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「お前、マジで殺る気じゃねぇか!!」
「ふふっ、それはどうかしら?」
ふわり。
彼女の身体が舞う。まるで重力を無視したような軽やかな動き。
ノワールはくるりとバク転し、数メートル後方へ着地した。
紅の双眸が、じっとオレを見据える。
「さあ、『主』としての資格があるかどうか、試させてもらうわよ?」
ドンッ!!
再びノワールが地を蹴る。
その手には、ただならぬ魔力の奔流―― 空気がピリピリと震える。
「まずは、軽い挨拶ってとこかしら?」
ズズズッ……。
空間が歪む。視界が揺らぎ、背筋を刺すような魔力の奔流。
「漆黒槍」
ノワールの背後に、 漆黒の槍が五本、出現した。
「なっ……!」
それは、ただの魔法じゃない。
まるで、空間そのものを侵蝕するような、異質な力――。
――ヤバい……!!
直感が叫ぶ。これを喰らえば終わる!!
槍が唸りを上げる。
放たれる瞬間、オレは横に飛びのく!
ズガァァァン!!!
床がえぐれ、石壁が粉々に砕ける。
――くそっ、こんな魔法、聞いてねぇぞ!!
「まったく、チートみたいな威力だな」
「ふふっ、かわしてばかりじゃつまらないわよ?」
ノワールが指を鳴らす。
パキンッ――空気が砕けたような音が響いた。
途端に、周囲の空間がねじれ、暗闇が滲み出すように黒い魔法陣が次々と浮かび上がる。
「今度はもっと派手にいくわよ?」
ゾワリと背筋が総毛立った。
――ダメだ、今度こそ避けきれねえ……!!
「……『試してみる』しかねえか!!」
オレは歯を食いしばり、短剣を強く握りしめた。そして、一気に駆け出す!
「あら、死ぬ気……なの!?」
一瞬、ノワールの瞳がわずかに揺れる。
迷いが生じた――今だ!!
オレは一直線に、ノワールの懐へと飛び込んだ。
そして――。
「はあぁっ!!」
封印の短剣を振るう。
狙うはただ一点――魔法の要である『核』!!
ガキィィン!!
空間そのものが悲鳴を上げたかのような鋭い音が響く。
瞬間――。
「え……?」
ノワールの魔法陣が、音もなく霧散した。
闇の槍は放たれることなく、まるで幻だったかのように消え去る。
「……嘘っ!?」
ノワールが戸惑いの色を浮かべ、呆然と自分の手を見る。
「どういうこと。魔法が……消えた……?」
オレは短剣をクルリと回し、ニヤリと笑った。
「悪魔ともあろうものが知らないのか? 『魔法の核』を断てば、魔法は無効化されるんだよ」
「……なによ、それ?」
「こんなの『ブレイブ・オブ・グランディア』の玄人にとっちゃ、常識みたいなテクニックだぜ?」
ノワールは驚きの表情を見せたが――。
「……っ、ふふっ」
すぐに余裕を取り戻し、口元を妖艶につり上げる。
「へぇ……おもしろい。あなた、おもしろいわ!!」
紅の双眸が、愉悦に染まる。
「……いいわ、気に入った! でもね、まだまだこれからよ」
「なるほどね。まだ認められてないってことか!」
ノワールの手のひらが、妖しく輝き始める。
――ヤバい。
「さあ、これはどうする? 『夜葬』」
ノワールが静かに呟いた。
ズ……ズズズ……ッ!!
次の瞬間――。
世界が闇に侵食された。
大気が凍りつく。骨の奥まで染み込むような冷たさ。
全身が重圧に締め上げられ、呼吸すらままならない。
まるで世界そのものに押し潰されるような圧迫感。
「くそっ……! たちの悪い魔法だ!」
オレは短剣を握りしめ、一気に駆け出した――。
――が。
「残念~。そこは『死域』よ?」
ズンッ!!
オレの足が止まる。いや、止められた。
視界が揺らぐ。
世界そのものが"固定"されたかのような錯覚。
――しまった!!
足が……動かない――!!
「さぁ、おやすみなさい……」
闇が押し寄せてくる。
冷たい波がオレの意識を飲み込もうとする――。
「まだ……だ!!」
オレは、全身全霊を込めて短剣を振るった。
――シュンッ。
音もなく、世界が裂けた。
次の瞬間、黒い波動は霧散し、空間の圧力が消滅する。
足元が軽くなり、身体の自由を取り戻した。
「……今の、断つの?」
ノワールの紅の瞳が、驚愕と……興奮に染まる。
「なるほど、なるほどっ……!!!」
彼女は高揚した様子で、ゆっくりと口元をつり上げた――。
「こりゃあ、おもしろい『主』になりそうねぇ!!!!」
◆
ノワールとの出会いから一夜明けた翌朝。
「さあ、今日も五十本素振りから始めるわよ!」
「お、おう……!」
いつも通り、エリシアとオレは村の外れで剣の訓練という名の素振りを始める。
心地よい風が吹き、鳥のさえずりが響く中で、木剣が空を切る音だけが大きく響いた。
エリシアは急にオレの剣が上達したからか、昨日よりも張り切っているように見える。
その顔には、わずかに興奮したような、そして少し誇らしげな表情が浮かんでいた。
でも、オレはというと、なかなか素振りに集中できない。
頭の中をぐるぐると昨日の出来事が占めている。
なにせ昨日は色々とありすぎた。
死ぬ予定の村人Aに転生したこと。
この世界でもゲームの技術が通用すること。
イレギュラーであるノワールとの戦闘。
特にノワールは悪魔と言われるだけあって強かった。
魔法の破壊力は想像を超えていて、何度もその魔法に命の危険を感じた。
アイツ……魔王とおなじか、それ以上に強かったんじゃないか?
あの戦闘の後、オレは身体が限界に近づくほど疲れ果てて泥のように眠った。
だが、こうしてエリシアに引っ張り出されて、早朝から修行をしているから、まだ戦闘後の疲れが少し残っている。
正直、素振りに集中できない自分がいる。
でも、それじゃダメだ。
エリシアと一緒に過ごす貴重な時間を無駄にしてはいけない。
オレは、勇者に殺される未来を変えなければならない。
そのためにも、エリシアと仲良くなる必要がある。
いや、エリシアをオレに惚れさせないといけないんだ。
でも、よく考えたらそれはかなり難しい気がしてきた。
前世のオレは遊び人でもなければ、女子にモテるタイプでもなかった。
いったい、どうやってこの幼馴染の心を掴めばいいんだろう?
ちらりと横にいるエリシアを見る。
彼女の顔には、清らかで、どこか遠い目をしている瞬間があった。
それを見て、思わず胸がきゅっと締めつけられる。
「ねえ、私さっきから気になってたんだけど」
エリシアが一歩近づいてきた。
やっぱり、オレが訓練に集中していないのがバレてしまっているんだ。
「ごめん、昨日いろいろあってさ……。次はちゃんとやるよ」
エリシアの声が少し優しげだった。それに合わせるように、オレは無理に笑顔を作る。
「もう、そうじゃないのよ……」
エリシアが少し不安そうな表情を浮かべ、こちらに近づいてきた。
その顔に何か心配の色が浮かぶのを見て、オレは少し驚く。
いつもなら、そんな表情は見せないのに……。
「レオン、ここ怪我してるじゃない」
その言葉に、ハッとした。
昨日のノワールとの戦闘中、すべての攻撃を受けきったと思っていたけど、どうやら気づかないうちに傷を負っていたらしい。鼻先と肩口に、少しの傷が残っていることを指摘される。
「……ああ、そっちのこと」
自分でも気づかなかったが、エリシアに見抜かれてしまった。
あの戦闘をエリシアに気づかせまいと、身体の痛みを感じないように振る舞っていたけど、どうやら上手くできていなかったようだ。
「それ、放っておくわけにはいかないわね。教会で学んだ治癒魔法を使ってあげるから、ちょっと待ってて」
エリシアはすぐに自分の手を掲げ、魔法の詠唱を始める。
その手から放たれる温かな光が、オレの傷を包み込み、痛みを優しく引き取っていく。
まるで、その光がオレの疲れも癒してくれているような気がした。
「おお、痛みが引いていく……すごいな、エリシア」
オレが感心して言うと、エリシアは少し照れくさそうに肩をすくめる。
「そんなことないわよ。ただ、少しでも役に立ちたいから……」
治癒魔法の光が徐々に収束し、傷の痛みも和らぎ、痕もなくなった。
オレは少し気恥ずかしくなりながらも、エリシアに感謝の気持ちを伝える。
「これでよしっと。あまり無理しないでね」
エリシアが軽く微笑みながら言うと、オレは再び木剣を手に取る。
今度こそ気を引き締めないと、と思うが、心の中にちょっとした違和感が残る。
「ありがとう。エリシアは優しいよな」
心の中で少し照れくささが湧き上がる。
なるべくいつものように振る舞うと、エリシアも安心した様子でうなずいた。
「それじゃ、もう一度素振りしようか? それとも打ち合い稽古でもする?」
オレは軽く首を振って答える。
「それよりも、聞きたいことがあるんだ……」
「な、なによ……突然改まって!」
エリシアの緑色の目が見開かれる。
元々大きな目なのに余計に大きく感じる。心做しか頬も少し赤く染まった気がする。
――美少女のこういう表情ってやっぱりカワイイよな。
オレの心臓が、少し高鳴るのを感じた。
オレは、この優しい幼馴染を『世界の運命』から守りたい。
「お前さ……勇者が来るのを待ってるのか?」
「え?」
エリシアの表情が一瞬、戸惑いに揺れた。その一瞬を見逃すことなく、オレは問いを続ける。
「そりゃ、世界を救ってくれる英雄なんだから、待つのが当然でしょ?」
――やはり、決められた未来に従っているのか。
このままだと、ゲームと同じように未来が進んでしまうのではないか?
エリシアは勇者に惹かれ、オレは不要な障害として排除される運命に。
「でもさ、本当に"勇者"に頼るしかないのか?」
「……え?」
オレの問いかけに、エリシアは少し驚いた様子で目を見開く。
「お前は巫女を目指してるんだろ? でも、それって『勇者のための存在』になってないか?」
オレの言葉に、エリシアは一瞬、言葉を失った。
巫女は勇者を補佐するための存在。
それを選ぶことが、本当に彼女の意思によるものなのか?
それとも、ただ運命に従っているだけなのか?
「……そんなこと、考えたことなかった」
エリシアの言葉は、どこか切なさを感じさせた。
「なら、今から考えればいいんじゃないか。オレは……自分の意志で未来を掴むエリシアが見たい」
「……レオン……」
エリシアは静かにオレを見つめた。
彼女の目には、何か……深い思いが込められているような気がした。
――まずは第一歩だ……。
この世界の運命に縛られたヒロインを、オレは解き放つ。