第六十二話 母と母
「…流石にこれ以上長話するのは可哀そうね。朱音さん、せっかくだし家で夜ご飯を食べていったらどうかしら? そちらの御両親にはあたしから連絡しておくから」
「あ……そ、その…お誘いはとても嬉しいんですが、多分お母さんが夜ご飯を作ってくれているので…ご、ごめんなさい…」
「あ、そうなのね。少し残念だけれど……謝らなくても大丈夫よ。気にしていないから」
朱音がやってきてから彼女とのあれこれを沙羅に向けて説明し、そこそこ時間が経過した頃。
沙羅の方から朱音に夕食の誘いを持ち掛けていたが、それに関しては残念ながら断られてしまっていた。
こればかりは仕方がない。
彼女には彼女の都合もあるだろうし、それを一切考慮せずに話を進めるのは傲慢も良いところだと沙羅も分別のある大人として理解出来ている。
なのでそこまで強く執着することなく身を引くと、今度は別方面から彼女に言葉を掛けていく。
「だったらせめて、そっちのお宅まではあたしが送って行かせてもらうわ。車もあるし、歩いていくよりも早いはずよ」
「え…? い、いえ! そこまでお世話になるわけにはいきませんから…!」
「何言ってるのよ。こんな遅い時間に女の子を一人で帰せるわけないでしょう? …こういう時は大人に素直に甘えておきなさい。ほら彰人、あんたも準備して」
「え、俺も行くのか?」
沙羅が持ち掛けたもう一つの提案。
朱音を自らが家まで送っていくという持ち掛けに、最初は遠慮したように断ろうとしていた朱音だったが……ここに関しては沙羅の言い分が正しい。
夏真っ盛りであるため日が落ちる時間こそ短くなっているものの、たとえその点を加味したとしても朱音を一人で帰らせるという選択肢なんてはなからあるわけがない。
万が一の時には彰人が付き添おうとも考えていたが、沙羅の方からそう言ってくれるのならばありがたい。
朱音も自分と行くよりは母の手で車を使って送ってもらった方がいいだろうと思い、彰人は自分の出る幕はなさそうだと気を抜きかけたが……そうはさせてくれないのがこの母である。
何気なく告げられてしまったがゆえに流しかけてしまったが、何と朱音の帰宅に彰人も付き添うという言葉には流石に引っ掛かりを覚えた。
「当然でしょう。あたしだけが行ったところで向こうの親御さんとは面識が無いんだから…それに彰人、あんた一度夕食もご馳走になったんですって? そこのお礼も兼ねて伺うために面識があるあんたは連れていくわよ」
「マジか……いや、別にいいんだけどさ」
言われてみれば最もである。
確かに向こうの親……主に鳴海であるが、そこと一切の面識がない沙羅が向かったところで向こうからすれば見知らぬ他人が娘を送ってきたという状況になってしまう。
しっかり説明すれば大して問題もないのだろうが、そうなるくらいなら多少は顔も覚えられている彰人を連れて行った方がスムーズに事が進められるというのは正しい判断だ。
…それに、少し目を細められながら言及されてしまったが思い返してみれば彰人が朱音宅で夕飯をご馳走になったことを母に連絡しておくのを忘れてしまっていた。
あの時は彰人も展開の早さに気を取られていたため、そこまで気が回らなかったというのもあるが確かにそこは彼のミスである。
それに朱音の家に向かうとはいっても言うほど大した手間はかからないし、嫌というわけでも無い。
「…というわけだから朱音、俺も付いていくことになったんだが……いいか? そっちが構わないなら行かせてもらうよ」
「う、うん。それは全然構わないし、むしろ嬉しいくらいだけど……お母さんに連絡だけしてきてもいいかな? 今から帰ることを伝えておきたいから…」
「了解だ。なら早く鳴海さんにも電話してきな」
「…ありがとう。ちょっと外してくるね」
彰人がその申し出を断る理由があるとすれば、残るは朱音の方から同行を拒否されることくらいのものだったがそこも難なくクリアだ。
念のためにと朱音に確認を取ればさして抵抗もなさそうな様子で許可を貰えたので、このまま彰人も彼女の家に向かうこととなるだろう。
鳴海に連絡を入れるためにと朱音は一旦リビングを後にしていったが……それだってそう時間がかかることではあるまい。
今のうちに軽く準備でもしておいた方が良さそうだ。
◆
その後、無事に連絡を終えたのか戻ってきた朱音を再度出迎えた彰人達も軽く準備を整え、沙羅が運転する車に乗って見送ることとなった。
相変わらず車内でも沙羅の側から何度か二人の関係について質問が飛ばされることもあったが……それは適当に答えておくことで持ちこたえた。
別に話したところで問題があるわけでも無いが、触れられる内容によっては彰人にとって羞恥心を刺激される事態にもなりかねないため一応の対処である。
「…朱音さん。お家はここで合ってるかしら?」
「えっと……はい、ここで大丈夫です」
「そう、なら降りて挨拶を……あら、出てこられたみたいね」
彰人の家から朱音の家までは距離が激しく離れているわけでもないため、車を使用したともなればすぐに到着できる。
今とて十分と経たずに間宮宅へと辿り着き、目の前には見覚えのある家が視界に入ってきていた。
前に一度だけ彰人も訪問した経験のある朱音の自宅。
そこに着いたことを確認した沙羅は、車を停めて降りようとするが……それよりも前に、玄関先の照明が点灯したことを発見したようだ。
「あらあら~、どうもすみません……! 彰人さんのお母さん…沙羅さん、でしたよね? うちの朱音をわざわざ送ってもらったみたいで…」
「初めまして、黒峰沙羅と申します。朱音さんのことなら気にしないでください。前にうちの彰人がそちらでお世話になったみたいですから…そのお礼も兼ねて伺っただけですよ」
玄関の扉を開けて出てきたのは相変わらず包容力抜群な母性を感じさせてくる朱音の実の母、鳴海である。
彼女は玄関先から沙羅の運転していた車……彰人達の傍へと駆け寄ってくると、どこか申し訳なさそうな雰囲気を見せながら近づいてきていた。
「よっと…鳴海さん、お久しぶり……というわけではないかもしれませんけど、ご無沙汰してます。今日は朱音を送るのが遅くなってしまってすみません」
「あら、彰人さんも来てくれてたのね! 良いのよ~! むしろ彰人さんと一緒ならもっと遅くてもいいくらいだったわ!」
「…? はぁ、それなら良かったですけど……」
そして親同士で挨拶をし合いながら会話をしている最中に、彰人も車を降りながら少し口を挟みながらも鳴海に言葉を掛ければ……何故だか嬉しそうに笑みを浮かべられながら返事を返された。
可能な限り遅くならないようにするために送ってきたというのに、どうしてか向こう側から帰宅が遅くなっても構わない許可を貰うという、訳の分からない展開になっていた。
「この前はうちの息子がお世話になったようで……どうもすみませんでした…」
「いえいえ、良いんですよ~。うちも彰人さんに遊びに来てもらえて楽しかったですし…」
「いえ、それでもですね……」
だが、その挨拶も済んでしまえばこの場は大人の独壇場である。
やはり母親同士が集結してしまえば会話というのも自然と弾むものだというのか、正直彰人と朱音は若干の疎外感を感じてくるがそれでも割り込める空気でもないため、大人しく傍観に徹しておく。
「……なんか、お母さんたち同士で話し合い始めちゃったね。私たちの入る隙が無いというか…」
「こういうのは余計な口を挟んだら叱られるのが関の山だからな……静かに待っておくしかないさ」
「そうだねぇ……少し退屈だけど」
そして、その空気は朱音も同様に感じ取っていたようで家の塀にもたれかかりながら彼らの母親が繰り広げる会話を横目にして退屈そうにしていた。
その気持ちは彰人も何となく理解できる。
こういう時の子供というのは勝手に遠くに行くわけにもいかないので離れることが出来ず、かといってそちらの会話に入り込めるわけでも無い。
結果として何もできない時間というのが延々と続いていき……向こうが話を打ち切るまで待機するしかないという状況に陥るのだ。
(ま、今回はそう時間もかからないだろ。母さんも朱音を送ることが目的だって言ってたし、鳴海さんとの話もそのうち終わって………?)
されど今日に限っては大してそんな心配もしていない。
当初の目的としては朱音をここまで送ってやることを最優先の目標としていたわけだし、そこに伴って彰人が世話になった際の礼を伝えるということも果たせた。
もちろん沙羅の性格から考えてみれば、このくらいの会話程度で恩を返せたとは思っていないだろうが……それでも最低限の義理は果たせたのだから、今度改めてやってきて礼の品でも渡しに行くことだろう。
ゆえに、今回はさほど長丁場の待機にはならないと高をくくっていたが……ふとそこで、向こうの会話が細々と彰人の耳に入ってきた。
「……そうだわ! 良かったら沙羅さん達もぜひうちでお夕飯を食べていってください! せっかくですし、色々とお話してみたいこともありますので…」
「いえ、流石にそこまでのご厚意を受けるわけにはいきませんから…」
「いやいや、そうではなくてですね。…実は今日、うちのお父さんが仕事で夕飯はいらないって連絡してきまして量を余らせてしまっているんですよ。なのでこちらを助けるという意味合いでも……ね?」
「……分かりました。そういったことであれば……」
(……ん? 聞き取りづらいけど…なんか妙なことを…)
…彰人の耳に飛び込んできた会話の中身。
声量がそこまで響いているわけではなかったために、途切れ途切れの言葉から聞こえてくるのは何か妙な予感を感じさせてくるものだ。
二人の様子からして、何か鳴海が提案したことに沙羅の方が戸惑うような素振りを見せていたが…それも次第に落ち着いてきたようで、最終的には納得したようにしていた。
…それが彰人にとっても納得できるものだったかどうかは、また別の話だったのだろうが。
「彰人。今から間宮さんのお宅にお邪魔することになったから、あんたも必要なもの以外は車に置いていきなさい。くれぐれも迷惑のないようにね」
「………は?」
間の抜けた声を口から漏らしながら聞かされた内容には、さしもの彰人でさえ驚きを隠せない。
どのような経緯を経ればそうなるというのか。
朱音を送ることだけが目的だったはずの見送りは……まだまだ終わりそうになかった。
こういう親同士の話が弾んでいる時って、子供の身からしたら何をして待ってたら良いのか結構迷いますよね。




