17
裁定者が呟いた瞬間——オレたちの動きが鈍くなる。まるで世界そのものが裁定者に味方しているかのような錯覚——否、これは錯覚じゃない。
まさか……時間を操られているのか!?
「っ……なに、これ……!」
エリシアが焦った声を上げる。彼女の長い金髪がゆっくりと揺れるのが、異常なまでにスローに感じる。
「面倒ねえ……そんな小細工、無意味よ」
ノワールが艶然と微笑むと、指先を軽く弾いた。
「さあ、獲物よ。影豹の疾走……」
瞬間、ノワールの影から黒豹が姿を現し、鋭く咆哮する。そのまま疾走しながら裁定者の周囲の空間を喰らい、歪められた時間を無理やり乱していく。
「さすがノワールです……私も加勢させて頂きましょう」
ヴェルゼリアが優雅な足取りで前に出て、静かに指を弾いた。
「魔王の威圧!」
黒豹によってズタズタにされた空間が、ヴェルゼリアの魔法によって完全に弾け飛ぶ。
これで奴の時間操作の影響は消えた——はずだった。
「……運命を歪める、か」
裁定者の仮面の奥で、目が微かに光を帯びる。
「それは悪手よ」
ノワールの指先が漆黒の魔力を帯び、妖しげに光る爪が伸びる。そのまま空間を裂くように飛び込み、裁定者の胸を抉った。
裁定者の剣が即座にノワールを斬り返そうとするが——。
「させるかよっ!!!!」
オレは迷わず剣を振り抜いた。
裁定者の剣はおそらく魔力で構成されている。——ならば……オレの一撃でその核ごと断ち切る!
『鬼哭斬!!』
オレの選択した技は、水平方向へ剣を薙ぐ『鬼哭斬』。
剣が空を切る音が、鬼の泣き声の様であることから名付けられた技。
威力・スピード共に申し分ない剛剣技。
――ギャリィィン!
ノワールを守るべく、オレの剣が裁定者の剣とぶつかる。
だが、オレはそのもの剣を狙っているわけじゃない。
その先の『核』を狙っている。
お前の武器を……断ち切ってやる!
あれが魔力で作られた剣なら、必ず斬れる。
「……っらあ!」
次の瞬間、裁定者の剣が霧散する。
だが、オレの剣も無事じゃない。
かなりのダメージを受けている……。
「ふふっ、助かったわ。さすが主ね……」
ノワールが妖艶に微笑み、奴からすかさず距離を取る。
彼女の自慢である漆黒の爪にもヒビが入っていた。
絶対防御が無くなったとしても、裁定者そのものが……とんでもなく硬い!!!
このままじゃ、オレの剣は持たない。
なにか打開策を考えないと。
「レオン!!」
エリシアがオレの剣に聖なる光を込める。
剣が光を帯び、次第に輝きを増していく!!
――エンチャント!?
これならオレの剣も、まだ行ける!!
だが、裁定者の体が揺らぎ、次の攻撃に移ろうとしている。
――まずい!
「まだか……エリシア!?」
「もう少し、待ってて!!」
その時――。
「レオン様……私が時間を稼ぎます!」
ヴェルゼリアが魔力を込めた拳を構えた。
彼女の気迫がビリビリと伝わってくる。
「いきます……!! 魔王の一撃!!!」
凄まじい衝撃。
ヴェルゼリアの拳が裁定者の顔面を捉え、鈍い衝撃音と共に仮面がひび割れる。
「レオン、今っ!!!」
エリシアがオレの肩を叩く。
「おう、待ってたぜ!」
オレは全身の力を込め、地を蹴った。
みんなのお膳立てを無駄にはしない!
裁定者の懐へ一気に踏み込み、渾身の一撃をお見舞いする。
刹那……雷が爆ぜる。
「——『雷光覇斬』!!!!」
一撃の威力に特化した剣技だ。オレの持ち技の中では、もっと単発の火力が高い技。
雷を纏った刃がバチバチと音を立てながら、裁定者の胴に食い込む!
ジリジリと体を切り裂いていく。
――が。
裁定者……やっぱり硬い!
「うぉぉぉぉ!」
エリシアのエンチャントがあってもなお、この硬さ。
足と腰の捻りを加えて、さらに技の威力を上げる。剣技システムのその先へ。技を昇華させろ!!
「いぃぃけぇぇぇ!!」
勢いを増したオレの剣技が、裁定者を真っ2つに断ち切った。
「レオン!! すごい!」
「ふふ、やるじゃない……」
「レオン様さすがです……」
裁定者の体が崩れ落ち——光に包まれていく。
「なんとか、斬れた……」
裁定者を包む光りはどんどん増えていく。
それは浄化のようにも、消滅のようにも見えた。
「——判断完了」
下半身を失った裁定者が呟くように言う。
「汝らは……修正不能……と……判……断…………」
その言葉を最後に、裁定者の姿は光とともに掻き消えた。
今まで感じていた"世界の圧力"が、わずかに薄らいだ気がした。
しかし、それと同時に——不穏な予感が胸をよぎる。
奴が消える直前の言葉……聞き取れなかったが、あれはオレたちに言ったのだろうか。
◆
一方、その頃――。
勇者ユリウスは神殿の奥深く、冷たい石の床に膝をついていた。
薄暗い神殿の内部は、まるでユリウスの心を映したかのように静寂と絶望に満ちている。
勇者の証である聖剣は、その黄金の輝きを放ち続けているものの、もはや本来の役目を果たすことは出来ない。かつて世界を救うと誓った剣が、今はただの鉄の塊に成り下がっている。
「……どうして、こんなことに……?」
かつては揺るぎなかった信念が、今は脆く崩れかけていた。
勇者としての力を失った今、彼は何者なのか?
何のために戦うのか?
いや、もう戦うことすら出来ない。
答えの見えない迷宮に囚われ、もがき続けるしかないのか。
そのとき――。
『ユリウスよ』
神の声が響いた。
低く、荘厳でありながらも、どこか冷たさを感じさせる声。
「はい……」
ユリウスは反射的に頭を垂れた。
彼が最も信じ、従うべき存在――神が語りかけているのだ。
『汝の使命は、世界を救うこと』
その言葉に、ユリウスの指がわずかに震えた。
使命――かつて誇りを持っていた言葉。
今の彼には、その言葉が重くのしかかる。
「……しかし、私には……もう」
かすれた声で応える。
『それは、お前のせいではない』
「……!!」
『異物によるものだ』
「……異物、ですか?」
『レオン・シュヴァルツ――汝の"役割"を奪いし者』
「……レオン、あの村の少年が?」
ユリウスの脳裏に、レオンの姿が浮かぶ。
巫女であるエリシアを自分に渡すまいと必死だった男。
なぜか魔族からの信頼を得て、和平交渉の中心にいた。
和平交渉か……。
途中から話について行けず、成り行きを見守るしか無かった歯がゆさが蘇る。
巫女であるエリシア、魔王ヴェルゼリア、そして生意気にも私に楯突いた……紅い目の妖艶な女。
全員が彼に惹かれていた。
勇者である自分を差し置いて……だ。
勇者を支える役目の巫女が、自分以外の存在になびくなどあってはならない。
だいたいエリシアは私に惚れていたはず……。
――否、違う。
ユリウスは静かに息を呑んだ。
本当に、気にしていたのはエリシアだけだったのか?
いや――違う。
私が本当に欲していたのは……あの黒フードの女、ノワール。
彼女の紅い瞳は、闇の中でも際立つほどの妖艶な光を放っていた。
冷たい態度、気まぐれな微笑み、それでいて、レオンには甘く蕩けるような視線を向ける。
本来ならば……私にあの視線を向けるべきではなかったのか。
ユリウスは拳を握りしめた。
エリシアが巫女であるがゆえに、自分に仕える存在だと信じていた。
だが、エリシアだけではない。
ヴェルゼリアも、そして……ノワールさえも、レオンに惹かれている。
あの2人も自分に仕えるべき存在では?
なぜだ……?
あの女の微笑みを見たとき、心の奥に何かが疼いた。
ノワール……お前がレオンの隣にいるのは、間違っている。
本来なら、私の役割のはずだ……。
『汝は、役割を奪われた』
――あいつに……レオンに奪われた?
自分の役割を奪ったと言われれば納得できる。
なぜ今まで気づかなかったのか。
『レオン、奴は世界の敵。すなわち異物』
ユリウスは唇を噛む。
レオンが"世界の敵"だというのなら――彼女たちは、なぜ彼を慕うのだ?
ヴェルゼリアは、確かに強大な力を持つ存在だが、彼女は聡明で……魔族のくせに、決して無意味に人を傷つけるような者ではなかった。
その彼女もレオンに心を奪われた。
エリシアも、純粋に人々を救おうとする心を持っていたはずだ。
巫女である彼女ですら、自分のもとを離れてレオンの側を選んだ。
そしてなにより、あの紅い瞳の女――ノワール。
彼女はレオンにだけ微笑む。
本来なら、私に微笑むべきなのに――。
……だが、全てはレオンが持っていった――私から奪ったのだ。
まるで……あの村で、異物だったのは――。
『ユリウス……迷うな』
神の声が鋭く響く。
『汝は"勇者"である。世界を正しき形に導くのだ』
「……正しき形……」
それは、神の意志による世界の秩序。
神が定めた絶対のシナリオを不変とした、勇者が魔王を倒す物語。
その絶対の法則では、勇者は世界を導く存在。
ならば、レオンは……異物である彼は?
神の意思に従えば、彼の存在はこの世界にとって――。
『ユリウスよ』
再び、神の声が響く。
「はい……」
『汝の使命を全うせよ。レオンを――討て』
その瞬間――。
ユリウスの胸の奥に、黒い光が灯った。
それは静かに広がり、彼の身体を蝕むように絡みつく。
黒い炎のようなものが、指先から腕へと広がっていくのを感じた。
さらに腕から肩へと、黒炎の侵食はとどまる様子がなく広がっていく。
だが、不思議と熱くも痛くもない。
むしろ……。
「……これは?」
『力だ』
神は囁く。
『汝が使命を全うするために、我が力を与えたのだ』
それは、かつて身に宿していたの神の加護とは明らかに異質なものだった。
以前の加護が……聖なる力、光の代行者だとしたら――。
新たに宿るのは――禍々しく、冷たく、それでいて抗いがたいほどの力。
この暗く、黒い力に……我が身を委ねてもいいのか?
こんこんと湧き上がる、恐ろしいほどの力。
だが、これは勇者が手にして良い力なのか?
本当に神の力なのか……。
――誰か、教えてくれ。
ユリウスは頼みの綱である聖剣を握りしめた。
だが、指から伸びた黒い炎は、黄金の光を放つ聖剣をも闇で覆い尽くしていく。
『汝が使命を果たせ』
……聖剣が黒く染まっていく。
――私は……レオンを倒……異物を……。
…………あの女……ノワールを……この手に――。
迷いの色を宿した瞳さえ、黒く染まりかけていた――。
勇者闇落ち!?
読んでいただき、ありがとうございます。
楽しく読んでもらえたでしょうか?
楽しめるように書いていきますので、よろしくお願いします。