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「たしか、巫女志望と聞いたが……彼女は本当に特別のようだな」
「……どういう意味だ?」
「神の加護を強く感じる。あのような存在は滅多にいない」
ユリウスの声には確信があった。
「巫女は、勇者を導くものだ。レオン、君も知っているだろう?」
「……それが何だっていうんだ?」
「私が、この村に来たのは神の導きによるものだ。そして、導かれた先に彼女がいた。これは運命ではないかな?」
……やはり、こいつの狙いはエリシアか。
気がつけば、オレは痺れるほどに強く、拳を握っていた。
ユリウスの碧眼は、獲物を見つけた狩人のように冷静だ。
だが、運命の相手を見つけたにしては、異常に落ち着いている。
普通は、もう少し逸る気持ちがあるはずだ。
その違和感が、オレの警戒をさらに強めていく。
「私は、彼女のことをもっと知りたい」
ユリウスは静かに言った。
その言葉は、オレへの宣戦布告のようにも聞こえた。
――上等だ。
オレは奥歯を噛み締める。
エリシアをこれ以上勇者に近づけるのは危険だ。
だが、ここで勇者であるユリウスの話を無視するのも不自然すぎる。
「エリシア」
オレは、仕方なく彼女に声をかけた。
勇者と目を合わせようとするのを邪魔するように、わずかに彼女の前に立つ。
「……レオン?」
エリシアは驚いたようにオレを見上げた。
その時——。
「巫女志望だそうだな……」
ユリウスの声が、まるで鋭利な刃のように響いた。
その碧眼が、オレとエリシアを見つめている。
「なるほど、聖なる気を感じる。神の御許へと導かれた存在……まさしく、巫女に相応しい」
――やはり、そうきたか。
この男は最初からエリシアを連れて行くつもりで来ていた。
「エリシア、と言ったな」
ユリウスが、静かに手を差し出す。
その仕草は優雅で、どこか慈愛に満ちていた。
「君は巫女として生きる運命にある。私と共に歩まぬか?」
それを聞いた村人たちがどよめく。
「おお……エリシアが勇者様の巫女に……!」
「なんと光栄なことか……!」
オレは、喉の奥で苦々しく歯を食いしばった。
ユリウスのカリスマが、村全体を掌握しようとしている。
このままでは、エリシアの心が掌握されるのも時間の問題だ。
呼吸が……荒くなる。
胸の奥がざわつく。
まだ慌てるな……ここで焦ったら、余計にユリウスの思う壺だ。
エリシアは勇者に惹かれ始めている——それは間違いない。
けれど、完全に心を奪われたわけじゃない。
だが、その時——。
「……私、勇者様にお仕えするのが、ずっと夢だったの」
「……!」
胸が、締め付けられる。
「その……私が役に立てるなら……お側で尽くしたい、って……」
エリシアは、揺れる瞳でユリウスを見つめていた。
まるで——惹かれるように。
「……素晴らしい」
ユリウスが微笑む。
「君のような巫女を迎えられることを、私は誇りに思うよ」
その言葉が、鋭い楔のようにオレの心を打ち込んだ。
――このままでは、エリシアが本当に勇者の巫女になってしまう!
オレは、奥歯を噛み締めながら、次の一手を考える。
「待ってくれ」
オレは、ユリウスの言葉を遮った。
村人たちの視線が、一斉にオレに向くのを感じる。
ユリウスもまた、オレを値踏みするように見つめた。
「おや、何か異議が?」
ユリウスはあくまで上品に……しかし、わずかに挑発的に言った。
「異議も何も、エリシアはまだ何も決めちゃいないだろ?」
オレは冷静を装いながら、エリシアの肩に手を置く。
「そりゃエリシアは巫女志望だ……でも、いきなり勇者について行くってのは話が飛躍しすぎじゃないか?」
「しかし、巫女の本分とは勇者を支えること」
ユリウスは微笑を崩さずに言う。
「それはつまり、エリシアが私の側にあることが最も理に適っているのでは?」
「巫女の"役目"は、勇者に尽くすことじゃなくて"世界の平和を導くこと"だろ?」
オレは一歩も引かずに言い返した。
「ならば、エリシアがどこにいるのが"最善"かは、エリシア自身が決めることだ」
「それは……」
エリシアが困惑したようにオレを見上げる。
――悪いな、エリシア。今はとにかく、勇者のペースにさせるわけにはいかないんだ。
「ふふ……」
ユリウスは、わずかに口角を上げた。
「なるほど……君は、彼女を私の手の届かぬ場所に置いておきたいわけだ」
オレの背筋に冷たいものが走る。
――こいつ……オレの真意に気づいているのか?
ユリウスの碧眼が、オレの奥底を見透かすように細められた。
「それほどまでに、彼女を手放したくないのか……?」
オレは無言で睨み返した。
まだ、オレには"切り札"がある。
「エリシア」
オレはゆっくりと、彼女の名前を呼んだ。
すると、彼女は少し驚いたように振り向く。
「……え?」
「"お仕えする"ってのは、そんなに軽々しく言えることなのか?」
「それは……!」
エリシアの表情が揺れる。
「巫女の務めは、勇者に仕えること——それは確かにそうだ。だけど、それだけじゃないはずだ」
オレはわざと、言葉を選びながら、ユリウスの方を向いた。
「おい、勇者殿」
ユリウスは微笑を崩さず、オレを見据えていた。
まるでこっちの出方を楽しんでいるかのように——。
「エリシアが巫女になるってことは、命を賭けるってことだよな?」
その瞬間、村人たちのざわめきが止んだ。
エリシアも、わずかに息を呑む。
「巫女は勇者に尽くす存在——それはつまり、戦場に同行する可能性があるってことだろ?」
ユリウスは表情を変えなかった。
「……それがどうした?」
「エリシアがそんな危険な場所に行くのを、お前は許すのか?」
「それが彼女の役目ならば、当然だ」
ユリウスは迷いなく言い切った。
まるで、それが当たり前だとでも言うように。
「巫女は勇者と共に在り、彼を支える。そのために存在するのだから」
「……っ」
エリシアの瞳が揺れた。
そう、彼女は巫女に憧れていた。
毎朝、オレと剣の訓練をするほどに。
でも、それは"平和をもたらす尊い存在"としての巫女であって——。
戦場に立ち、命を賭ける存在としてではなかったはずだ。
「それでも、エリシアは……勇者についていくのか?」
オレの問いに、エリシアは唇を噛んだ。
「……私は……」
エリシアは迷っている。
彼女の心に疑念を植え付けることには成功した。
だが——。
「君は、彼女を恐れさせたいのか?」
ユリウスが静かに言った。
「彼女が本当に勇者の巫女となるべきかどうか——それは、彼女自身が決めることだろう」
「……」
「私の側に来るのが正しいのか、それとも別の道があるのか……」
ユリウスはエリシアに向き直り、穏やかに微笑んだ。
「エリシア、君はどうしたい?」
その声は優しく、迷いを吹き払うようだった。
「私は……」
エリシアの目が、まっすぐにユリウスを見つめる。
オレの言葉によって迷いは生まれたはずなのに。
それでも、彼の存在に強く惹かれているのがわかった。
ユリウスの微笑が、オレの沈黙を見透かしたように、わずかに深まる。
「すまない、勇者様」
オレはわざと前に出て、ユリウスとエリシアの間に割り込んだ。
「エリシアは巫女志望だけど、村の大切な一員なんだ。そんなに急に決めることじゃないと思う」
「そうだな、確かに……慎重に考えるべきかもしれない」
ユリウスはあっさりと頷く。
だが、どこか余裕があった。
それが逆に不気味だ。
――こいつの余裕はどこからくるんだ?
「ふむ……ならば、もう少しここに滞在するとしよう」
ユリウスが微笑む。
「エリシアが"本当に巫女として生きるべきか"、ここで確かめる時間が必要だ」
「……!」
それはつまり、まだエリシアを完全に手に入れたわけではないということ。
ならば、まだやりようがある。
だが、その時――。
「……ごめんね、レオン」
エリシアの、か細い声が聞こえた。
振り返ると、彼女はそっとユリウスに向き直っていた。
「……私は……勇者様のお力になりたい」
――マジかよ。
エリシアの目は、もうオレを見ていなかった。
オレがどれだけ言葉を尽くしても——彼女の心は、ユリウスに向かっていく。
「おい、エリシア——」
オレが彼女の肩を掴もうとした瞬間、びくっと身を引かれる。
まるで、オレが異物であるかのように。
同時に——村全体の空気が変わった。
まるで、ユリウスを中心に"世界の意思"が働いているかのように。
「エリシア……」
ユリウスが優しく微笑む。
その微笑みは、まるで彼女を包み込む聖なる光のようだった。
「私と共に来るか?」
その言葉に、エリシアの瞳がさらに輝く。
「——はい!」
――くそっ……!
オレは歯を食いしばる。
完全に"運命"の影響を受けている。
こんなの——まるで洗脳じゃないか。
このままじゃダメだ。
エリシアを……ユリウスから引き剥がさないと。