EPISODE1 〝始〟
*登場人物
水守千景・・・ 高校2年生 / 無能力者
神崎朔弥・・・ 24歳 / 封師殿・異邦尋問官 / 火能者
佐藤洸・・・ 異邦尋問官 / 責任者 / 全能者
水守真央・・・ 千景の母親 / 水能者
水守真哉・・・ 千景の父親 / 水能者
水守優太・・・ 18歳 / 千景の兄 / 水能者
夕餉の匂いが
まだ小さな私の背をやわらかく包んでいた。
台所から聞こえる母の鼻歌と
縁側で父が木を削る音。
兄が縁側の下で本を読み時々こちらを見て笑う。
窓の外では夏草が風に揺れていた。
その光景が幼い私にとっての“世界”のすべてだった。
──けれど
人は生まれたときからひとつの"力"を授かる。
火を灯す力。風を呼ぶ力。
水を操り、草を育て、傷を癒す力。
力の種類は数百万に及ぶとも言われている。
そしてその"力"は
この世界で異能と呼ばれ親しまれていた。
──誰もが持っているはずだった。
しかし私は──
そのどれひとつも、持たずに生まれた。
約1000万人に1人の割合で無能者が生まれている。
そのような人のことは異邦者と呼ばれ
街の中心部に佇む『封師殿』という施設に送られる。
施設は高い壁で囲われ
外から中の状況を確認する事はできない。
表向きには『異邦者を更生する施設』とか
『無能者に能力を与える施設』とか
まるで希望のあるような言い方をしているが
実際は牢獄に近いような状況と噂で聞いた事がある。
"一度入ると二度と元の生活には戻れない"
これが代々伝わる封師殿の伝説だった。
もちろん家族は私に異能の力がない事を知っている。
半年に一度のペースで封師殿で働く尋問官と
呼ばれる人達が学校や家に見回りに来るが
家族の協力のもと何とか免れていた。
だけど近年無能者の出生率。
それに伴う異邦者の増加により "異能検査" の実施が
新たに国で定められ突然尋問官達が
家にやってくるケースが増えているという。
───その日もそうだった。
ある雨の日いつも通り学校が終わり家に帰ると
見慣れない車が前に止まっていた。
窓からそっと家の中を覗くと
お母さんとお父さん…そしてお兄ちゃんが
尋問官に尋問を掛けられている最中だった。
尋問官「娘さんは?」
母「学校です…」
尋問官「そいつ…異邦者なんだろ??」
父「…っ」
母「…ち……違います。」
尋問官「嘘はありませんよ笑
……見たって言う人が居るんです」
父「…なにを」
尋問官「あなたの娘さん
…水守千景さんが授業で異能を使えなかったと。
それだけじゃない。娘さん、見回りの時も
ずっとお留守だったでしょ?
さすがに怪しまれますよ〜笑」
父「…たまたま調子が悪かっただけかもしれない」
尋問官「ほぉ」
兄「…」
尋問官「…ねぇ君?? 正直に答えてくれないか…。
…お前の妹。異邦者なんだろう??」
兄「…違います」
尋問官「…」
兄「…」
尋問官「…なぁ知ってるかい?
異能者と偽ってこの世界に居座る
異邦者はもちろん悪い
…だがしかし。事実を知った上でそいつを匿って
普通の生活している人も同罪だと俺は思っている。
いや…そいつはきっと異邦者よりもタチが悪いな笑
だって自分は普通にしていればこの世界の人間として
普通の生活が約束されているのにわざわざ匿って
リスクを背負ってるんだもんなぁー。
ただの正義感??…俺にはその気持ちは分からないが…
俺はそういう奴を見ると心底腹が立つ。」
父「…」
尋問官「だからさぁ。自首してくれないか??
俺はこのままだとあんたら
全員殺しちゃいそうなんだよ〜。」
母「…」
尋問官「…はぁ。神崎くん。後は頼んだ。」
隣にいた若い男性が口を開く。
朔弥「…えっ。佐藤さんこれで終わりっすか。」
佐藤「あとはどうしたって構わない。
殺したければ殺せばいいし
痛めつけて吐かせるのもアリだ。
ただ今日中に必ず証言させろ。」
そう言い放ちその人は家から出ていった。
朔弥「…まったく。ほんといい加減な上司だなぁ。」
父「なぁ君…まだ若いんだろ??
無実な人を殺すなんてこと絶対やったらダメだ。
な??…君は真っ当に生きるんだ」
朔弥「…真っ当??」
母「…そうよ。」
朔弥「…じゃあ何が真っ当なのか
教えて貰ってもいいですか??
…俺の仕事は異邦者を封師殿に送る事です。
その仕事に忠実に向き合う事は
真っ当ではないのでしょうか??」
父「…っ」
朔弥「…俺は俺の仕事を真っ当にこなします。」
その男性はそう言い兄の首元にナイフをつきつけた。
朔弥「…正直に答えてください。
でないと首にナイフを刺し込みます。
1分で1cm…虚偽の申告をした場合すぐに刺します。」
父「やめろ!!」
母「やめて!!」
兄「…くっ。」
朔弥「さぁ…娘さん。異邦者なんでしょ??
はいって言うか頷くか。
誰でもいい…早く認めて下さい。」
母「…本当に……違うんです。」
朔弥「……残念です。」
彼は思い切りナイフを振りかざした。
その光景を目にした瞬間
気づけば私の足は勝手に動いていた。
千景「やめてっ!!」
母「千景!!」
父「どうして…」
千景「…もうやめてください。」
朔弥「…あなたが水守千景さん??」
千景「…私は確かに無能者です。」
兄「…千景」
朔弥「…自白ですか。」
千景「…連れて行ってもらっても構いません。
だから兄を離してください…殺さないで。」
自分でも驚くぐらいに声が震えていた。
朔弥「…」
彼はそっと兄の体を離した。
朔弥「…連れて来い。」
一言だけ言い家を後にした。
彼に指示された封師殿の役員達が一斉に私の腕を掴む
父「千景!!」
母「千景…」
兄「…ごめん」
千景「…ありがとう今まで。楽しかったよ??
お母さん、お父さん、優太。
こんな私を家族として受け入れてくれてありがとう
これからは自由に生きてね。」
いつかはこうなるって分かっていた。
だけど周りに甘えて普通の顔して生きて。
家族の自由を奪っていたのには変わりは無い。
この国に生まれてしまったからには
生まれた時点で自由なんて無かったはずなのに。
役員たちの手に強く腕をつかまれ
私は家の敷居をまたいだ。
振り返れば雨に濡れた家族の顔が滲んで見えた。
その光景を私は二度と忘れないだろう。
石畳を叩く雨音と胸の奥を締めつける痛み。
車のドアが閉じられる瞬間
あの青年、神崎朔弥がこちらを一度だけ振り返った。
その目が何を思っていたのか
あのときの私にはわからなかった。
けれど。
あの瞬間から私の知らない明日が
静かに動きはじめていた。