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常に微睡む彼女は今日も甘えてる  作者: 進道 拓真
第一章

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第九話 呼称の変化


「彰人君がこんなところにいるなんて思わなかったけど……男子って体育はこの辺りでやってたっけ? 私の記憶違い?」

「ああ、別に男子の方が近くでやってたとかじゃなくて単純に俺が休める場所を探しに来たってだけだ。持久走が一段落したんであとは自由時間になったしな」

「あっ、なるほどねー。そういうことだったんだ」


 朱音と偶然にも遭遇を果たした彰人だったが、だからと言って何があるというわけでもない。

 今でこそ無関係ではないため最低限の義理は果たすべきだと考えて声を掛けこそしたものの、それ以上の会話なんて考えてもいなかったし用件だって何一つとしてない。


 なので軽く挨拶だけし終えたら、早々にこの場から去ろうと思っていたのだが……そうするよりも早く朱音の方から質問が飛んできた。


 しかし冷静に思い返してみると朱音の視点からして見れば自分のいるところに近くにいるはずもない男子がいきなりやってきたという状況でもあるだろうし、その疑問も最もなものと言わざるを得ないだろう。

 そういった事情を汲んだうえで答えを返してみれば、問題もなく納得してもらえたようなので一安心である。


「けど間宮の方は何でここにいるんだ? 女子も体育の時間なんだからどっかでやってるはずだろ」

「女子の方はねぇ……ほら、今まさにやってる最中だよ。そっちの方から声が聞こえるでしょ」

「ん…? …あぁ、女子はバレーだったのか。だけどそしたら尚更ここに間宮がいるのはマズいんじゃ……」

「いいのいいの。私が入ったチームの試合はもう終わってるからしばらくは休んでても問題ないからね。だからここにいるっていうのもあるもん」

「そういうことか。だったら俺から言うことは無いけどさ」


 だが朱音の側の疑問が解決したとしても、彰人の側で浮かび上がってきた疑問がまだ解決されていない。

 具体的に言うのであれば何故この時間に、それもこんな目立たない箇所に朱音が座り込んでいたのかというある種彼女と全く同種の内容だったが……それも詳しい経緯を聞いていけば素直に頷けるものだった。


 どうやら朱音の方も既に自分のやるべきことを終えてからここで自分の好きな時間を過ごしていたようなので、そういうことならば彰人が余計な口出しをするまでもない。

 そもそも教師から許可が出されているのならその時間をどのように過ごすのかは当人の自由なのだから、いくら接点があると言ってもそこにまでうるさく干渉するつもりも無かった。


「それよりもさ、せっかく来たんだから隣に座っていったらどう? 私は気にしないから遠慮せずに横に来てもいいよ」

「それはありがたいけど……いいのか? 女子的に男子が隣に来るってのは」

「他の人ならそうかもしれないけど、彰人君なら知らない人ってわけでも無いし気にしないよ。むしろ望むところだもん」

「……そうか。だったら…せっかくだし座らせてもらうよ」

「うん。どうぞどうぞ」


 だがそんな会話の中にあって、朱音の方からその瞳と口元に優しい笑みを浮かべながらポンポンと自らの横を掌で叩いてこちらに座るように催促をしてくる。

 …これは困ったことになってしまった。というか悩みものな状況だ。


 ここで休んでいくこと自体に問題はない。元からそのつもりでここまで歩いてきたのだから。

 …それでもあくまで彰人が想定していたのは自分一人でのんびりと腰を落ち着けることが出来る場所であり、まさか朱音の真横で休むことになるとは思ってもいなかった。


 自分たち以外の誰かが見ているわけでもないので妙な噂をされることもないというのは分かっているが、それはそうだとしてもやはり学校でも飛び抜けた魅力を持っている美少女である朱音の近くに居座るというのは平凡な男子生徒である彰人には中々に勇気がいることだった。

 そう思ったからこそ自分がここに居ても問題ないのかと口にしてしまったが、朱音がそのことを気にした様子は全くない。


 それどころかその笑みには微かに嬉しそうな感情すら垣間見えてくるようであり……そんな表情を見せられてしまえばこちらとしては降参するしかない。

 ここまで言われておきながら立ち去るというのも朱音に対して失礼に当たってしまうだろう。


 だったらここは彼女の言葉に甘えておいて、ありがたく休ませてもらうとしよう。


「……ふぅ。なんかやっと腰を落ち着けられたって感じがするな。間宮も狭かったらもう少し離れても……間宮? どうした、そんな顔して…」

「……いや、何というかね」


 軽く息を吐きながら段差の一段に座り込めば、自覚していない間に溜まっていたらしい足腰への疲労が一気に抜け落ちていくことを実感した。

 やはり持久走をこなした後ともなればそれなりに体力が戻ってきていたとしてもまた別の箇所で反動が残っていたようだ。


 ようやく休めたからこそ痛感した己の身体に蓄積していた疲労感を抜き去っていきながら、この場を分け与えてくれた朱音に感謝の気持ちも出てきたのでふとそちらの方を見てみれば……何故か彼女は数秒前までとは全く違った感情を露わにしていた。


 普段は彼女自身の眠気を体現したように半開きになっている瞳は大して変わっていないが、そこに込められた意思としては複雑な内心を表すかのようにしたジト目を向けられており、口元も先ほどまでは口角が上がっていたというのに今では不機嫌そうに唇を横に結んでしまっている。

 一言でまとめてしまえば不機嫌というか、何か気に入らないことでもあったということが分かる表情の変化だったが……朱音がそのような反応をしている原因の方がつかめないので彰人としては唐突過ぎる感情の入り乱れに困惑するばかりだった。


 もしや自分がここにいるのが心の中では本当は気に入らなかったのか、はたまた意図していない内に朱音にとって踏み入ってほしくない様な真似をしてしまったのか……

 まとまらない思考の中でいくつもの原因を探ってはみるものの、これだと断言できるような要因は見つけられずに時間だけが過ぎていく。


 …だが、朱音が訳も分からず態度を急変させた原因は意外にも当人の口から語られるのだった。


「…彰人君。私達って友達だよね?」

「え? …まぁ最近はそれなりに関わりもあるし、友人と言えば友人なんじゃないか」

「そうだよね、うん。私も彰人君のことは良い友達だと思ってるよ」


 ぽつぽつと語られ始めたのは両者の関係性……互いの共通認識として友人だという確認をされるところからだったが、これだけでは彼女の言わんとしていることはまだ全容がつかめない。

 おそらくこの会話内容がこれから伝えようとしていることに繋がっているのだろうが……一体何を言おうとしているのだろうか。


 呑気にもそんなことを思いながら向こうの言葉を待っていれば、そこから思いもしていなかった言葉が飛んでくることとなる。


「…だからこそ、さ。私は彰人君のことを名前で呼んでるのに彰人君は私のことを苗字で呼ぶっていうのは少し不公平じゃないかな?」

「別に不公平でも何でもないと思うが……それで?」

「うん。せっかくだし彰人君も私のことを名前で呼んでみてよ。そしたら私も満足するからさ」

「……マジかよ」


 もたらされたのは想定していたよりも遥かにハードルが高い……予想外過ぎる提案だった。

 確かに普段、彰人は朱音のことを名前で呼ばずに苗字で呼びかけて生活をしている。

 それは別に人のことを名字で呼ぶことに拘りがあるだとかそういうわけではなく、単純に朱音のことをそう呼ぶことで定着してしまったからそのまま継続しているというだけなのだが……それ以外にも彰人自身の羞恥心が理由には関わってきている。


 結論から言ってしまうのであれば、シンプルに気恥ずかしいからだ。

 これまでの彰人は女子との接点などそれこそ入学してからは数える程度しかなく、話す機会があったとしてもせいぜいが業務連絡程度のものだ。


 唯一の例外として優奈の存在が挙げられはするものの、あれに関しては向こうの方から「苗字呼ぶなんてよそよそしいから嫌だ!」と声高に宣言されてしまったので仕方なく名前で呼んでいるという現状だ。

 それゆえに、自分の意思で女子を下の名前で呼ぶということには慣れるチャンスに恵まれてこなかったわけだが……まさかここにきてそのツケを払わされるとは考えてもみなかった。


「ほらほら、一思いに言ってみてよ。そう難しいことでもないでしょ?」

「……俺にとっては、それだけのことが限りなく難しいことなんだけどな」


 心なしかワクワクしているようにも思える朱音の発言だったが、あいにくこの時の彰人にそれを気にするだけの余裕は残っていない。

 ただでさえ慣れてもいない女子を名前呼びするという試練を乗り越えて、それを期待するかのような当人が目の前にいるという八方塞がりとしか思えないこの現状。


 何故こんな羞恥心を掻き立てられるような布陣が揃えられているのかと、冷静な思考の片隅で考えなくもないがそんなことはこの場においてどうでも良いことだった。


「これ、拒否するとか許されたりするか?」

「別に駄目ってわけじゃないけど……その時は私が悲しむね。もしかしたら悲しみのあまり泣いちゃうかも」

「……さりげなく恐ろしいことをサラッと言わないでくれ」


 …逃げ道なんて無いだろうとは思っていたが、万に一つの希望を胸にこの要求を断るのはいいのかと尋ねてみれば回答は実質的なノーだった。

 もしこれで朱音を本当に泣かせたりなどした場合、その時は誇張抜きで学校中が彰人の敵になったとしてもおかしくはない。


 何せ朱音は校内でも屈指の人気者でもあり彼女に想いを寄せる者は多数いる。その中には彼女を害する者など許しはしないという層も一定数いるだろうし、そこを刺激する可能性があるとすれば明日から学校内での居場所は消えていることすらあり得る。


 そんな恐ろしすぎる事態が発生する線があるというだけで、この案は水泡に帰すことがノータイムで決定してしまった。


「じゃあ……呼ぶけど嫌だったら正直に言ってくれよ? こっちとしても気まずいだけだからな」

「はいはーい。楽しみにしてるよ」

「絶対分かってないな……はぁ」


 仕方ないので名前呼びをすることが半ば強制的に決定してしまったものの、期待はするなと言っておいたのだがその忠告とは裏腹にどうしてか朱音は楽し気な雰囲気を崩そうとはしない。

 呼ぶ側としては不快な気分にさせてしまいわないだろうか等、色々なことを考えているというのに……気楽なものだ。


 それでもこういうことはスパッと言って済ませてしまった方が良い。

 だらだらと気恥ずかしがってばかりでいればそこにかけた時間の分だけさらに呼び辛くなってしまうことは分かり切っているので、もうここまで来てしまったらヤケだと覚悟を決めて声を口に出していく。


「………朱音」

「…おぉ、これは……! 嬉しいけど、ちょっと恥ずかしくもあるね…」


(……! 馬鹿か、俺は……こいつ相手に何考えてんだ…!)


 彼女の名前を口にした途端、それまでの楽しそうなリアクションはどうしたのだとツッコミ入れたくなってしまうほどにはにかみながらも頬を手で押さえてわずかに紅潮した顔を隠そうとしている朱音の姿。

 それを目にした彰人は……日常生活ではまず見かけないだろう朱音が照れる仕草というものを目にし、柄にもなく心臓を高鳴らせてしまっていた。


 偶然の邂逅から始まった謎の名前呼び。

 それがもたらした結果は……両者の何とも言えない空気感に満ちたやり取りの場だった。



珍しく朱音側が照れているという状況。


多分この先もそうは見られないと思われるレアシーンになりますね。

朱音って基本的に気に入った相手に対しては自分の方からグイグイいくタイプですので。

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