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常に微睡む彼女は今日も甘えてる  作者: 進道 拓真
第二章

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第八十七話 眠りと抱きかかえ


「朱音……寝ちゃったのか。いつの間に…」

「…しゅぅ……すぅ…」


 リズム良く聞こえてくる愛らしい寝息が耳に響きながら、彰人はそれまで握っていたコントローラーを静かに床へと置いた。

 それによってゲームの方が強制的に終了へと向かって行くが、もうそこはどうでもいいことだ。


「……まぁ、ずっと起きっぱなしだったもんな。よくここまで耐えられた方か」


 彰人がゲームに集中している間、彼女との間に会話はほとんど無かった。

 それによって生まれた沈黙の時間と、夕食と風呂を済ませたことでゆったりとできる環境が整えられたこと。

 そして…今に至るまで、様々なことを片付けてきたことで蓄積していた疲労が、ここにきて限界を迎えたといったところだろう。


 時刻にしてみればまだ夜の九時前と眠るには早い時間帯だが、朱音からしてみれば夜更かしも良いところだったのかもしれない。


「…お疲れさん。よく頑張ったな」


 誰に聞かれるわけでも無く、ましてや朱音当人にすら届くことも無い労いの言葉。

 こちらの肩に寄りかかってきた少女の顔を見れば狸寝入りをしているわけではないことは明白なため、これは単なる独り言だ。


 だとしても…彰人はこの言葉を口にせずにはいられなかった。

 突然彰人の家へ宿泊することになり、表にこそ出していなかったとしてもその内面では少なからず戸惑いや緊張だってあったはずだ。


 にもかかわらず、朱音はここへとやってくるなり彰人のために料理を作ってくれたり買い物に付き添ってくれたりと…休む暇すらなく動き続けていた。

 だからこれは、そんな頑張り続けてくれていた彼女への労りだ。


 本人に聞かれているわけでも無いこの状況下でこんなことを言っても無駄でしかないかもしれないが……こういうのは、口にするという行動こそが重要であることも事実なのだから。


「にしても…どうするかな、これ。朱音は起こせないし……起こそうとしても起きないだろうしな…」


 …しかしそれはそれとして、この状況が困ったものであることに変わりはない。

 突発的なことだったゆえに彰人も朱音がここで寝てしまうことは想定しておらず、彼女の分の布団は既に準備も終わっているのだが…それがあるのは二階の部屋だ。


 本人を起こしてもこの状態では辿り着くのは難しいだろうし、何より疲れて眠ってしまった朱音を無理やり起こしたくはないと言うのが彰人の本音である。


 ならばどうするか……取れる手段は主に三つ。


 一つ目は、特に朱音を動かすことも無くここで寝かせたままにすること。

 眠ってしまった彼女を起こさないという前提を覆せないというのであれば、特に触れることなくそのままにするというのは一つの手だ。

 …だが、言っておいて何だがこれは考えるまでもなく却下である。


 いくら夏場とはいえど夜中にもなれば部屋だって冷えてくるし、そんなところに朱音を置いておけば風邪を引いてしまう。

 みすみす彼女が体調を崩すような場所に放置しておくなど選択肢にあったとしても選べるわけがないため、一考の余地すらなく捨てることにする。


 二つ目は、今二人がいる近くにあるソファに横たわらせて寝かせること。

 これは中々良い案だとも思うが、少し微妙な点も同時に存在している。


 というのも、仮に朱音をソファの上で寝かせたとして、あそこが寝心地が良いかどうかと言われれば首をひねらざるを得ないからだ。

 元よりソファというのは寝具ではなくあくまで一時的にくつろぐためのスペースとして用意されているものなので、長時間同じ体勢でいれば身体を痛める可能性が高い。


 上から薄い掛け布団なんかを掛けておけば風邪くらいは避けられるだろうが…その痛みと引き換えになるというのがまた決断に踏み切れない点である。


 …そして、これが最後の案。

 これに関しては特別なことをするわけでもなく非常に単純な解決法になるが、朱音を二階の布団がある部屋まで運んでやるというもの。


 それならば朱音が身体を痛めてしまうような心配はなく、布団にも潜れるので体調も崩すことなく明日を迎えられるだろう。

 今思い浮かべた候補の中でも最もまともなものであり、無難な選択と言える。


 それでも…この案を実行するには一つだけ、障壁とも言える()()()があるのだ。


 彰人が実行に移すことを躊躇している理由。

 …というのも、彼が朱音を運ぶことになれば必然的に彼女のことを抱えていかなければならなくなる。


 そんな状態にて否応なしに発生してしまう…互いの肌の接触こそを彰人は躊躇ってしまっているのだ。

 …これまでの二人がしてきたこと知る者からすればそんなことは今更だとか、そのくらいのことで躊躇ってどうするなどと言われそうなほどにちっぽけな理由である。


 確かに、彰人は今までにも何度か朱音と密着するような機会を体験してきたし何なら彼女をおぶったことさえある。

 それらのことを加味すれば、今になってわずかな時間朱音を運ぶくらいのことは何てことも無い……そう思われるだろう。

 ただ、あの時とは状況がわずかに異なっており…今の朱音は熟睡状態によって完全な無防備を晒しているに等しい。


 彼が悩んでいるのはまさにその点であり、一切の意識がない彼女の肌に勝手に触れるような真似をして良いものかということを迷っていたのだ。


 …ただ、それ以外にまともな手が残されていないことも事実。


「……仕方ない。あとでしっかり謝るから、今だけは許してくれよ…?」


 思いついた作戦から選択可能な候補を消去法で導いていけば、彰人が取れる手段など最初から一つしかないことは明白。

 迷っていようが悩もうが、彼女のことを思うのならば多少の引っ掛かりも飲み込むしかない。


 …それゆえに、彰人は眠っている朱音を部屋まで運ぶこととして心の中で了承もなく肌に触れてしまうことを謝罪した。

 なるべく負担がかからないように、そして起こしてしまわないように。


 朱音の睡眠を邪魔しないようにと細心の注意を払いながら、彼女の腰と足に手を回しつつ抱き上げる……俗に言うお姫様抱っこをして彼女をふわりと持ち上げる。

 …前にもおぶった際に思ったが、本当に朱音は軽い。


 こうして密着しつつ肌に触れてみるとその事実をより強く実感するが、身体の線が少しでも力を入れて握ってしまえば折れてしまうのではないか、なんてことまで思えてしまう。

 抱えているはずの彰人からしても全く負担を感じられないくらいには重さを感じない朱音の身軽さは……こちらに彼女の身の丈を、そして朱音も何てことは無い一人の少女でしかないのだと実感させてくる。


「よいせ…っと。…ったく、人の気も知らないで気持ちよさそうに眠ってるもんだよな」


 階段を上る時にも揺らさないようにと意識をしながら廊下の先にある部屋の扉を開き、事前に用意していた布団にそっと朱音を寝かせてやれば、相変わらずすやすやと規則正しい呼吸を繰り返している彼女が起きるような気配はない。

 …口元にうっすらと浮かべられた笑みからは、朱音が楽しい夢でも見ているのかと思えてきて苦笑してしまったが。


 どちらにしても、彼女の身体が冷えてしまわないようにと上から掛け布団さえかけてやればこれで彰人の役目は終了だ。

 だが……役目が終わったとしても、何となくこの場で健やかに眠っている朱音の姿を見ていれば、彰人も柄にもなく少しだけ…彼女に触れたいと思ってしまった。


 もちろん、疚しい類のことではない。

 ただひたすらに、どこまでも純粋に。


 ふと頭に浮かんでしまったその意識があったからこそ、彰人は心地よさそうに寝ている朱音の……髪をそっと撫でた。


「……ゆっくり寝てくれ。お休み」


 それだけ言い残すと、彰人は艶やかな髪質を保っていることで極上の触り心地をしている彼女の髪から惜しむ気持ちを抑えつけながら手を放し、今度こそ立ち上がって部屋を出ていく。



 …扉を閉める直前、視界に映る明かりが徐々に狭まっていく部屋から見えた少女の肌に、ほんのわずかな赤みが差していたことには意識が向けられることも無く。


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