EPISODE12 〝光〟
*登場人物
水守千景・・・ 高校2年生 / 無能力者
神崎朔弥・・・ 24歳 / 封師殿・異邦尋問官 / 火能者
鍵を握ったまま千景は膝を抱えてじっとしていた。
体温が指先から抜けていくみたいに冷たい。
……眠れない。
瞼を閉じても
暗闇しかないこの部屋では夢も浮かばない。
少しでも気を抜けば
さっきの水音がまた聞こえてくる気がする。
そのときだった。
──カサッ。
耳元で小さな紙の擦れる音。
思わず顔を上げる。
机の上の古いノートがほんの少しだけ開いていた。
風なんてないのに。
ゆっくり近づいてノートを開く。
さっきまで空白だった次のページに
新しい文字が増えていた。
夜は、部屋がもう一つの顔を見せる
手が震える。
誰かが、今ここにいる。
それとも──
ずっとここにいるものが書いているのか。
千景はそっとノートを閉じ
鍵を握った手をぎゅっと強めた。
もう眠ることは諦めて
ただ夜が明けるのを待つしかない。
*
どれだけ時間が経ったのかわからない。
ただ薄く青白い光が部屋の隙間から差し込んだ時
千景は久しぶりに息を吐いた気がした。
朝だ。
ガチャリと重たい扉が開く。
まぶしい光の向こうに神崎朔弥の姿が現れる。
朔弥「……生きてたか。」
彼の目は冷たいのに
わずかに安堵の色が滲んでいるように見えた。
千景は何も言わず鍵をポケットに隠す。
このことはまだ誰にも知られたくなかった。
重たい扉が開いた瞬間、思わず腕で光を遮った。
目に刺さるほどの白さ。
久しぶりに吸い込む空気は
冷たくて乾いていて、でも妙に甘く感じた。
千景(……外だ……)
わずか二日間のはずなのに
世界の色がこんなに
鮮やかに見えるなんて思わなかった。
朔弥「立てるか?」
低い声に顔を上げると、神崎朔弥が立っていた。
無表情だけどその目だけはほんの一瞬だけ
千景を測るように細められる。
千景「……うん。」
声がかすれて、思ったより小さな返事になった。
朔弥は手を差し伸べはしない。
ただ視線で「ついてこい」と促すだけ。
千景は足元のふらつきを誤魔化しながら歩き出した。
廊下はひんやりとしていて、足音がやけに響く。
壁には小さな監視カメラが
等間隔に並んでいるのが見えた。
朔弥「二日目までは耐えられるかどうかの確認だ。」
千景は黙って頷いた。
──本当は、途中で何度も心が折れかけた。
叫びそうになった夜も
泣きたくなった瞬間も、何度もあった。
でも言えない。
言ったらあのノートや鍵のことに
繋がってしまう気がして。
朔弥「これからが本番だ。」
短くそう言った朔弥の横顔は
どこか遠いところを見ているみたいに冷たかった。
そのまま連れて行かれたのは、
無機質な白い部屋──
昨日までの暗闇とは正反対の空間。
窓はなく光だけが満ちている。
朔弥「ここで次の指示を待て。」
朔弥がそう告げて去っていく。
扉が閉まった瞬間
千景は胸に手を当てて深呼吸した。
そのポケットの中には
まだ冷たい鍵と、あの古いノートが隠れている。
扉が閉まる音が響く。
静かすぎる白い部屋に千景はしばらく立ち尽くした。
息を吐くと、ほんのり冷たい空気が頬をなでた。
暗闇の部屋とは違うはずなのに
胸の奥にはまだ重い影が残っている。
千景(……ここで、何をすればいいの?)
部屋の中央には
無機質な金属製の机と椅子が一脚ずつ。
机の上には何も置かれていない。
恐る恐る椅子に座ると
ポケットの中に忍ばせていた
ノートの存在が気になった。
辺りに監視カメラらしきものは見当たらない。
千景(……今なら見ても大丈夫、かな)
そっとノートを取り出し、机の上に置く。
古びた表紙をめくると
昨日までと同じく黒いインクで文字が並んでいた。
⸻
二日間お疲れさま。
次は君の“心”を試される段階だよ。
⸻
千景(……心?)
思わずページをめくる。
⸻
この部屋は優しいようで残酷。
音も、匂いも、刺激も少ない。
人はそういう場所でこそ本当の弱さを晒すんだ。
⸻
ページの端に誰かが慌てて
走り書きしたような小さな文字があった。
『──信じるものを、忘れないで。』
⸻
千景は思わず指先でその文字をなぞった。
母の鼻歌が、また胸の奥で小さく響く。
そのとき突然スピーカーから低い電子音が鳴った。
〈被験者515号、これより適応テストを開始する〉
機械のような無機質な声が部屋に響く。
千景「……っ!」
心臓が跳ねる。
次の瞬間、壁の一部がスライドして
黒いモニターが現れた。
そこに映っていたのは──