第九十二話 休み明けのやらかし
「…それでさー、航生ったら酷いんだよ! 私が何回も電話してるのに一向に出る気配がないんだもん! 結局航生のお母さんに連絡するまで何も返事無かったしー…」
「へいへい……そんならあいつが来た時に、その怒りをぶつけてやりな」
「そうするよ。ふっふっふ……一体どうしてやろうかな……!」
「…とりあえず、騒ぎにはだけはならないようにな」
廊下を歩きながら昇降口にて遭遇した優奈の秘められていた(らしい)愚痴を耳にはさみつつ、彰人はそんな彼女と自分たちの教室へと足を向かわせていた。
隣で話題が尽きる気配もない友人の話は……何やら時折危ない方向へと進みそうな予感を感じ取らざるを得なかったが、その辺りは当人たちの問題なのであえて放置である。
こちらとしては大事になって余計な騒ぎだけは起こさなければ大して実害も無いので、無理に引き留めようとするのではなく聞き流しながら返事をするくらいの対応がベストなのだ。
…この後にやってくるであろう友人の顛末を思うと内心で合掌したくなりもするが、そこは心の中だけでやっておこう。
「ほら、そんなこと言ってると着いたぞ。荷物置いてこいよ」
「はーい。…あっ、そういえば朱音ちゃんってまだ来てないのかな? いたら久しぶりに愛でたかったのに……」
「朱音はまだっぽいな……つーかお前、夏休みの間にもあれだけ構ってたのにさらに構おうとしてんのか?」
「そりゃそうでしょ! 朱音ちゃんを構い倒すのは私のノルマでもあるんだから!」
「構うのはいいんだがな……限度を考えろよって話だ。それであっちに負担掛けたりしたら承知しないからな?」
「そんなことしないもん! ……多分」
「そこは断定しろ」
そうやって珍しい二人組が横並びになって歩いていると、いつしか教室にもたどり着いている。
既に教室の中には何名か顔見知りでもあるクラスメイトの姿も散見されるため、これから次第にその人数も増えていくことだろう。
…そのどさくさに紛れて、きょろきょろと辺りを見渡していた優奈がここにはいないもう一人の友人……朱音の姿がないかと探していたようだが、姿はまだ見えなかったようでがっくりと項垂れていた。
気持ちは分からないでもないが……彼女の場合、おそらくはやってくるとすればもう少し時間が経過してからのはずだ。
これは何となくの直感だとか何の根拠もない意見というわけではなく、これまでの経験から導き出した結論である。
朱音の体質……常に眠気に襲われるという性質を考えれば朝起きるだけでも一苦労だろうし、長きにわたった休みから一転して生活リズムを戻さなければならない登校日は相当に辛いものだろう。
…それと、余談ではあるがこの考え方は航生に対しては一切適用されない。
さもありなん。彰人の中で彼と朱音の二人を比べてしまえば、後者の方が明らかに対応が甘くなるのは当然のことである。
そこに加えて、今に関しては航生も自らの行いのせいで遅刻をしかけているのだから同情する余地もない大差で朱音に軍配が上がるのは自然の摂理とさえ言える。
閑話休題。
どちらにせよ、この時間帯では朱音が来るには少し早いだろう。
来るとしてもあと数分が経った頃か……それ以降のはず。
「えー……じゃあこのやりきれない気持ちはどうしたらいいのよー…」
「知るか。勝手に一人でやりきれなくなってればいいだろ」
「ひどーい! ……仕方ない、朱音ちゃんが来るまでは大人しくしてようか…って、あぁ!? 朱音ちゃん来てるじゃん!」
「え? …お、本当だ。珍しいこともあったもんだ」
…しかし、そんな彰人の予想と現実は真逆の結果を出したようだ。
声を張り上げながら優奈が指さした先……教室の扉付近。
教室へと足を踏み入れてきた彼女がやってきたのと同時に、心なしかこの場にいたクラスメイトが少し騒めきながら空間全体の空気も明るいものとなったようにすら思える。
そんな、ただそこにいるだけで周囲の空気を一変させ、なおかつ本人はわざわざ自慢することもないが……誰の目から見ても美少女だと言い切れるほどに端正な容姿を持つ彼女。
彰人にとっても馴染み深い友人の一人でもある朱音は……夏休み前と大して変わらない、眠たげに瞼を揺らしながら鞄を肩にかけて登校してきていた。
…見ただけで分かる。相当に眠気が蓄積しているのだろう。
華やかさすら思わせるオーラが可視できるのと同様に、彼女の周辺ではぽやぽやとしたような…朱音が今抱えている睡眠欲の強さが確認できてしまうために、彰人も苦笑いを浮かべてしまう。
「朱音ちゃん、おはよう! 今日も相変わらず眠そうだけど…会えて嬉しいよ! お休みの間も元気だった?」
「んー……? あ、優奈……おはよー…。今日はちょっと朝が早かったから…眠いんだ…」
「そうだったんだね。…けどやっぱり、眠たげにしてる朱音ちゃんも可愛いよねぇ……はっ! 今なら朱音ちゃんの意識もはっきりしてないし、ちょっとくらい悪戯してもバレないんじゃ………いたぁっ!?」
「……阿保か、んなことさせるわけないだろ。どさくさに紛れて何しようとしてんだ」
…が、そんな朱音がやってきたのを確認するのとほとんど同タイミングで動いていた優奈の行動には流石に黙っているわけにもいかなかった。
嬉しそうな笑みを浮かべて無邪気に朱音とのやり取りを楽しむような流れから一転し…何やら怪しげな企みを画策していたともなれば、止めるのは当然のことである。
それが朱音をターゲットとして狙ったことであるのならば、尚更。
優奈がこういった動きを見せた時には碌なことにならないというのを彰人は身をもって知っているため、彼女に余計な被害を及ばせないためにも即座に優奈の頭に拳骨を落とすことで収拾をつけておいた。
「……あ、彰人君。おはよう…今日もいい天気だね…」
「…おはよう。朱音は…とりあえず眠そうだな。大丈夫か?」
「一応意識はしっかりしてるから……問題ない、と思うよ。すっごく眠いけど…」
「だろうな……とりあえず荷物でも持ってやろうか? 机まで行くのも大変だろ、その状態じゃ」
「……ならせっかくだから、お願いしても良いかな?」
「はいよ」
彰人からの制裁を食らった優奈が痛がる姿は一旦放置しておくことにする。
そもそもの原因はあちらにあるので配慮してやる必要も一切なく、そんなことよりも彰人が気にかけるのは朱音の方が優先度としては遥かに高い。
なので今も尚継続して眠気マックスの朱音に声を掛けて体調を確認してみれば、そこは問題ないようだ。
あくまでも眠気が襲ってきているだけということだったので、ひとまずは彼女が抱えている荷物を代わりに運んでやるくらいのことをしておけば負担も減らしてやれるだろう。
そう考えて彰人も自然と朱音から鞄を受け取り、朱音もごくごく自然な動作で彼に自身の荷物を預けた。
「ここで良いんだよな? 机の上に置いとくぞ」
「ありがとうね…ふわあぁ……もう朝から眠くて眠くって…」
「久しぶりの学校だもんな。そりゃ朱音からすれば厳しいだろうよ。…にしても、その割にはまたかなり早く来たもんだな?」
大きな欠伸をしながら礼を伝えてくる朱音に薄く笑みを浮かべながらこちらからも返事を返したが、やはりこれだけ彼女が早くやってくるというのは珍しい。
これだけ眠たげな姿を晒しているのだから、朝一番に起床してくるだけでも相当に辛いものだっただろうに……その事実があってもかなり早い段階で教室まで辿り着いているのはわずかな疑問点でもあった。
ゆえに、まだ眠そうな朱音には申し訳なく思いつつも……その点を尋ねてみれば、彼女からは至極当然のように答えがもたらされる。
「私もねぇ……こんなに早く来れるとは思ってなかったんだけど、何だか久しぶりに彰人君と学校で会えると思ったら楽しみになっちゃって…思わず早起きしちゃったんだよね」
「……そう言ってもらえるなら嬉しいけどな。それで朱音が不眠になったら意味がないだろ」
「でもね……そう思ったことは事実だし、私も楽しみだったんだもん…」
「そうか……そりゃありがとな」
朱音がここまで早く学校へとやってきたのはどうやら彰人と再会できることを楽しみにしていた心持ちからのものだったようで、そのことを真っすぐに告げられる。
…相変わらず、自分の気持ちをストレートに伝えてくる彼女の言葉には心が揺れ動かされそうになるが、これとも似た状況は既に何度も経験している。
己の内情は別にしても、表面上は平静を保つくらいのことは造作もない。
…そう。これだけならば二人の会話としては何てことも無い。代り映えも無いいつも通りの日常会話だ。
どこまでも純粋に彰人との交流を楽しんでくれている朱音と、それを微笑まし気に見守る彰人のやり取り。
ただ……そこで二人が失念していたことがあるとすれば、それは時間と環境だった。
自分たちからしてみれば何気ない普段通りの会話であったとしても、周りからしてみればそうではない。
そもそも、自分たちが今どこにいるのか。
そして……そこにいる者達が休み明けになって急激に距離感が縮まったと見られる彼らのやり取りをどう捉えたかということを…二人は考えていなかったのだ。
「…ちょいちょーい、お二人さん。相変わらず仲良さげなのはもちろん良いんだけどさ…もう少し時と場所考えよう?」
「ん、何だよ優奈。そんな…今にも吐きそうな顔して。具合でも悪いのか?」
「ある意味具合悪いと言えば悪いけどさ……主に彰人たちのせいでね」
「いや、何でだよ……」
「何ではこっちの台詞だよ……彰人、今ここがどこなのか分かってるの?」
「は? どこって…そりゃ学校に決まって………あっ」
すると先ほどまで彰人から加えられた拳骨によって苦しみ悶えていた優奈から、今度は心底呆れたような……はたまた、砂糖を丸ごと噛み砕いたかのような何とも言えない表情を浮かべられながら声を掛けられた。
その内容は言葉を聞いただけでは意図も良く分からないTPOを弁えろとのことだったが、そう言われたところで何のことやらという話だ。
…だが、そこに込められた意図に彰人が気が付いた時。…気が付いてしまった時。
自分がしでかした失敗を彰人は思い知らされた。
今更言うまでも無きことだが、今現在彼らがいるのは学校の教室でありそこで先ほどの会話は交わされていた。
より具体的に言うのであれば……夏休み中の彼らの間に起こった顛末など知る由もなく、なおかつ二人の間柄がさらに縮まったことすら認知していないクラスメイトが密集している教室にて交わされた話だった。
…となれば必然的に、ここにいる者が取る対応など決まっている。
まさに彰人に対して甘えるかのような言動を見せる朱音と、そんな彼女を苦笑しつつも受け入れることに躊躇しなかった彰人。
…誰がどう見ても親密度が急上昇している二人に対して、女子は目を輝かせながら新たな話題の種を見たとでも言わんばかりにこちらに視線を送り……また男子に関しては、休み前からさらに朱音との距離を近づけた彰人を恨みがましく見つめている者が大半である。
「…理解した? 自分がしたことを」
「……あぁ、やっちまった」
「…?」
呆れる優奈に、自らの失敗を悔いる彰人。そして状況をまだ理解していない朱音。
三者三様のリアクションンを見せる彼らだったが……この後に待ち構えているだろう質問攻めのことを思うと、彰人は気が重くならざるを得なかった。
クラスの面々は休み中の進展なんて知らないからね。それはこうもなるよね。




