12
村から少し離れた丘の上。
そこには魔王軍が静かに待機していた。
闇の中にぼんやりと浮かぶその姿は、まるで別世界から切り取られた異形の軍勢。
しかし、彼らはもう敵ではない。
人間と魔族は和平を結んだのだ。
目の前に立つ魔王ヴェルゼリア――人類の敵としてもっとも恐れられた伝説的存在。
歴代最強の魔王である彼女は、圧倒的な魔力を放ちながらも、どこか穏やかで、優雅な佇まいを崩さない。
そんな彼女とオレたちは『神』という共通の敵に抗う同志となった。
今は心強い味方なのだ。
静かに歩み寄ってきたヴェルゼリアは、夜の闇に映える金色の瞳を俺に向けた。
「レオン様。あなたの決断に……改めて感謝申し上げます」
「やめてくれ、感謝するのはオレの方だ。そもそもオレは、決められたシナリオに従うのが嫌いなんだ」
オレの言葉に、ヴェルゼリアはゆっくりと微笑んだ。
「そうですか……私は最後までおそばにおります。レオン様の未来が、私の未来でもありますから」
高貴で、揺るがないその言葉。オレの心に、新たな決意が灯る。
「ふふ……面白くなりそうね」
ノワールは怪しい笑みを作り、エリシアは少し拗ねたように頬を膨らませた。
「ま、まぁ、私だって……!? レオンと一緒に戦うんだから!」
「ふふっ、心強いですね」
ヴェルゼリアの静かな笑みが、場を優雅に包み込む。
「……それにしても、あんたって面白いわね。まさか……魔族を魅了しちゃうなんてね」
夜風に乗せ、ノワールが艶のある声で呟いた。
漆黒の髪がさらりと揺れ、夜の闇に溶け込む。
「その言い方だと、オレが悪いことしたみたいに聞こえるけど……」
オレの言葉に、ノワールは妖艶な笑みを浮かべた。
「受け取り方は自由よ……。でも、あんたってば本当に『破壊』に向いてるのね。そういうところ……嫌いじゃないわよ」
――破壊か。
オレって言うよりも、ほとんどノワールの力なんじゃないかと思うけど……。
考えにふけっていると、後ろから不意に声が掛けられる。
「ちょっとレオン!?」
振り向くと、エリシアが腕を組んで仁王立ちしていた。
その瞳には、いつものツンとした気丈さと、どこか不安げな色が混じっていた。
「どうした……エリシア?」
問いかけると、エリシアは「はあ?」とでも言いたそうな胡乱な目をして、近づいてきた。
「もうこれ以上、増やさないでしょうね?」
「……な、なにを?」
オレが引きつりながら答えると、エリシアは大きくため息をついた。
「……女に決まってるでしょうが!!」
エリシアの迫力に一瞬、ビクッとする。
彼女の言葉には、前とは違う力強さがあった。
その視線にも魅入られたような不自然さはない。
もう、彼女はシナリオの強制力から自由になったのだ。
「エリシア。お前はもう大丈夫みたいだな」
「な、なによ……もう。調子狂うわね」
勇者の近くにいると、その運命の力に吸い込まれてしまうのだ――『神』のシナリオがもつ運命力の影響。
だが、今のエリシアの瞳には、明確に自分の意志が宿っている。
……すこし機嫌が悪そうだが。
勇者ユリウスのそばで仕えたい、と思わされていた彼女だったが、今は自分の意思でユリウスの傍から離れ、ここに立っている。
「本当に……良かった。元に戻って……」
「レオンが……私を解放してくれたのよね?」
その声は、どこか優しいものになっていた。
「オレだけの力じゃないけどな。ノワールがいなかったら無理だったと思う」
「ふーん、……ノワールさんも。そうなんだ」
エリシアは照れたようにそっぽを向いた。
すっかり元通りみたいだ。
これでオレの目標は1つクリアできたな。
①エリシアの心を掴み、勇者との関係を断ち切る。
エリシアを惚れさせるようなことは無理だったが、彼女をシナリオから開放し、勇者との関係を断ち切ることは出来た。
結果オーライだ。
嬉しく思い、エリシアを見ていたのだが――。
「な、なによ……」
「いや、別に」
「……もうっ!」
ふと、そんなやりとりを眺めていたノワールが、面白そうにくすりと笑った。
「ふぅん? なんだか楽しそうな雰囲気ねぇ。ヴェルゼリア、どう思う?」
「そうですね。確かに、微笑ましい光景です」
なぜエリシアが怒っているのかわからなかったが……。
2人はオレが怒られているのが楽しいみたいだった。
◆
「ゼルヴァ……すみやかに全軍を撤退させてください。後から私もすぐに合流します」
「はっ、承知しました……」
ヴェルゼリアの命令により、ゼルヴァは速やかに数人の側近へ命令を伝達してく。
あっという間に魔物の軍勢が引き上げ始める。
しっかりと統率の取れている軍隊。
もし戦うことになっていたら、と思うとゾッとする。
軍勢が引き上げていくつれて、張り詰めていた緊張感も次第に和らいでいった。
ヴェルゼリアは村を見渡し、穏やかに微笑む。
その視線の先には、安堵の表情を浮かべる村人たちの姿があった。
「レオン様、これでひとまず、村の雰囲気は元に戻ったでしょうか?」
「ああ……ありがとう」
ヴェルゼリアはそう言いながら、柔らかく微笑んだ。
彼女の微笑みはいつも気品に満ちているが、どこか愛しげなものを含んでいるようにも感じる。
「……さて、私は城へ戻らねばなりません。戦いに向けて、必要な準備を整えるために」
彼女はそう言うと、少しだけ視線を落とした。
その仕草には、一抹の寂しさが滲んでいるように見えた。
もしかして……。
「ヴェルゼリア、城の留守を任せられる奴がいないのか?」
「いえ、それについては心配いりません。ゼルヴァがいますので。彼は能力も、人望も申し分ありません。そのまま魔王になってもいいくらいです」
ゼルヴァ……アイツは仕事が出来そうなタイプだし、ヴェルゼリアへの忠誠も高いように見えた。
彼なら、主が留守中でもしっかりと城を守ってくれるに違いない。
ヴェルゼリアは静かに頷くと、ゆっくりとオレの前へ歩み寄った。
「それよりも、レオン様……」
「ん?」
ヴェルゼリアはじっとオレの瞳を覗き込む。
彼女の金色の瞳が、真剣な色を帯びた。
「次にレオン様のもとへ来る時は……もっとお側にいてもいいですか?」
「……えっと、どう解釈したらいいのか」
「そのままの意味ですよ。レオン様」
意味ありげに微笑む彼女。
けれど、その眼差しはどこか決意に満ちているように見えた。
そのとき、村長が駆け寄ってきた。
「レオン!」
「村長……そんなに急いでどうしたんだ?」
「よくぞ……よくぞ魔族と和平を結んでくれた! まさか魔族と手を取り合う日が来るとは思わなんだわ。もはや偉業としか言いようがない!」
村長の大声に、周囲の村人たちもざわめき始める。
「レオン! お前は本当にすごいぜ!」
「お前は村の英雄だ!」
村人たちが口々に称賛の言葉を投げかけてくる。
「オレは……そんな大したことは——」
「いいえ、レオン様。貴方はこの世界を救う第一歩を踏み出されたのです」
ヴェルゼリアが静かに言う。
その言葉は、まるでオレの心を見透かすようだった。
「これから戦いは続きます。しかし、貴方が選んだ道は正しい——私はそう確信しています」
彼女はそっとオレの手を取る。
その手は温かく、そして優しかった。
「また、お会いしましょう……レオン様」
そう言い残し、ヴェルゼリアは振り返る。
彼女の背中を見送るオレは、少しだけ胸の奥がくすぐったいような、何かを期待するような、そんな不思議な感覚に包まれていた——。
だが、ユリウスだけは……まるで魂を抜かれたかのように立ち尽くしていた。
◆
「私は……勇者だ……」
絞り出すように呟く声は、どこか虚ろだった。
——無理もない。
神の加護は通じず、頼みの聖剣もただの鉄塊と化した。
魔族との交渉の場では完全に道化と化し、巫女であるエリシアも彼の元を離れた。
さらには、勇者を崇めていた村人たちも正気に戻り、誰もユリウスを英雄扱いしなくなった。
もはや、彼の存在意義そのものが揺らいでいた。
自分で仕掛けたこととはいえ、この変わり様はさすがに不憫だな。
そう思ったオレは、勇者に声をかけてみた。
「ユリウス……大丈夫か?」
「私は勇者だ……」
「いや、それはわかってるけど……」
「勇者は……神に選ばれし者で……魔王を討ち……世界を救う……」
――ダメだ、会話にならない。
虚ろな目をした彼は、ただブツブツと同じ言葉を繰り返すばかりでこっちを見ようともしない。
正直、ここまで追い込むつもりはなかったのだが……。
自分の力が通じないという事態は、彼にはショックが大きすぎたようだ。
順風満帆な人生で、挫折を経験したことが無いのかもしれない。
その後も、時間をおいて何度か話しかけてみたのだが――。
ユリウスの反応は変わらなかった。
次第にオレも、どう声をかければいいのかわからなくなって、いつの間にか距離を取るようになってしまった。
それから数日の間は、村の隅で今にも壊れそうな表情の彼――ユリウスがブツブツ呟いている姿が目撃されていたが。
気づいた時には、もうユリウスの姿はどこにもなかった。
……どこへ行ったのか、いや、どこへ行くつもりなのか。
それを気にする余裕もないまま、時間は過ぎていった。