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 勇者ユリウスの来訪は、村の雰囲気を一変させた。

 彼は貴族らしい気品とカリスマを持ち、村人の尊敬を瞬時に集めた。


 そして、エリシアも——。


「勇者様……」


 夕暮れ時、村の広場で彼と話すエリシアの姿を、オレは遠目に見つめていた。

 その頬は紅潮し、瞳は彼の姿を追いかけるように揺れている。

 まるで、すっかり恋する乙女のようだった。


 正直、見ていてあまり気分のいいものではない。

 だが、オレよりも感情を露骨に表に出しているやつがいた。


「……なんかムカつくんだけど」


 ノワールだ。

 

 オレの家に入るやいなや、彼女はベッドにドスンと倒れ込んだ。

 頬を枕に押し付け、もぞもぞと身体を動かしながら、不満げに唸っている。

 

 オレは窓を少し開け、入り込んできた夜風を感じながら問い返す。


「……何が?」


「何がって……あの勇者にデレデレしてるエリシアがさぁ。バカみたい」


 ノワールは枕をギュッと抱え込むと、唇を尖らせた。

 その目には、どこか刺々しい光が宿っている。


 オレは暖炉に薪をくべながら、ちらりと彼女の方を見る。


「ふーん……エリシアのこと、そんなに気にしてるのか?」


 そう聞いた瞬間——ノワールの肩がピクリと動いた。


「は!? いやいや、違うし! 別にエリシアが誰に惚れようが勝手だけどさぁ……」


 その言葉とは裏腹に、彼女の声には微かに苛立ちが混じっていた。


 オレがじっと目を向けると、ノワールはわずかに視線を逸らし、髪を指で弄ぶ。

 いつも自信満々な彼女にしては珍しい仕草だった。


「……そもそもさ、エリシアは、ずっとあんたと一緒だったわけよね?」


「まあ、そうだな……」


「なのに勇者が来たらすぐこれ? 切り替え早すぎでしょ。何? あんたがバカ見てるみたいで……ムカつくんだけど!」


 ノワールはベッドの上でごろりと寝返りを打ち、オレを横目で睨むように見上げた。

 まるで「どう思う?」とでも言いたげに。


 オレは少し息を吐く。


 ――これ、絶対エリシアだけの話じゃないよな。


 ノワールはエリシアの態度に怒っているというより——どこか、寂しそうだった。


「あれは洗脳のようなものだろ? それに、オレはエリシアに惚れてるわけじゃないしな」


「……へぇ?」


 ノワールの表情が、一瞬だけ揺らいだ。

 炎のような紅い瞳が……わずかに見開かれたかと思うと、彼女はふっと小さく息をついた。


「じゃあ、好きな女とかいないわけ?」


「今はそんなこと考えてる余裕……ないし」


 オレが肩をすくめてベッドに座ると、ノワールはふと考え込むような素振りを見せた後、オレの隣にゴロンと転がった。


 すぐ隣から、彼女の体温がじんわりと伝わる。

 夜の空気はひんやりしているのに、ノワールの肌はどこか温かかった。


「……そっか」


 そして——。


「じゃあ、今から考えてみれば?」


 突然、ノワールがオレの耳元で囁いた。

 

 距離が近い。

 頬が触れ合いそうなほどに。

 

 思わず肩を跳ねさせると、ノワールはクスクスと笑った。

 息がかかるほどの距離にいる彼女の声は、妙に甘く響く。

 

 呼吸をするたびに、ノワールの香りが鼻をくすぐる。

 どこか妖艶で、それでいて安心する匂い。

 不覚にも、胸が変なリズムを刻みだす。

 

「……何だよ」


「なーんでも?」


 オレの動揺を楽しむような、いつもの妖艶な笑い方。

 けれど——それだけじゃない気がした。

 どこか、もっと素の彼女が出ているような——そんな感じがしてならない。


 暖炉の火が、パチッと音を立てて爆ぜる。


「まぁ、お前とはこれから長い付き合いになりそうだしな」


「……え?」


 ノワールの動きがピタリと止まる。


「お前の力が必要だ。オレの未来を変えるために」


 彼女はしばらくオレの顔を見つめていた。

 何かを言おうとして――けれど、言葉にならないような。

 これまでに見たことのない感情が、その瞳に浮かんでいる気がした。


 そして——。


「……そっか」


 ポツリと呟いた後、小さく笑った。


「ま、いいわ。あんたと一緒にいるの、退屈しなさそうだしね」


 ノワールは、オレの隣で目を閉じる。


 暖炉の火の明かりが、彼女の横顔を淡く照らす。


 ——その微笑みは、今までよりも少しだけ優しく見えた。


 ◆


 夕焼けが村の屋根を赤く染める中、エリシアがオレに声をかけてきた。


「……レオン、最近、ノワールさんと仲がいいわよね?」


 柔らかな声とは裏腹に、その瞳には探るような色が宿っていた。


 近くにユリウスはいない。

 そのせいか、彼女の表情からは洗脳のような霞が少し薄れている。

 

 今のエリシアは、確かに「自分の意思」を持ってオレに話していた。


「まぁ……な」


 オレの隣では、ノワールが気だるげに欠伸をしていた。

 紅の瞳を細め、退屈そうに夕陽を見つめている。


「こいつは気まぐれだけど、オレを裏切らない仲間だから」


 その言葉に、エリシアの表情がわずかに翳る。


「あら。あんたにそう言われるのって……なんか新鮮だわ」


 ノワールは悪戯っぽい笑みを浮かべながらも、その目はどこか複雑な色を帯びていた。


「……でも、ノワールさんって……危ない人なんじゃない?」


 いつも元気なエリシアからは考えられないような、沈んだ声。


 オレが目を向けると、エリシアは少し躊躇いながら口を開いた。


「この前、勇者様が言ってたの。ノワールさんから『奇妙な気配』を感じるって」


 言葉が落ちた瞬間——空気が張り詰めた。


「……」


 やはりユリウスは気づいているのか。


 ノワールは人間だが、悪魔と恐れられ封印されていたほどの存在。

 彼女の魔力は尋常じゃない。人間のレベルを遥かに超えたものだ。

 勘の鋭いユリウスなら、その異質さを感じ取って当然だろう。


 しかし——。


「エリシア、お前はどう思う?」


「え?」


 不意の問いに、エリシアが目を瞬かせる。


「お前自身がノワールを『危ない』と思うなら、勇者に報告すればいい。でも、そうじゃないなら……ノワールを信じてみる気はないか?」


 エリシアは言葉を詰まらせた。


 まるで、自分の心の中を探るように、静かに唇を噛みしめる。


 そして——。


「……私は……」


 その答えが出る前に——。


 ……ゴゴゴゴゴゴ。


 地響きが鳴った。


 遠く、地の底から這い上がるような重い振動。

 それは徐々に強まり、村全体を揺るがすような轟音へと変わっていく。


 村人たちがざわざわと騒ぎ始めた。

 誰かが空を仰ぐ。誰かが大地を不安そうに見つめる。


 そして、次の瞬間——。


 村の鐘が鳴り響いた。


「魔物だ! 魔王軍の軍勢が来るぞ!!」


 見張りの村人の叫びが、夕暮れの空気を切り裂く。


「な……!?」


 オレは息を呑み、村の外れの丘を見やる。


 そこに——黒い影が蠢いていた。


 無数の魔物。


 オーガ、ゴブリン、果ては飛竜まで。

 夕陽を背に、整列するように並び、ゆっくりと村へと迫ってくる。


「なんで……こんな大軍が……」


 戦略的価値のないこの村に、魔王軍が襲撃を仕掛ける理由などないはずだ。

 なのに、目の前に広がる光景は——まるで戦場そのものだった。


「勇者様! お助けを!」


 村人たちがユリウスに縋りつく。


 ユリウスは静かに腰の剣を抜いた。

 黄金の光を纏う、神聖なる聖剣を。


「恐れるな村人たち。この村は私が守ってみせよう」


 その声は堂々としており、力強く、まるで神の声のようだった。


 村人たちの表情が、一気に安堵へと変わる。


「さすが勇者様だ……!」

「これで村は安泰だ!」


 だが——オレは違和感を覚えていた。


 ――違う……何かがおかしい


 まるで、この魔物の襲撃すらも"運命の筋書き"に含まれているような……。

 そんな、背筋を冷たくする違和感。


 そして、オレは気づく。


 ——エリシアが、勇者のそばでうっとりと彼を見つめていることに。


 黄金の輝きに魅入られたように、彼の言葉に心酔している。

 このままじゃ、エリシアは勇者に……運命に完全に取り込まれる。


 でも、まだ間に合う。

 ユリウスから引き離せば——。


「ノワール!!」


 オレは振り返る。


 ノワールはフードの下で紅い瞳を光らせ、静かに微笑んでいた。


 その笑みは妖艶で——だが、確かな意思を秘めたものだった。


「ふふ……どうやら、お膳立ては完璧みたいね」


「それはどういう意味だ?」


 ノワールはくすりと笑い、オレをまっすぐに見た。


「決まった運命をぶっ壊す……チャンス到来ってことよ!!!」


 村の鐘が鳴り続ける中、彼女の瞳だけが鮮烈な赤を宿していた。


 ——そうか……これはノワールの仕業か。


 彼女はずっと、この瞬間を狙っていたのかもしれない。

 

 ノワールは妖艶な微笑みを浮かべている。

 その裏には、確かな覚悟が宿っていた。


 ――そうだ……オレたちにはまだ手がある。


 このままじゃ、すべてが"運命通り"になってしまう。

 でも、オレは抗う。


「エリシアを……運命から開放する」


 魔王軍の影が、じわじわと村を飲み込もうとしている。

 オレたちは、この世界の"運命"に抗い、戦わなければならない。

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