EPISODE10 〝解〟
*登場人物
水守千景・・・ 高校2年生 / 無能力者
神崎朔弥・・・ 24歳 / 封師殿・異邦尋問官 / 火能者
渡辺朱里・・・ 24歳 / 無能力者
どれだけ眠っただろう。
どれだけ目を開けていただろう。
暗闇は相変わらずで
時間だけが体の感覚から抜け落ちていく。
マットの縁に指先を押しつけて
私は小さく息を吐く。
もう夜なのか朝なのかもわからない。
朱里「……あと少しだ。」
その声に思わず顔を上げる。
暗闇の中でも彼女の言葉は不思議と鮮やかに届いた。
朱里「……もう少しでこの部屋の時間が終わる。」
千景「ほんとに……?」
私は声を出せないから小さくうなずいて問いかける。
朱里はほんの少し笑う気配を見せた。
朱里「ほんとさ。……時間を測る時計はないけどね
体が覚えるんだよ。あんたもそのうち分かる。」
その瞬間遠くでまた扉の開く音がした。
今までと違うどこか整然とした響き。
複数の足音がゆっくりと近づいてくる。
胸が高鳴る。
震える膝を抱え込むと、朱里が小さく囁いた。
朱里「……神崎だ。来たよ。」
私の呼吸が止まりかける。
あの青年の名を彼女が呼んだ。
朱里「……大丈夫。あんたはまだ生きてる。」
暗闇の外で足音が止まる。
鍵の外れる音がした。
冷たい空気が流れ込む。
扉の向こうに、またあの低い声が響いた。
朔弥「……水守千景。出ろ。」
私はゆっくりと立ち上がる。
膝がふらつきでもマットの上を踏みしめた。
扉の先淡い光に照らされた彼の姿があった。
朔弥。昨日と同じ冷たい目をしているはずなのに
その奥に一瞬言葉にできない何かが揺れた気がした。
朔弥「……歩け。」
短くそう告げる彼に
私は小さくうなずいた。
背後を振り返る。
そこにはもう朱里の気配は感じられなかった。
私は足を踏み出した。
この封師殿での次の時間が
静かに始まろうとしていた。
扉を出た瞬間
久しぶりに光を浴びて思わず目を細めた。
といってもそれは外の太陽の光ではない。
廊下の天井に並んだ白い蛍光灯。
その人工的な光が
長い暗闇のあとでは刺すように眩しかった。
朔弥「……歩け。」
横に立つ朔弥の声は相変わらず低く感情が見えない。
でもその一歩後ろを歩きながら私は気づく。
彼の歩幅が昨日よりほんの少しだけ遅いことに。
足音が白い廊下に規則正しく響く。
封師殿の内部は思っていた以上に広かった。
無機質な壁どこまでも続くような廊下。
時折鉄格子の向こうに
別の部屋が並んでいるのが見えた。
千景「……あそこは?」
思わず小さくつぶやきそうになり
唇を噛んでこらえる。
その気配に気づいたのか
朔弥が一瞬だけ横目でこちらを見た。
朔弥「余計なものを見るな。」
短い言葉で切り捨てられたが
その言い方は不思議ときつくなかった。
角を曲がったとき
遠くの部屋からくぐもった泣き声が聞こえた。
──あの部屋にいるのも
誰かの家族だったのだろうか。
心の奥がぎゅっと痛む。
でも私はただ前を見て歩き続けた。
やがて別の重い扉の前に立つ。
朔弥がポケットからカードを取り出し読み込ませる。
電子音が一度鳴り、鉄のロックが外れる。
朔弥「入れ。」
私はおそるおそる一歩を踏み出した。
そこは先ほどまでの監禁部屋とはまるで違う。
天井は高く薄いカーテンのかかった小さな窓がある。
陽光はないけれど外の空気が
ほんの少し流れ込んでくる気がした。
中央には簡素な机と椅子、壁際に小さなベッド。
千景「……ここは……?」
朔弥「お前の“部屋”だ。」
朔弥は短くそう言った。
朔弥「ここから始めろ。
――生き残りたければ、な。」
その言葉を残して彼は踵を返す。
出ていくその背中が
ほんの一瞬だけためらったように見えた。
千景「……あの」
思わず呼び止めかけた。
でも声を飲み込み、唇をかむ。
扉が閉じる乾いた音が部屋に残る。
私はその場に立ち尽くした。
まだ震える膝を抱え
窓の向こうのかすかな風を感じる。
──生き残る。
この場所で、本当に……?
胸の奥に、あの夜の朱里の言葉が浮かぶ。
あんたはまだ、ちゃんと人間でいられてる。
私は深く息を吸い込み
机の上に置かれた古いノートに目をやった。
そこに封師殿での次の時間が
待っているような気がした。