21
夜の闇に包まれた森を、2つの影が静かに進んでいく。
ユリウスは前を歩くフードの人物を見据えながら、問いを投げかけた。
「……夢の中でレオンを倒すといったな。具体的にはどういうことだ?」
フードの人物は振り返ることなく、落ち着いた声で答える。
「貴方が眠りにつけば、意識は神の力に導かれ、レオンの夢へと入り込みます。そこで彼を討って頂きます」
ユリウスは無言で前を向いた。森の奥に、石造りの小さな祠が見えてきた。
「レオンはどんな夢を見ている?」
「彼にとって、最も安らげる夢です」
フードの人物の声には確信があった。
「彼の心が求めるままの世界……争いのない日々、彼を慕う者たちに囲まれ、苦しみも迷いもない幸福な時間。目覚めようなどとは考えもしない、心地よい眠りの中にいるのです」
ユリウスは眉を寄せた。レオンが望む世界……?
「そんな夢を見せられているのなら、なぜわざわざ討つ必要がある。レオンは目覚めないのだろう?」
「彼を確実に排除するためです」
フードの人物は静かに言った。
「異物である彼にとって、神の力もまた異物。永遠に目覚めないとは言い切れません。ですが……甘い夢を見ている今ならば、確実に討てるでしょう」
ユリウスは祠の入り口で足を止めた。
「……本当に、それでいいのか?」
「何か迷いが?」
「夢の中とはいえ……奇襲の真似事の様ではないか。正々堂々と戦うのが、勇者の役目ではないのか?」
「ええ、そうですね。ですが、今回は特別です」
フードの人物は淡々と応じる。
「これは戦いではなく調律なのです。世界を歪める異分子を排除し、正しい未来へと導くための……」
ユリウスは拳を握りしめた。どこか、釈然としないものを感じる。だが、それを言葉にすることはできなかった。
「レオンを夢の中で討てば、彼は二度と目覚めることありません」
「二度と……?」
「ええ。夢の中で死ぬこと、それは精神の死を意味します。精神の死んだ肉体は、動かぬ容れ物と同じ。さすれば神の力も完全な力を発揮するでしょう」
「……」
「世界を救うため、ユリウス様の力が必要なのです。勇者さま……どうか」
フードの人物は懇願するように、ユリウスを見上げた。
それはまるで、彼女の緑色の眼が、ユリウスの思考を上書きしようとするかのようだった。
「……わかった。では、どうすればいい?」
フードの人物は微笑んだ気配を見せる。そして、祠の奥を指し示す。
「この奥に、神の力が宿る石があります。それに触れれば、ユリウス様の意識はレオンの夢へと繋がります」
ユリウスは深く息を吸い込み、ゆっくりと祠の中へと足を踏み入れた。
もう、そこに迷いは無かった。
◆
オレは黒川さんから逃げるようにして走った。
息が切れ、心臓が激しく脈を打つ。
「こないだのお兄さんじゃないですか?」
「き、君は……コンビニの黒ギャルちゃん?」
道端で息を切らすオレに声をかけたのは、以前コンビニでぶつかった黒ギャルだった。
「私はそんな名前じゃありませんが……まあいいでしょう。ところで……どうしたんですか? とても急いでいるようですが」
彼女の口調には優しさが滲んでいて、どこか安心感があった。
「ああ、色々あって大変で……。ところで、黒ギャルちゃんは、なんでこんなところに?」
「確か……私みたいな女性は夜遊びが激しいのでしたよね? なら、私がラブホテルの近くを歩いていても、おかしくないと思いますが……」
「まあ、そうなんだろうけど……」
彼女の見た目は派手だが、清楚な雰囲気とどうにも噛み合わない。
夜遊びするような人には思えなかった。
「お兄さんみたいな男性は私のタイプですし、一緒に休憩でもしましょうか?」
「……えっ?」
「悩みがあるなら膝枕して差し上げても良いんですよ? 私の膝の上で……心の内を打ち明けては如何です?」
そう言って黒ギャルちゃんは、自分の太ももを指でなぞる。
ほどよく肉付きの良い太ももに思わず目が釘付けになる。
「私の膝枕……気持ちいいと思いますよ?」
細すぎず、適度に肉付きのいい……柔らかそうな――。
……だめだ!
「えっ、と……黒ギャルちゃん?」
「冗談です……」
くすっと微笑んだ彼女は、ビニール袋から何を取り出す。
「はい、コーヒーです。そういう時は家でゆっくりして、頭を整理しするのが1番ですよ」
黒ギャルちゃんの優しさに、オレは瀬川を忘れてしまいそうになった。
◆
家に帰ったオレは、テーブルに突っ伏していた。
「……一体何が起こってるんだ」
かわいい瀬川が彼女になった。
憧れの黒川さんに関係を持ちかけられた。
黒ギャルちゃんの優しさに、心を持っていかれそうになった。
「一気に色々ありすぎだろ……」
まるで『ギャルゲーの主人公』みたいな状況。
今まで女っ気なんて皆無だったのに、突然モテ期が到来か?
いや、さすがに不自然すぎる。
「……明日、黒川さんに会うのも怖いな」
オレは頭を振り、黒ギャルちゃんから貰ったコーヒーをひと口。ほろ苦い風味が、少しだけ現実味を取り戻させる。
ふと、テーブルの上に置かれたフィギュアに目が行った。
躍動感あふれる元気な女の子。
艶やかな色気を放つサキュバス。
清楚で可憐なドレス姿のお姫様。
1万円以上するフィギュアを三体も大人買い。
……けど、これ、なんのキャラだ?
ていうか、そもそもフィギュアなんて買う趣味あったか?
「最近のオレ……なんか変だぞ」
突如として襲う頭痛。走馬灯のように脳裏をよぎる、見知らぬ記憶。
このフィギュアが欲しくなった理由も、妙に心を締めつける『アイツ』の存在も――全部、ぼんやりしている。
「はあ……本当に、1回病院行ったほうがいいかもしれないな」
その時だった。
――ピカァッ……!
首にかけたネックレスが、淡く光を放つ。
「な、なんだ……?」
同時に、テーブルの上のフィギュアが――ぐにゃり、と形を変えていった。
金髪ツインテールに、大きな緑色の瞳の少女。
黒衣を纏い、紅い瞳を揺らす妖艶な女性。
純白のドレスを優雅にまとい、金色の瞳が静かに輝く淑やかな美女。
どこかで見たことがある……いや、違う。
知っている。
何よりも大切な、オレの――。
「エリシア、ノワール……ヴェルゼリア!?」
なんで忘れていた?
なんで思い出せなかった?
混乱する間もなく、オレの体が眩い光に包まれた。
視界が揺れ、感覚が変わっていく――。
水島としての体が、レオンへと戻っていく。
そして、失われていた記憶も……!
気がつくと、光は収まっていた。
そうか……このネックレスについている短剣って――。
すべてを思い出したオレは、拳を握る。
「オレは裁定者を倒した後、何かに襲われて眠くなった……つまり、ここは夢の中か?」
周囲を見渡す。
この部屋は、レオンに転生する前――水島として生きていた頃に住んでいたアパートだ。
つまり、この夢はオレの記憶を元に作られている……?
「早く、ここから抜け出せないと……」
だが、その時――。
――ドォォン!!
玄関の方から、ものすごい音が響いた。
「な……なんだ急に」
オレは音のする方を振り返る。
今の音は外からじゃない。完全に、この部屋で鳴ったものだ。
何かを踏み砕くような音が続く。
間違いなく、人が来る。
それも、ただ者ではない。
邪魔なものを退けるような音。いや、これは鎧の発する金属音か?
誰かが来る。
黒い靴が、コツリ、と床を踏んだ。
現れたのは、闇の騎士――漆黒の鎧に、黒光りする剣を携えた男。
この現代日本風の夢世界には、まるで馴染んでいない。
明らかに浮いている。
だが、男の顔を見た瞬間、オレは息を呑んだ。
「お前は……ユリウス?」
見間違えるはずがない。
金髪碧眼の勇者ユリウス――ただし、今までの勇者の面影は薄い。
あの神々しさは微塵もない。
氷のように冷たい眼差しと、深淵の闇を纏ったかのような雰囲気の別人だった。
ユリウスは、オレを睨みつけ、忌々しげに吐き捨てる。
「フン……貴様、甘い罠にハマっていると聞いたが……まだ正気を保っているようだな」
「罠だって?」
「当たり前だ。お前は神に導かれ、永遠の夢に囚われるはずだった……だが、それすらも拒絶するか、レオン」
「お前こそ、だいぶ雰囲気が変わったんじゃないか。いつもの白銀の鎧と聖剣はどうした? その見た目、まるで闇の騎士だな」
「私は神から新たな力を授かったのだ。以前よりも……遥かに強力な力をな。聖剣はその力に呼応し、姿を変えて共にある」
ユリウスは口角をつりあげて、嘲笑するかのように黒光りする剣の柄を撫でる。
……あの黒剣が聖剣だって?
「まるで闇落ちだな。精神も神に操作されてるんじゃないか?」
最後に見た時のユリウスは、目に見えて落ち込んでいた。会話もままならないほどに。
だが、今はどうだ。その表情は自信に満ち溢れ、狂気すら孕んでいる。
「神を愚弄するか……異物め。今、排除してやろう」
ユリウスが剣を抜く。
刀身が黒い……。
黄金の輝きを纏っていた聖剣は、今や漆黒の刃と化し、今にも闇の奔流を噴き出しそうなほど、禍々しい黒を湛えている。
同時に、ゾワリと背筋が凍りつく。
ただの抜刀だけで、空気が歪んだように感じた。
この夢世界でも現実でもユリウスの強さは変わらない……いや、むしろ研ぎ澄まされ、増しているとすら感じる。
――刹那。
ユリウスの剣が唸る。
「っ!」
オレは直感で飛び退き、紙一重で斬撃を躱す。
次の瞬間――。
――ズバァァァン!!!
振り下ろされた剣が、床ごとテーブルを両断する。
缶コーヒーが宙を舞い、黒い液体が飛び散った。
「おいおい……部屋がめちゃくちゃだぞ」
苦笑いしながら、オレはじりじりと後退する。
……ヤバい。戦うにしても、武器がない。
ガタリ……!
背中が窓枠にぶつかる。
……一旦、逃げるしかないな。
ユリウスが次の一撃を放とうとした、その瞬間――。
「――っと!」
オレは思い切り後ろへ飛び、窓ガラスを蹴り破った。
――ガシャァァン!!!
夜の街の冷たい空気が、肌を切る。
「貴様……逃げるか!」
ユリウスの怒声が響いた。
だが、オレは地面を転がるように着地し、そのまま駆け出す。
夜の街を息を切らしながら走りだす。
しかし――。
「異物め……逃がすものか」
その声とともに、背後から猛烈な殺気が迫る。
振り返ると、ユリウスが躊躇なく窓を突き破り、こちらに向かって落下していた。
ユリウスは……本気でオレを殺すつもりだ。
ユリウスさん登場です。