第八十三話 称賛の嵐
期待感に膨れ上がっていく胸を理性で抑え込みながら、彰人は目の前に並べられた品の一つへと箸を伸ばす。
まずは何よりもこちらの目を引かせるハンバーグ。
それを一口サイズに切り分けると口へと運んでいき、無言のまま咀嚼して味わいを堪能する。
ハンバーグを一口食べ終えれば、その後は次点で気にかかっていた卵焼きをこれまた一口で丸々食べていった。
…その間、彰人は一言として言葉を発しない。
まるでこの時間だけは言葉を発することすらもったいないとでも言わんばかりに、瞳すら閉じて一通りのメニューを堪能していった彼の姿を見て……朱音も自らの分の料理を口にしつつもその様子を緊張しながら見守っていた。
まさか……口に合わなかったのだろうか? それとも味付けの配分を間違えてしまっただろうか?
短くも長く感じられる緊張感に包まれた食卓の場で静かな不安とわずかな焦りが蓄積していきそうになるが……結果から言ってしまえば、彼女の懸念は杞憂である。
そもそも前提として、彰人が彼女の手料理を不味いなどと口にするはずもないのだから。
現在彰人が一つとして言葉を口にしないのも、単純に最高の完成度を見せている料理の一つ一つをしっかりと味わいたいという心理から起こした行動であり…心配しなくとも、彼女の心配事はすぐに解消される。
「……うん、美味い。やっぱり朱音の料理は味付けも出来栄えも完璧だな」
「…! ほ、本当…? 美味しいって思ってくれたの?」
「当たり前だって。嘘を言うわけないだろ? …素直なことを言えば、美味すぎて感動してたくらいだ」
「…そっか。良かったぁ……」
彰人からもたらされた素直な本心からの称賛に、朱音は心から安堵したかのように深く息を吐いていた。
…その様子に、無駄に心配させてしまっていたことに気が付いた彰人も少し反省するが、どちらにしてもあの時はあれ以外のリアクションを取ることなど不可能だった。
…こちらの予想も期待も一切裏切らず、前に食べさせてもらった時と同等の……いや。
言い方は少し悪いかもしれないが、前に彼女の家で夕食をご相伴にあずかった時以上の感動を彰人はこのわずかな時間で実感していた。
前の経験からも何となく予想出来ていたことであるが、彰人はおそらく朱音が作る料理が好みと完璧に合致している。
これは既に彼自身も理解していたことだし、今回の夕食で確信できたが…あの時と今日では少しの差異がある。
…その差異というのは、朱音が料理の全て自分で作ったものか否かという点だ。
以前に彼女の家でご馳走になった料理はその多くが朱音の母である鳴海が作ったものであり、完全な朱音の手料理を味わったかと問われれば返答に困る部分がある。
もちろん、鳴海の料理が不味かったというわけではない。
あの時に食べたものはそれはそれで非常に味わい深かったし、その際に彰人が口にした感想だってお世辞の類というわけでは決してない
ただ、今回の夕食に関して言うのであれば…初めて朱音が最初から最後まで一人で作り上げた料理を口にすると、どうしてもこちらの方が彰人の好みに当てはまっているという事実も分かってしまうのだ。
…我ながら贅沢な舌を持ったものだと呆れてしまいそうになるが、こればかりはどうしようもない。
今はそんなことよりも、せっかく巡り合えた料理の味を記憶に焼き付けておいた方が賢明だ。
「こんなものが食べれて俺は幸せ者だよ。…もしこの状況が他のやつに知られたりしたら、俺って呪われるんじゃないのか?」
「それは…流石にないんじゃないかな…? いくら何でも私の料理くらいで……」
「…いやいや、それこそ評価が正しくないって。朱音は自分の料理の価値を正しく把握しておいた方がいいぞ?」
「評価、かぁ……でも、私が作ったからって何かあるかな…?」
いくら食べても飽きがこないどころか、もっと食べたいと思わせてくるほどに無尽蔵に食欲が湧き上がってくる朱音の手料理。
万が一この状況がクラスメイトに知れ渡ったりなどすれば、それこそ彰人はとんでもない被害に巻き込まれそうなものだが…もう一方の当事者は、どうやら自分の影響力というものをあまり正しく把握していないようだった。
…朱音は自分で作った料理程度でそこまでの騒ぎになることなど無いと考えているようだが、その認識は残念ながら間違っていると言わざるを得ない。
もしもこの現状が他者に知られた場合、その時はとてつもない騒ぎになることを彰人は確信している。
何しろ校内でも屈指の人気度を誇る朱音が、一介の……それも大してパッとした印象も無い男子の家で手料理を振る舞ったなどと言えば、それだけで争いが発生するだろう。
…考えるだけで胃が痛くなりそうな案件だが…だからこそ、今日の不可抗力でもある宿泊というイベントも出来る限り隠蔽しなければならないのだ。
「…色々言いたいところではあるけどな。とりあえず、俺にとっては朱音の料理が一番美味いものだってことだよ。何というか…食べたらホッとする感じだ」
「……そ、そうなの?」
「ああ。出来ることなら毎日食べたいと思うくらいには、全く飽きない味で………うん? 朱音、どうした?」
「………な、何でもない。彰人君が美味しいって思ってくれたのは十分伝わってきたから…」
…しかし、そんな懸念は今あれこれと思索したところで意味がない。
朱音に事実を言い聞かせるにしても張本人に危機感が無ければ無意味なことだし、結局は彰人が何とかすればいいだけのことだ。
そう思って、今も食している夕飯への感想を再び伝えようとすれば…どういうわけか先ほどまで彰人に向き合っていたはずの朱音がふいっと首をそっぽに向けていた。
…明らかに不自然な体勢であり、髪をかき分けた箇所から覗く耳は赤く染まっている。
またもや彰人が無意識に放っていた称賛の嵐を一身に受けたことで、おそらく内心の羞恥がキャパオーバーを迎えたらしい。
赤くなった自分の顔を彰人には見せないようにと、わずかなりにも抵抗しようとしている姿はどこか小動物のような愛らしさを思わせる。
…が、彼女が向き合っている相手はそのような抵抗で止まってくれるほど優しい相手ではないのだ。
「そうか? 俺としてはまだまだ言い足りないくらいなんだけど……もっと感想も言えるぞ?」
「………お願いだから、これ以上は勘弁してください…」
「…えぇ………」
彰人としては、先ほどまでの言葉だけでは感想を言い足りないどころかむしろこれからが本番といったくらいの認識であった。
なのでこの調子で感想を伝えようとした、のだが……他ならぬ朱音本人からストップがかかってしまう。
未だに赤くなった肌は自然体に戻らぬようで、わずかに覗かせる肌は何よりも如実に彼女の羞恥心が刺激されていることを物語っている。
…彼からもたらされる素直な感想。それに伴って与えられる羞恥には耐えられなかったのか……半ば懇願するような形で勘弁してくれと言われてしまう始末だった。
もっと言っても良かったし、何ならこの感動の全てを語りたいくらいだったのだが…向こうにそう言われてしまえば無理に伝える意味も無いだろう。
叶う事なら、いつかまた日を改めて今日の感謝を言葉にすればいいのだから。
…そうして妙な雰囲気になりつつも、温かな時間に満ちた夕食時は過ぎていく。
会話の過程で朱音を気恥ずかしさで満たしてしまうというトラブルこそあったが…それもまた、一つの思い出と考えてみれば悪くはない。
被害を受けた立場からしてみれば……また捉え方は変わっているのかもしれないが。
朱音は自分の料理に対する客観的評価には無自覚なので、影響力を自覚していない。
…まぁ、それを言ったら彰人も別角度で無自覚ではありますけどね。




