第九十四話 早々の帰路
「航生、一緒に帰ろー! …って、あれ? 航生何で問題集開いて勉強してるの?」
「…すまん、優奈。今日の俺はやらなきゃいけないことがあるんだ……! 悪いが、先に帰っててくれ…!」
「……何を格好つけてんだ。自分がやってなかった課題をやってこいって言われただけのことだろうが。身から出た錆だろ」
長くも思えた短い一日が終わり、あっという間に放課後へと移っていった時間。
そんな中でようやく恋人でもある航生と、帰路を共に出来ると喜びを露わにしていた優奈が彼氏でもある航生の元へと駆け寄っていたが……そこにて展開されていたのは、彼が必死に眼前の問題に取り組んでいる様である。
…そこで航生が口にしていた言葉には思わず口を挟んでしまったが、それはそうだ。
言葉だけを切り取ればどこか恰好のついた一言にもなっているように思えるが、その実やっていることは友自身が忘れていた課題を片付けているだけなのだから。
休みの間にも幾度となく『課題は計画的に取り組んでおけ』と言っておいたというのに、その忠告を無視してきたのは航生本人なのだ。
同情する余地もない。全てこいつの行動から生じた責任だ。
「え、航生課題終わってなかったの? 前に電話した時には『しっかり進めてるから心配しなくても大丈夫だ!』って言ってなかったっけ?」
「あー……それはアレだ。俺って追い込まれたら力を発揮するタイプだからさ。こう…良い感じに何とかなると思ってたんだよ!」
「…完全にお前の自己責任じゃねぇか!」
…しかし、これまた呆れたことに航生は彼女でもある優奈に対しても課題の進捗状況を誤魔化して報告していたらしい。
どうしてそこまでのことをしてまで課題をやりたくなかったのか…少し集中してしまえばすぐに終わるだろうに、しっかりとした計画を立てて課題を終わらせた彰人としては溜め息をこぼすしかない。
「…ったく、お前ってやつは……流石に優奈は終わらせてるよな?」
「とーぜん! …まぁ私も三日前まではあんまりやってなかったけど、そこは気合いで全部終わらせてきたし!」
「……そっちもこの間までやってなかったのかよ。いや、終わらせてるだけ航生よりはマシだが…カップルでそこまで似なくてもいいだろ…」
「え? 私たちが似てるって? いや~、照れちゃうね!」
「……褒め言葉じゃないんだよ」
…さらに呆れる感情は加速してしまうが、何と優奈も課題こそ期限内に終わっているものの最後の最後まで取り組んでこなかったらしい。
カップル揃ってどうしてそこはだらしなくなってしまったのか、いくら好きな者同士といってもそこまで似る必要も無いだろうに。
それを溜め息まじりに伝えれば……何を勘違いしたのか、照れくさそうな動きを見せる優奈の姿がそこにはあった。
何一つとして褒めてなどいないというのに…どこまでもポジティブでいられるのが優奈の魅力だと考えておくしかあるまい。
「…ま、けどそういうことなら仕方ないね。航生と今日帰るのは諦めるとして……朱音ちゃんと一緒に帰るよ! 彰人、朱音ちゃんのこと起こしてもらってもいい?」
「…分かったよ、ちょっと待ってろ」
しかし、そこで航生と帰ることは諦めても一人で帰るという選択肢を取らないのが優奈らしいと言える。
彼女は教室のあちこちに視線をやりながら、誰かを探すかのように目線をそこらへと移し続け……とある一点を見つけると、これまた優奈にとっても親友と言える存在に目を付けていった。
優奈が目線を向けたのは、教室の窓際に位置する机の一つ……現在進行形ですやすやと寝息を立てている見た目麗しい少女の姿。
…端的に言ってしまえばいつものように睡眠に勤しんでいる朱音のことであり、彼女からしても親友だと胸を張って言える人物だ。
いつ見ても感じ取れるオーラが違うというか、朱音はただ眠っているだけのはずなのにその近辺だけ空気感が華やかなように思えるのは……彼女の醸し出す魅力故のものか。
どちらにしても、その気持ちよさそうな睡眠の邪魔をしてしまうのは少し心苦しいが…時間的にもそろそろ起こした方が良いことに変わりはないので、ここは心を鬼にして起こしてやるべきところだろう。
そう判断し、彰人は彼女が突っ伏している机の傍まで近づいて声を掛ける。
「…朱音、そろそろ起きた方がいいんじゃないか? 優奈が一緒に帰りたいって言ってるから、せっかくだし付き合ってやってくれ」
「………ん、ふむぅ……彰人君、おはよぅ…もうこんな時間なんだ…」
「おはようさん。またぐっすりだったな」
小さくを肩を揺らしながら言葉を投げかければ、朱音はわずかに身じろぎをしながら意識を覚醒させる。
これもいつもと変わらず、彼の声にだけ反応するという習性は健在だったようで…無事に起きてくれたみたいなので何よりだ。
これまでの経験からして普通に起きるだろうとは思っていたが、何分こうして起こすのも久しぶりなので少し不安だったのだ。
「悪いな、急に起こしちゃって。立ち上がれそうなら手伝うけど、補助いるか?」
「んんー……それは大丈夫、かな…それより優奈が誘ってくれてたんだっけ…?」
「ああ。あいつが朱音と一緒に帰りたいんだとさ」
「分かったよ…じゃあ帰る準備しちゃうね」
まだ意識がはっきりとしているわけではないのか応答も途切れ途切れのものだが、答えは返ってきたので問題ない。
無事に帰宅同伴の了承も得られたのでそれを知らせるためにも、優奈の方を振り返ってみれば……そこには大きく親指を立てながらグッドサインを送ってくる彼女の姿があったので、おそらくはこちらのやり取りを遠目に聞いていたのだろう。
…盗み聞きというのは感心出来ることではないが、そこを咎めたところで優奈が聞くわけもないので放っておくとしよう。
「彰人助かったよ、ありがとうねー! 朱音ちゃんもさ! 実は駅の近くで新しくカフェが出来たんだって! せっかくだし行ってみない?」
「カフェ…? …うん、じゃあ行ってみようかな……」
「やった! なら決まりだね!」
するとこちらまで興奮したような面持ちで近づいてきた優奈が朱音に放課後の遊びの誘いを持ち掛けており、どうやらこれからの予定も定まったようだ。
朱音から出掛けの賛同を得られたことで、ただでさえ高まっていた優奈のテンションが振り切れ過ぎて彼女を疲労困憊しないだろうかと、若干不安にもなってしまうが……そこにまで口を挟む必要もないだろう。
二人の言う通り、せっかくの女子同士で水入らずの寄り道なのだから、そこは朱音と優奈で存分に楽しんでくればいいのだ。
そう考えているからこそ、彰人は特に何かを言うことも無く彼女たちの様子を傍観することに徹している。
…そんなこんながありつつ、しばらくすれば朱音の帰宅用意も整ったようで優奈が先導しながら教室を出ていった。
今にも駆け出していきそうな優奈をなだめながらついていく朱音の姿は…後々に向こうの自由奔放さに振り回されるだろうことを何故だか予見させてきたが、その辺りのフォローはまた今度しておけば良いだろう。
「さて、なら俺も帰るとするか。家でゆっくり休みでもしよう」
「……彰人ー…せっかくの機会だし、この課題に追われる哀れな親友を助けてくれてもいいんだぞ? こっちは大歓迎だ!」
「…知るか。課題をやってこなかったのは航生の責任だし、俺は一切手伝わん。全部自分で片付けてこい」
「無慈悲!?」
なので彰人もそれに続いて、鞄を手に持って帰ろうとすれば……自分の真横。
聞き覚えしかない声に哀愁を漂わせた雰囲気を纏わせた言葉を発してきた航生から山のように残っている課題の助力を頼まれたが、それはバッサリと切り捨てる。
手伝うも何も、これに関しては航生が休み中の課題をやってこなかったのが悪いだけなのだから、彰人が手伝う意味も義理もない。
「じゃあ俺は帰るから、お前はきっちり課題を片付けてから帰れよ。どっちにしてもそれまでは帰れないだろうしな」
「…ちっくしょおっ!! 助けなんて無かった!」
悔し気に叫ぶ航生の大声が人も少なくなってきた教室に響き渡るが、そんなことをしたところで山のように積まれた課題が片付くわけではない。
悔しがるのであれば手を動かせと言いたくなるような現状の友を横目にしながら、彰人もまた教室を去っていき……そこには航生だけが取り残されていくのであった。
…なお、これは後から聞いた話だが、この時の航生は数時間を掛けて何とか課題を片付け終えたらしい。
一通り終えた時の彼は真っ白に燃え尽きながら帰っていったものだとやたら格好を付けた当人から聞かされたが、何にしても呆れるだけである。




