第六十三話 羞恥の逃げ先
「そうなんですよ~! いきなり朱音を連れてきてくれたので、最初は何事かとも思ったんですが……あの時は本当に、彰人さんがいなかったらどうなっていたかと思いますね」
「そんなことが…それでその後に、こちらでお世話になったと……」
「もちろん夕食は振る舞いましたが……どちらかというとこっちの方が楽しませてもらった感覚でしたね。何せ我が家は娘一人しかいなかったものですから…沙羅さんには申し訳ないですけど、何だか息子が出来たみたいで新鮮な感じがしましたね~!」
「うちの彰人で良ければいつでも使ってやってください。この子なら何をされても大丈夫ですから」
「あら、それは嬉しいです!」
(………何なんだ、この空気。何で俺は朱音の家で親の会話を見せつけられてるんだ…?)
朱音を自宅まで送るために付いてきた彰人は何故だか招かれることとなった彼女の家で夕食をご馳走になっている最中だったが……状況の特殊さゆえに正直全く味わえていなかった。
普段であれば目の前に並べられた料理の数々……どうやら今日は洋食をメインとしていたようで、クリームシチューや色鮮やかなサラダなんかは最高の味わいを醸し出していたことだろう。
だが……目の前にて繰り広げられている会話のせいでそこに集中するどころか、味すら感じ取れなくなってしまっている始末だった。
これが羞恥ゆえのものか、はたまた気まずさゆえのものかどうかは定かではない。
…ただ、眼前にて行われている会話の内容の一つ一つにて、彰人のこれまでの行いが暴露される様を見せられるのは……何ともむず痒いものだ。
「…それとですね、うちの朱音もここ最近はよく彰人さんの話をしてくれていまして…それも凄く嬉しそうにするものですから、仲が良いですよね~!」
「お、お母さん……! そんなことまで言わなくても…」
「あらあら、ごめんなさいね。沙羅さんと話してると楽しくて、うっかり口が滑っちゃうのよ~」
(……まぁ、被害で言えばそれは向こうも似たようなものか。後で軽くフォローくらいは入れておこう)
しかし、料理の味すらまともに把握出来ず気恥ずかしさを実感しているのは彰人だけではない。
ここにいるもう一人の被害者……つまるところ朱音だが、彼女も彼女で頬を紅潮させながら鳴海の言葉に羞恥を覚えたようだ。
自身の親から赤裸々に自宅での様子とそれ以外の姿を語られればそうもなるだろうし、実際に彰人もそうなっているので気持ちは嫌というほどよく分かる。
…耐え抜く方法がただひたすらに時間が過ぎ去るのを待つしかないというのも気まずさを引き上げている一つの要因なのだろうが、だからと言ってこの流れを断ち切るだけの力を彼らは持っていない。
未だに楽し気にしながらも、時折彰人の方を見て揶揄うような視線を向けてくる沙羅から無駄な緊張感を味わう彰人と、そこと同様に鳴海から自らの家での様子を暴露されて恥ずかし気に意見を訴えている朱音。
…親は楽しく、子は内心で気まずさを体感している現状。
ある意味両極端とも言えるこの構造は、彰人たちの夕食が一段落するまで続いていくのだった。
「…ご馳走様でした。美味しかったです」
「はい、お粗末様でした。お皿はそこに置いておいていいわよ?」
「いえ、流しまで運びますよ。それくらいはさせて下さい」
「そーう? だったらお願いしてもいいかしら」
「はい」
体感していた限りでは非常に長く感じた夕食がようやく一区切りつき、味わえていたはずの皿が空になった時。
一旦の食事を終えた彰人がその場から逃げるようにして席を立ち、自分の皿を運ぶという名目で落ち着かなかった食事の席を後にした。
「あ、私ももう食べ終わったから手伝うよ。少し貸して?」
「ん、そうか? …ならこれを頼むよ」
「………何で軽い食器しか渡さないのかな」
「…朱音が重さに耐えられるかどうか不安だったからな」
「お皿くらいなら大丈夫だよ……多分」
するとそんな彰人に続くようにして、既に食べ終わっていたらしい朱音も席を立って台所へと付いてきていた。
…その表情には親には気づかれないように上手いこと隠されていたが、明らかにホッとした色が浮かんだことは……まぁ指摘しなくとも良いだろう。
彼女が抱えている気持ちは彰人も共有しているつもりなのだから、同じ気まずさを味わったもの同士でこの場から離脱していくとしよう。
だが、その過程で手伝いを申し出てきた朱音に対して運んでも大した負荷にならないような軽い皿しか渡さなかったのは、半ば無意識の領域であった。
…もう意識せずとも朱音に無理をさせてはいけないという思考が刷り込まれでもしているというのだろうか。
サッと手渡した食器の数々……大半が小皿か持っても怪我はしないだろう箸やコップといったものだったため、若干朱音からはジト目を食らってしまったが勘弁してほしい。
こればかりは、彰人も意図してやったわけではないのだから。
「ふぅ……それにしても、お母さんたら彰人君のお母さんが…沙羅さんが来たからテンション上がっちゃってて困るよ。おかげでこっちの方が恥ずかしかったし…」
「分かる……うちも母さんの話が弾んでて、思わぬ流れ弾が飛んできたからな…」
しかしそんな責めるような視線の猛攻も、キッチンにまで辿り着いてしまえば疲労感を多く含んだ瞳へと変わっていく。
先ほどまで行われていた母親同士の会話…別に今も変わらず継続されているのだが、リビングにて盛り上がりを見せている交流からは傍観に徹していた二人の方が甚大なダメージを負うこととなった。
まるでお互いの子供のことを自慢するように、自らの過去の行いを掘り下げられながら語られていく会話は……早く終わってくれと何度願ったかも分からないくらいだ。
結局話の区切りがつくよりも彰人たちの夕食が終わる方が早かったために、最後までたっぷりと気まずい空気を体感することとなってしまった。
「…これ、多分戻ったらまたおんなじことが起こるよね?」
「そうだな……確定ではないから何とも言えないけど、ほぼ確実にそうなるだろうな」
「……どうしようか。戻るのが嫌ってわけじゃないけど、また色々と勝手に話されるのは嫌だし…」
朱音の懸念は正しい。
現在進行形でますます盛り上がっている母同士の会話に大人しく戻って行けば、再び先刻と同様の羞恥に満ちた時間を味わうことになるのは明白だ。
そこから離れたくてここまで逃げてきたというのに……すぐさま引き戻されることになるなんて本末転倒も良いところである。
ただ、いつまでもここで立ち止まっているというのも不自然なことは確か。
今はまだ違和感を持たれていない様なので何とかなっているが、このままここで時間を潰していれば向こうから何らかのアクションをされるだろう。
そうなれば本格的に戻らなければならなくなるので、結局打つ手もないかと思われたが……そこで、朱音が何かを思いついたように手を叩いた。
「あっ、そうだ。…ねぇ彰人君、ちょっとだけ付いてきてもらっても良いかな? 出来るだけ静かにね」
「ん…? そりゃいいけど…どこ行くんだ?」
「それは内緒。ほら、こっち来て」
何か名案でも閃いたのか、彰人に付いてくるように言った朱音はなるべく足音を立てないように意識を配りながらリビングを出て廊下へと向かって行く。
そうしてそこから先は廊下から繋がっていた階段を上っていき、朱音の家の二階に位置する場所……それぞれの部屋に面しているであろう扉が並ぶ廊下を彰人は目にすることとなる。
「…着いた着いた。さ、入って」
「ここは……何の部屋だ?」
そんな部屋の並ぶ一番手前にある扉。
上がってきた階段から最も近い場所にあった部屋を示し、朱音は入室を促してくるが…それよりも前にここが何の部屋なのかを確認しておいた。
…ここまで連れてこられた段階で何となく察しはついてきそうなものだが、その正体を悟るよりも早く朱音の口から答えは語られることとなる。
「あっ、まだ言ってなかったもんね。…ここは私の部屋だよ。遠慮せずに入っちゃっていいからね」
「………なるほど、そういうことか」
…薄々勘付いてはいたので、さほど驚きはない。
驚きはない、が……この展開を予想することもできていなかったために、眼前に迫ってきた事態に理解が追い付いてくると軽く溜め息をこぼしてしまった。
…どうやら彰人は、今まで触れられてこなかった朱音の自室へと入り込むことになりそうだった。




