てからの出来事が
頭の中をぐるぐる回る。
──もう家には帰れない。
──もう、あの光景に触れられない。
目を閉じれば、母の手、父の温もり、兄の笑顔。
全部が鮮やかすぎて、涙がにじむ。
……泣いちゃだめ。
声を出したら……。
歯を食いしばり膝を抱える腕に力を込めた。
その時だった。
かすかに壁の向こうから小さな音がした。
コツ……コツ……
規則を破る音じゃない。
誰かが何かを置いたようなかすかな響き。
「……聞こえる?」
小さな、小さな囁き声。
耳を疑って顔を上げる。
「……返事は、しなくていいからね。
返事をしたら……罰が来るから。」
低く、でもやわらかい声。
昼間、同じ部屋で名を聞いた――朱里だ。
朱里「最初の夜は、長いよね。
……でも大丈夫、あんたは壊れない。
だってまだ、目が死んでない。」
暗闇の中で
胸の奥に小さな灯りがともるような気がした。
なぜ朱里がここに居るのかは分からないが
今の私にとって朱里という存在が唯一の救いだった。
朱里「……覚えておいて。
ここでは、泣く時は声を殺すの。
泣いてもいい、でも絶対に声を出しちゃダメ。
そうすれば、見つからない。」
私はこくりと小さくうなずいた。
見えていないはずなのに
向こうからほっとした気配が伝わる。
朱里「ここじゃね、泣くのも技術がいるんだよ。
声を殺すコツも、涙を隠すタイミングも。
……私がいる間に、あんたに教えてやる。」
頼もしい言葉だった。
暗闇の中、見えないはずなのに
私はほんの少しだけ笑った。
しばらくの沈黙。
遠くでまた金属のこすれる音がした。
誰かの足音が近づいてきて
部屋の前でぴたりと止まる。
鍵が回る音――
心臓が跳ねて息を止めた。
しかし扉は開かず足音はまた遠ざかっていった。
朱里「……監視だよ。」
朱里が、かすれた声で囁く。
朱里「今は大丈夫。でも油断すんな。
ここじゃいつどこから見られてるかわからない。」
私は再び小さく頷いた。
胸の奥の緊張が解けないまま時間だけが過ぎていく。
朱里「眠れるときに、眠っときな。」
朱里の声は少しだけ優しかった。
朱里「明日がどうなるかなんて
誰にもわかんないんだから。」
マットの上に横になり、目を閉じる。
恐怖も不安も消えないけれど
すぐそばにある気配がわずかにその闇を和らげた。
──初めての夜。
私はそのぬくもりの残る声を
胸の奥に抱きしめながら
いつの間にか浅い眠りへと落ちていった。