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ちょっとだけ、物語が動き始めます
夜が訪れるのを待つ間、オレは村の外れでじっと時間を潰していた。
昼間、司祭から聞かされた「悪魔の封印」という話。
だが、ゲームの中ではそんな設定は一切出てこなかった。
「ゲームにはなかった情報……これはただの追加設定なのか? それとも……」
疑念を拭いきれず、オレは夜になったら教会へ忍び込むと決めていた。
――日が沈んだ村は静寂に包まれていた。
家々の灯りも消え、村人たちは深い眠りについているようだ。
さすがにこの時間になれば、門番であるエリシアの父親も夜の見回りを終えたはずだ。
「今がチャンスだな」
オレは誰にも見つからないよう、慎重に教会へと向かった。
――夜の教会は、昼間とはまるで違う顔を見せていた。
巨大な石造りの建物は、月明かりの下で不気味な影を落としている。
正面の扉は当然閉ざされている。
だが、昼間のうちに確認しておいた裏手の小さな窓――そこが少し開いていた。
慎重に壁をよじ登り、窓枠を押し広げて中へと忍び込む。
教会の内部は静まり返っていた。
ロウソクの灯りはすでに消え、月明かりだけがステンドグラスを通して薄く光を落としている。
その薄暗い中、女神像がひと際存在感を放っている。
昼間は荘厳に見えた女神像も、今はまるで誰かを睨みつけるように佇んでいるように見える。
「……大丈夫だ。落ち着け」
オレは慎重に足音を殺しながら、礼拝堂の奥へと向かった。
「さて、封印の真相を確かめるか」
だが――。
「……なんだ、これ?」
こんな物、昼間見た時にあっただろうか。
祭壇の奥。
床にはめ込まれるようにして設置された鉄格子の扉。
その先には、地下へと続く階段があった。
――こんなもの……ゲームにはなかったはずだ。
錆びついた鉄の扉には厳重な錠がかかっていたが、試しに押してみると――意外にも、簡単に開いた。
「……まさか、鍵のかけ忘れか?」
そんな馬鹿な話があるだろうか。
だが、その違和感を考える間もなく、オレの好奇心が足を踏み出させた。
階段を降りるにつれて、冷たい空気が肌を刺すようにまとわりつく。
薄暗い空間に立ち込める、かすかな鉄と薬草の匂い――それと魔術の気配。
そして、目の前に広がったのは、異様な光景だった。
壁際には無数の本棚が並び、中心には巨大な魔法陣。
その中央に、豪奢な装飾が施された棺が鎮座している。
――そして。
棺の蓋には、ひと際目を引く短剣が突き立てられていた。
「これは……?」
柄には精密な細工が施され、禍々しい文様が刻まれている。
短剣を中心に張り巡らされた魔法陣が、まるで棺を縛る鎖のように静かに脈動していた。
「まさか……この短剣が、封印の鍵なのか?」
オレは慎重に近づき、短剣に刻まれた文字を凝視した。
ゲームをやり込んだオレは、この世界の特殊文字も覚えている。
そして、解読した瞬間、背筋に悪寒が走った。
『封印指定:神聖武具』
「……神聖武具? ってことは、これは『聖なる力』で封印されているってことか?」
思わず、短剣をもっとよく見ようと顔を近づけた、その時――。
「……ふふっ、ずいぶんと可愛いお客様ね」
「っ!?」
突然、甘く艶やかな声が響いた。
驚いて振り向くが、そこには誰もいない。
――いや、違う。
この声は、棺の中から聞こえた?
次の瞬間――。
魔法陣が眩い光を放ち、鋭い音を立ててひび割れた。
「な、なんだよ、これ……っ!?」
驚いた拍子に、オレの手が短剣の柄に触れた。
その瞬間――。
ビキィィィィッ!!
まるで大気が裂けるような音とともに、魔法陣の光が弾け飛ぶ。
封印が砕け、短剣がオレの手の中に落ちた。
――それと同時に。
バァンッ!!!
棺の蓋が吹き飛んだ。
凄まじい魔力が奔流となってあたりに広がる。
「なんて魔力だ……!」
オレは本能的に数歩後ずさった。
棺の中から、ゆっくりと影が身を起こす。
紅の瞳が、まっすぐにこちらを射抜いた。
長い黒髪が揺れ、黒いドレスが魔力の光を受けて妖しく輝く。
彼女は、ゆるりと手を上げて伸びをすると、艶やかな笑みを浮かべた。
「……あぁ、ようやく解放されたのね」
甘く、蕩けるような声。
気を抜くと、魅了されそうだ。
オレの手の中にある短剣を一瞥すると、彼女は妖艶に微笑んだ。
「さて……お礼を言うべきかしらね?」
その言葉に、背筋がゾクッと震えた。
――こいつが、封印されていた"悪魔"か?
オレはゴクリと唾を飲み込んだ。
「……お前、何者だ?」
彼女は小さく首を傾げると、くすくすと笑った。
「ん〜、アタシの名前はノワール。で、あんたは?」
「えっと……レオンだ。この村に住んでいる」
――なんでこんなに無邪気なんだ……?
この女こそ、封印されていた"悪魔"のはずだ。
だが、彼女からは邪悪な気配は感じられない。
むしろ、どこか気の抜けた雰囲気すらある。
「ふ~ん……あんた、ちょっと普通の村人じゃないね?」
「オレは異世界からの……転生者だからな」
なぜか分からないが、ノワールには嘘が通用しない気がしたのだ。
ここは正直に答えておくほうが安全だと感じた。
「ほうほう、転生者。……なるほどねぇ。おもしろいわ~」
ノワールは楽しげに笑いながら、ポンと手を打った。
「なら、この世界の"異常さ"にも気づいてるでしょ?」
「……異常さ?」
ノワールはニヤリと笑う。
「――この世界はね。『決まったシナリオ』があるんだよ」
心臓が、どくんと跳ねた。
「つまりね、あんたが勇者に殺されるのは、『あらかじめ決まってる』ってことさ」
凍りつくような寒気が背筋を駆け上がる。
――やっぱり……この世界は何かがおかしい。
村人たちが勇者の到来を当たり前のように信じているという違和感。
原作通りなら、オレは勇者に殺されるという運命。
――この世界は、『決められた未来』に縛られているってことか?
つまり未来は変えられないのか?
ノワールの言葉は、それを裏付けるものだった。
「でも、あんたは私の封印を解いた。そう……解いちまったのさ。つまり『予定調和』を壊したってことなの」
「それってつまり……」
オレの返答を聞いたノワールは口角を上げ、にやりと笑った。
「――世界の歯車が狂い始めるってことさ!!」
その瞬間――。
ヒュッ!!
唐突に、ノワールの姿がかき消えた。
「なっ……!?」
次の瞬間、背後から強烈な殺気。
ビュオォォォッ!!
殺気のする方向から避けるように、かろうじて身をひねる。
オレの顔面寸前を黒い爪が頬をかすめた。
「へぇ……、今のを避けるんだ~」
ノワールが笑っている。
だが、その笑みは先ほどまでの柔らかいものではなく、まるで獲物を試すような、猛獣のそれだった。
「いきなり襲ってくるなんて……どういうつもりだ?」
「う~ん、そうねぇ」
ノワールは片手を顎に当て、思案するふりをする。
その仕草に腹立たしほどに色気を感じる。
「私、『気まぐれ』なのよね……」
「気まぐれ、だと?」
「うん。それにね、あんた――」
ノワールがオレの手元を指差す。
オレの手元には、封印の短剣がある。
「あんたがそれを持ってるってことは、私の"主"ってことになるのよ」
「はあっ?」
「だって、それは"封印の鍵"でもあり、『契約の証』でもあるんだからね」
ノワールは妖艶に微笑んだ。
「ま、主従関係を決めるには……"腕試し"が必要でしょ?」
次の瞬間――。
ドンッ!!
ノワールが地を蹴った。
その姿が、目の前から消え――。
「さあ、私の思い。受け止められるかしら?」
背後から、甘い囁きが聞こえる。
――速いッ!!
思考が追いつくより先に、体が本能的に動く。
反射的に短剣を構え―― ガキィィン!!
「うおお!!!」
腕に走る衝撃。
ノワールの漆黒の爪と短剣が交差し、鋭い火花を散らした。
「わお、なかなかやるじゃない! 素敵よ」
ノワールは楽しそうに笑う。だが、目は笑っていない。
まるで獲物を試す猛獣の目―― ギラギラとした殺意の輝きが宿っていた。