第六十話 ファーストコンタクト
予想外のところで朱音を怒らせてしまい、何とか鎮めることには成功したが己のやらかしたことを反省した彰人は、歩みを進めながら隣を進む朱音へと視線を移していった。
「…朱音、眠そうだけど良かったらおぶってやろうか?」
「……んむ。まだ自分で歩けるから大丈夫…だと思う…」
先ほどまでは不機嫌だということを全面に示すように頬を膨らませていた朱音だったが、それでも時間が経過するごとに押し寄せてくる睡魔には勝てなかったらしい。
すっかりいつも通りの眠たげな彼女へと戻って行ったが、今まで遊び倒していた分の疲労もまとめて押し寄せてきたのか随分と眠そうである。
今も足元すらおぼつかなくなってしまっているし、いつ転ぶのではないかと気が気でないのだが……当人が頑なに問題ないと言って譲らないため、どうすることも出来ない。
「……あ、だけどせっかくなら…手を繋いでもらっても良いかな…? それなら頑張れそうだから…」
「……分かった。はいよ、これでいいか?」
「…んふふ……あったかいねぇ…」
相当に眠気も蓄積しているのか、心なしか朱音の言動もいつもと比較して二割増しでふにゃふにゃである。
握られた彰人の手に自身の頬を擦り付けるようにして、こちらの体温を確かめるような仕草を見せる彼女の姿は何ともグッとくるものがあったが……それはおくびにも出さない。
朱音とて彰人を信頼して無防備な姿を晒してくれているのだから、そこにつけこむような真似はしてはならないのだ。
なので溶けて消えていそうな理性をしっかりと抑えつけながら手を握り返し、彰人のものとは違う滑らかな肌の感触をしている朱音の掌を掴む。
…既に一度経験していることとはいえ、やはりこういうことは慣れないものだ。
単に彰人が経験不足なだけかもしれないが、こういった女子とのコミュニケーションを取ったことが無いため今の距離感が適切なものかどうかの判断も付けられないが……少なくとも嫌だとは思わない。
むしろ出来ることならいつまでもこの距離を維持したいものだと思いながら、隣を歩く少女が必死に辿る帰路へと付き添っていく。
…朱音と歩いていく帰宅道中。
おぼつかない足を動かしながら緩みきった口元には気の抜けた笑みを携え、握られた手には確かな彼女の体温を感じる。
何気ない日常の一幕であり、もはや見る者からすれば見慣れた光景であると言えるだろう。
そんな無自覚ながらも、どこか甘い空気を周囲へと放つ二人だったが……だからこそ、彰人はその人物に気が付けなかった。
「……彰人? 何やっているの、こんなところで」
「…………は?」
二人の背後からコツコツと響くような足音を鳴らし、近づいてきていた人物。
淡々としたような口調でありつつも、気安く彰人に声を掛けてきたその女性は……パッと見た印象としては仕事の出来るキャリアウーマンといったところ。
かっちりとしたスーツに身を包み、履いているハイヒールや身に付けられている眼鏡なんかからもその片鱗は読み取れ、腰まで伸ばされた黒のロングストレートヘアは真面目な印象を思わせる。
全体的にスレンダーな体型からはクールな雰囲気も思わせるが…それが初見では少し冷たい印象を思わせてくる。
目の前に広がっている光景に驚いたようなリアクションを見せている彼女だったが……彰人には、その姿に見覚えしかない。
「……んぅ…? 彰人君…誰と話してるの…?」
すると彰人が唐突に立ち止まり、眼前の女性と話したことに眠たげだった朱音も流石に気が付いたのか彼女へと目を向ける。
目元を手でこすりながらではあったが、重たげに下がりつつある瞼を堪えている朱音に対し……彰人はそんな彼女に構っている余裕は無かった。
「…彰人、そちらのお嬢さんはどちら様? 随分と仲が良さそうだけれど…あたしの知っているお友達ではなさそうね」
「………何でここにいるんだよ、母さん」
「ん……? え…あ、彰人君の…お母さん…っ!?」
黒曜石にも近い黒の瞳を彰人たちへと向けながら、突如として対面してきた女性。
…想定外のタイミングで、彰人の母親との邂逅を果たしたのだった。
◆
「ここにいるんだとは何よ。今日は仕事が終わったから帰ってきただけの事よ。あたしが家に帰ることは何もおかしくないでしょう」
「いや……そうなんだけどさ。母さんが帰ってくることなんてほぼないし…急に鉢合わせたら驚きもするって…」
「…まぁ、普段は忙しいから仕方ないわね。それでも今日は早く終わったから帰ってきたのだけど……それより、私も聞きたいことがあるわ。その手を繋いでいる仲の良さそうなお嬢さんは…どちら様かしら?」
大きく表情を変えることも無く自分が帰宅した経緯を話す彰人の母親だったが、それを聞いたところで彰人が抱くのは困惑だけである。
普段の日常生活から家に帰ってくることがほとんどない母がいきなり目の前に姿を現したのだから、それも当然であるが。
…しかし、そうしていると今度は向こうから質問が飛んでくる。
彼女が問うてきたのは、今現在も彰人が仲睦まじげに手を握っている相手……朱音に関することであり、まぁ彼女からすれば聞いて当たり前のことだ。
何せ自身の息子が自分の知らない間に女子と、それも圧倒的と言って差し支えないほどの美少女と親し気にしているのだから、むしろ触れてこない方がおかしい。
「え、えっと……初めまして。ま、間宮朱音と言います……彰人君とは…同じクラスの友人で…」
だが、そこで話題に引き出された朱音はというと絶賛混乱の最中である。
何とか受け答えをしようと努力はしてくれているようなのだが……あまりにも怒涛の展開に頭が追い付いていないようで、先ほどまで纏わりついていた眠気に関しては吹っ飛んでしまったようだ。
見れば、目を回しかねないほどに緊張している様子の朱音も必死に自分が怪しいものではないと弁明してくれているが、その懸命さが届いたのだろうか。
当初は訝しむように二人を見つめていた彼女であったが……少なくとも悪意を持って彰人と接していたわけではないと判断されたようで、ひとまず納得したように頷いていた。
「……そう、彰人のお友達だったのね。だったらあたしの方から言うことも無さそうだわ」
「…? 随分簡単に納得するんだな。もっと色々聞かれるものだと思ってたんだが…」
「そりゃあ色々と聞きたいことはあるわよ。それこそ……あなたたち二人がいつまで手を繋いでるのか、とかね」
「……あっ」
…言われてから気が付いたが、確かに今の二人は場の流れからさりげなく手を繋いでそのままである。
明らかに親の前でするようなことではなかったが、うっかりそのことを忘れてしまっていたので結果的に見せつけるような真似をしてしまった。
「全く……彰人、あんたがいつの間にこんな可愛い子と仲良くなったのかは知らないけれど、しっかり場は弁えなさい。お友達との距離感に口出しするつもりはないけど…それでも所かまわずというのは感心しないわよ」
「………はい」
まさしくその通りとしか言いようがない。
指摘されて慌てて握っていた手は放したが、それでも手遅れなことには変わりないのでしっかりと叱られてしまった。
「あ、ち、違うんです……! これに関しては私の方からお願いしたことなので…わ、悪いのは私なんです…」
「あら、そうだったの?」
「は、はい……」
しかし、そこで助け船を出してくれたのは朱音だ。
手を繋ごうと進言したのは自分の方であり、注意をされてしまった彰人は悪くないと彼女が弁明をすれば…自らの認識のずれに気が付いたのか、向こうも目を丸くしていた。
「ふむ……そういうことね。他にも色々と聞きたいことはあるのだけれど…ここで長話というのも少しあれね。よかったらうちに上がって行ってちょうだい。歓迎するわ」
「………え?」
「…はぇ?」
…そしてその直後、向こうから提案されたこと。
まさかの誘いに今度はこちらが目を丸くする結果となったが……まだまだ長い一日が終わりそうにないことだけは確かだった。
まさかのタイミングでの邂逅。
ようやく一日が終わると見せかけての再会ですから、この遭遇は彰人にとっても朱音にとっても完全に想定外のものです。
それに対して、この鉢合わせにものともしない(ように見える)彰人の母の冷静さが凄いとも言う。




