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オレたちは状況を整理する間もなく、村の広場に集められた。
勇者ユリウス――金髪碧眼の美少年。
剣の才に恵まれ、神に祝福されし存在。
予定より年単位で早い登場なのに、見た目の年齢は設定と変わらないように見える。
何か、特別な力が働いているとしか思えない……。
王国の騎士団を従え、堂々と村へと入ってくる彼の姿は、まさに英雄そのものだった。
その背後には、精鋭と思しき騎士たちが静かに控えている。
一糸乱れぬ隊列、研ぎ澄まされた空気――本物の戦場を経験した者たちの動きだ。
「お初にお目にかかる。我が名はユリウス・フォン・アルヴェイン。神の導きにより、この地を訪れた」
勇者の言葉で村人たちは歓喜に沸いた。
――予定より早く来たとはいえ、村の人間は『世界の筋書き通り』に動いている……。
その様子に、不気味さすら覚える。
勇者の訪問を喜び、彼に畏敬の眼差しを向ける村人たち。
その光景は、まるで神話の一場面のようだった。
もっと問題なのは――エリシアだ。
「あなたが……勇者様……」
エリシアは、まるで運命の人に出会ったかのようにユリウスを見つめていた。
緑色の大きな瞳は、何かに魅入られたようにうっとりと輝き、頬が紅潮している。
――おかしい。いつものエリシアとは違う。
そうか……まずい!
エリシアは『勇者に惹かれる運命』にあるんだ。
このままでは、ゲームの筋書き通りにエリシアが勇者の仲間になり、オレから遠ざかってしまう。
そうなったら、オレも筋書きに逆らうのが難しくなるかもしれない。
それだけは……絶対にさせない。
勇者に殺される未来なんて、受け入れてなるものか。
これ以上、エリシアを勇者に近づけさせるわけにはいかない。
運命の影響を受けていないのは……恐らくオレだけなのだから。
オレはすぐに行動を起こした。
「ようこそ勇者殿。……ところで、どうして予定より早くこの村に?」
あえて平静を装いながら、勇者ユリウスに問いかける。
「ほう……。『予定より早い』と知っているとは……妙だな」
ユリウスがオレを値踏みするように睨んできた。
――ヤバい。こいつ、思った以上に鋭い。
汗が背中を伝うのがわかる。
「ふむ、お前はいったい……何を知っている?」
下手に取り繕えば余計に怪しまれる。
だが――運命の影響を受けていないのは、オレだけじゃなかった。
「——あんた、何調子乗ってんのさ?」
ユリウスの後方から、挑発的な声が響いた。
ノワールだ。
そうか! 彼女は『決まった未来』を壊せる。それは運命の影響を受けないからだ。
ノワールは、いつの間にかオレの背後に立っていた。
フードを深く被り、その影から覗く紅い瞳が鋭く輝いている。
まるで『決まった未来』に戻そうとする存在を嗅ぎつけたかのように。
村人たちは訝しげにノワールを見やる。
だが、彼女の存在は一応、オレの知人ということにしてある。
それでも、今はタイミングが悪い。
「こっちはこっちで平和にやってるのに、余計なことしないでくれる?」
ユリウスが、初めて表情を強張らせた。
「……貴様は何者だ?」
その声には、わずかに警戒の色が滲んでいる。
オレは冷や汗をかいた。
――ノワール、お前……バレたらマズいぞ。
この場で彼女の正体が露見すれば『世界の筋書き』がどう動くか分からない。
最悪、勇者に敵対者と見なされ、オレもろとも抹殺される可能性すらある。
だが、ノワールは怯むどころか、ユリウスに向かって妖艶に微笑んだ。
「そりゃもちろん、ただの村人よ」
彼女はゆったりとした動作でフードを少し下げ、真紅の瞳を露わにする。
鮮やかな紅が、陽光を受けて妖しく輝いた。
まるで、血を思わせるその色彩に、騎士の一人が息を呑む音が聞こえた。
「でも、これだけは覚えておいてほしいわ。あんたの思い通りにはさせないってことを……」
挑発を受けたユリウスの眉が、ピクリと動く。
風が吹き抜ける。
春の匂いに混じって、甲冑の冷たい鉄の香りと、騎士たちが纏う革のオイルの匂いが鼻をかすめた。
広場の空気は張り詰め、まるで剣戟が始まる前のようだった。
「……随分と歯向かう口を利くな。名を聞こうか」
ユリウスの声は澄んでいたが、その裏にある圧力は計り知れない。
声色ひとつで、人を跪かせるほどの威圧感がある。
しかし、ノワールはまるで意に介さず、紅い唇を吊り上げた。
まるで毒のように甘やかで、危険な笑み。
「さあねぇ。ただ……あなたに名乗るほどの者じゃないわ」
「……」
ユリウスは目を細める。
何かを察知したのか、視線が剣のように鋭くなった。
――やばいな……こいつ。
ノワールが普通の村人じゃないって勘づいてる。
オレは一歩前に出て、ノワールを庇うように立った。
「こいつはただの村人さ。少し口が悪いだけで、他意はない。悪く思わないでくれ、勇者殿」
ユリウスの視線がオレに移る。
鋭い観察眼に射抜かれるような感覚がする。
まるで、オレの思考を読み取ろうとしているかのような……。
「君の名前は?」
「レオンだ。しがない村の少年さ」
「……そうか」
ユリウスはわずかに頷くと、口元に笑みを浮かべた。
その微笑みはどこか試すような、不気味なものだった。
――こいつ、絶対にオレのことを疑ってる……。
しかし、それ以上は何も言わず、ユリウスは背後の騎士団に視線を向けた。
「さて、ここに留まるのも立ち話ばかりでは詰まらないな。村の様子を見て回りたいが、誰か案内してもらえるとありがたいね」
村人たちは歓喜に沸き、こぞって彼に道を示そうとする。
だが、その中でユリウスが選んだのは——。
「君がいいな、レオン」
「……オレが?」
「ああ。先ほどからの応対、実に興味深い。君がこの村をどう見ているのか、聞いてみたくなった」
――オレを試している?
ユリウスの視線には、探るような光がある。
ここで下手なことを言えば、完全に目をつけられる。
だが、ここで断れば逆に怪しまれる。
慎重に立ち回るしかない……。
「……わかった。じゃあ、案内するよ」
オレは努めて平静を装いながら歩き出した。
ユリウスは微笑を浮かべながら、オレの後をついてくる。騎士たちも一定の距離を保ちつつ控えている。
村の通りを進みながら、オレはできるだけ当たり障りのない話をしようとした。
「この村は平和なところで……。特に問題らしいこともなく、穏やかで――」
「それは何よりだ。だが——本当に?」
ユリウスは足を止め、こちらを見た。
その瞳には、どこか鋭い光が宿っている。
「——何のことだ?」
オレがすっとぼけると、ユリウスは微かに口角を上げる。
「いや、君がどういう存在なのか、もう少し確かめたくてね」
冗談めかした口調だが、背筋に冷たいものが走る。
だが、ここで怯んだら終わりだ。
「さっきも言ったけど、オレはただの村人さ」
「そうか……」
ユリウスはそれ以上何も言わなかったが、確実にオレを警戒している。
「君は随分と落ち着いているな」
ふいに、ユリウスがオレを見た。
「勇者を前にしても、怯える様子もなければ、畏敬の念を抱いているようにも見えない。……まるで、最初から私の存在を知っていたかのようだ」
心臓が跳ねる。
こいつ……本当に鋭い。
オレは表情を崩さぬようにしながら、肩をすくめた。
「そりゃあ、勇者様の噂くらいはどこでも聞くさ。それに、村に来るのは前もって知らされていたわけだし」
「……そうか」
ユリウスは一度目を細めたが、それ以上は追及してこなかった。
代わりに、彼はふと後ろを振り返り、少し離れた場所にいるエリシアを見つめる。
「彼女は……君の幼馴染だったな?」
オレの背筋が強張った。
ユリウスの視線は、まるで品定めをするかのようにエリシアをじっくりと観察していた。