第九十六話 役割分担とできること
「朱音ちゃん! 今度の宿泊研修、楽しみだね! ねっ、楽しみだよね!!」
「ゆ、優奈……楽しみなことは分かったから、抱きしめるのだけはやめて…ちょ、ちょっと痛いから…」
「……優奈、朱音が苦しんでるから解放してやれ。お前が楽しみにしてるのは十分理解してるから」
「嫌だ!! だって合法的に朱音ちゃんとお泊まり出来る機会がやってきたんだよ!? これでテンション上がらない方がおかしいって!」
…いつもの数割増しで勢いが強い優奈の言動を傍から眺め、半ば巻き込まれてしまっている朱音の姿がそこにはある。
そんな言葉だけを並べればいつもと大して変わらない状況だと言えたかもしれないが、今ばかりは少しだけ普段とはシチュエーションが異なる。
それは今優奈が言っていたように…現在の彰人たちは机を囲むようにして椅子を配置し、お互いの顔を見合わせながらこれからに迫った宿泊研修のことについての話し合いをしている真っ最中だからだ。
どうして優奈のテンションが高いのかと問われれば、原因はこの一言に尽きてしまう。
…高揚した気分に比例して締め付けの力も強まっているようで、いつもなら困り顔になりながらも許すことが多い朱音であってもそれとなく解放を訴えてきている始末だ。
見た限りでは美少女同士の微笑ましいやり取りに見えなくもない構図であっても、その裏ではとんでもない力が交錯しているこの状況。
流石にこれは見ているだけでいるわけにもいかないので、彰人も口を挟めば……全力の声色で断られる。
考慮する時間すら与えられず、ノーモーションで拒否を申し出てきた優奈のリアクションを見れば今回ばかりはこちらがいかに言葉を挟もうとも意味がないことは理解出来てしまった。
…朱音には本当に、本当に申し訳ないことだが……こうなってしまっては手の打ちようもないので、今しばらくは犠牲……もとい、優奈の暴走を留めるための楔になってもらうしかない。
「…すまん朱音。もう少ししたら優奈のテンションも静まると思うから、それまでは何とか耐えてくれ…」
「……これ、少しの時間で治まるものなのかな…?」
「多分、静かになるはずだ……うん、きっと…」
「………駄目ってことだね」
…本人からも指摘をされてしまったので彰人も肯定はしたかったのだが、今も尚朱音めがけて激しく覆いかぶさっている優奈の姿を見てしまえば断定は難しい。
結果として、言葉を述べるたびに口調が弱々しいものになっていき……朱音が遠い目をしながら諦めたような感情を露わにしていたが、それも仕方のないことと言えよう。
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「……ふぅ、危ないところだったよ。危うく楽しみすぎて暴走するところだったね!」
「…あれで暴走してなかったとか言うつもりじゃないだろうな? こっちから見たら明らかに暴走しかけたどころか手遅れだったんだが?」
「彰人、甘いね。あの程度じゃ私にとっては通常運転だよ? むしろ必死で抑え込んでたくらいなんだから!」
「威張るな、そんなことで! …とにかく朱音を放すかせめて力を緩めてやってくれ。今はそれでいいから…」
「あっ、そうだったね。ごめんねー朱音ちゃん。ちょっとだけテンション高まっちゃった!」
「…ちょっと? あれで…?」
…ようやく正気を取り戻してくれた優奈に言葉を掛けて朱音を苦しみの中から解放してやれたが、あの様子で暴走などしていなかったというのは流石に虚言だと…思いたい。
これまでの彼女の仕草から必ずしも否定できないのが悲しいところであり、それは締め付けられていた朱音も実感していたようで戦慄したように言葉を発していた。
無理もない。何しろ自分が苦しめられていた状況が何らかの想定外だとか優奈の暴走というわけではなく、純然たる通常運転と言われたのだからそんな反応になるのも当然だ。
むしろ、気分が振り切れていたからこそあのような行動に出てしまったと告げられた方がまだ安堵はできたかもしれない。
「まぁ今はそんなことより、宿泊研修のことだよね! この時間を無意味に過ごしたらもったいないし!」
「……俺の勘違いじゃなければ、お前が一番もったいなくしてた気がするんだが…航生、どう思う」
「ははは……ま、まぁ…可愛いものじゃねぇか」
「おい、目を逸らすな。逃げるな」
…この場で誰よりも時間を浪費していたと思われる人物から『時間がもったいない!』と言われたところで、説得力など皆無である。
事実、彰人はそう口にした優奈に対して冷めた視線を送りながら彼女の恋人でもある航生へと説明責任を求めた。
ただし、そこで返ってくるのは乾いた笑い声と友の逸らされた視線だけだったが。
「じゃ、一旦話を元に戻して…あれ、何を話してたんだっけ?」
「……班の組み分けと向こうで何をするのかの予定の確認だよ。というか、それも忘れてたのか…」
「あ、そうそう! 流石彰人! こういうところでは頼りになるね!」
「…全く褒められてる気がしないんだが」
両の掌を軽く叩きながら場の空気を入れ替えつつ、話し合いを先に進めようという意味も兼ねて口を開いた優奈であったが…そこからもたらされた言葉にはさらに脱力させられるだけである。
あれだけ意気揚々と話題を切り出そうとしていたというのに、そう言いだした当人が話し合いの内容を何も把握していないともなればそうなるのはごくごく自然なことだ。
…大して嬉しくもない褒め言葉を投げかけてくる優奈に溢れてくる溜め息を吐きながら、このままでは埒が明かないので文句を言うのは後回しにしてそのまま会話を続けることとする。
「班はこれで決まりだからー……あとは予定の確認だね。…と言っても、そこまで大したことも無いと思うけど」
「…まぁ、そうだな。確認とは言ってもやることなんて決まってるし、せいぜいが昼食の調理分担を決めておくくらいじゃないか?」
周りのクラスメイトも各々の班分けに一喜一憂している姿を横目にしながら、彰人たちも次に自分たちがするべきことを再確認しようとするが正直大したことはしない。
そもそもこの時間は宿泊研修にて過ごす班のメンバーを決めることが主目的であったため、そこさえ済んでしまえばあとはほとんど自由時間のようなものなのだ。
実際、おおよそのグループ決めが終わってしまったクラスの顔ぶれがそこらにて会話に花を咲かせている様子が散見されるため、やはり皆これからのイベントに期待を膨らませているということなのだろう。
「昼飯かぁ……確か班ごとにカレー作りだったよな? あんま料理に自信があるってわけでもないんだが…」
「それを言い始めたら俺とか全く出来ないけどな。まぁ火起こしとかで活躍させてもらうさ」
前もって知らされた予定では昼食は生徒が手づからカレーを調理して食べるとのことだったので、おそらくは共同作業を経てクラス内の仲を深めろという意味だ。
…彰人のように、全くもって料理が不得手な人物からすれば歓迎すべきイベントではないことが確定しているので一部では悲観したような表情を浮かべている者の姿もあったが、そこは諦めるしかない。
一口に料理とは言ってもすることは調理作業だけとは限らないし、その辺りの技術が不足している者は他の分野で役に立てば良いのだ。
若干のキャンプ要素も盛り込まれているようなので飯盒炊爨をする際の見張りだったり火起こしを担ったりと、各々で出来ることを見つければ問題もないはずである。
「料理も楽しみだよねぇ……前にちょっとだけ聞いたけど、朱音ちゃんってお料理がすっごい上手なんだよね! 私もお手伝いするから、一緒に頑張ろうね!」
「そうだね…期待されすぎると少し緊張しちゃいそうだけど、出来ることはやらせてもらうよ」
「……こっちからすれば、優奈がカレーに下手な仕掛けでもしないかって不安があるけどな」
「失礼な! せっかく朱音ちゃんが作ってくれる料理にそんなことしないもん! ……他のものは分からないけど」
「おい、今何か不吉なこと言ったろ?」
「気のせい気のせい。さー、そんなことより次の話し合いに進まないとね!」
…しかし、話題の途中から少し深掘りされた優奈の料理に関する悪戯云々については流石に聞き流せない。
普段がこれなだけに意外だと思われることも多いが、航生から聞いた話だと優奈は普通に料理も器用にこなせるらしい。
実際にその場面を見たことが無いのであくまでも噂の域を出ないが、少なくとも腕前が壊滅的だと断言されるよりは遥かに安心感がある。
…その腕前を上回るほどに渦巻いている、彼女の楽しさを優先する本能が無ければの話だが。
今もちょろっとだけこぼされたように、宿泊研修中は思わぬ方向から優奈の悪戯…主に彰人と航生が被害を被ることになるだろう事態には相応に意識を配った方が良さそうだ。
でなければ……せっかくの楽しい行事が、嫌な思い出で埋め尽くされることになりかねない。
今もなお楽し気に笑みを浮かべる優奈を溜め息を吐きながら見つめる彰人は…余計な警戒心を抱きながら臨むことになりそうなイベントに、内心で己が受けることになるだろう被害の対策を講じ始めるのだった。
…それとこれは全く関係もない余談だが、彼ら四人が話している中で朱音が料理を手掛けるというワードが出た瞬間に、周辺の男子の意識が一斉にそちらへと向けられたとのことだ。
数多の視線が同じ一点を見つめる状況下で、その目に込められた感情が彼女の手料理を食せるというシチュエーションに対する羨望や嫉妬の類であったことは…今更言うまでもないことか。




