第五十六話 卓上の告白
「おっ、やっと戻って来やがったな。…どうした、そんな疲れた顔して」
「……まぁ、色々とあったんだよ」
朱音と共に更衣室へと戻っていった彰人はさほど時間をかけることも無く先ほどまで身に着けていた服へと着替えを済ませ、携帯に連絡を送ってきていた航生の元を訪れていた。
二人が現在いるのは施設内にあるレストラン街であり、時間帯の影響もあってか中々に混雑しているが……そこは一応配慮が出来る男と言うべきか、航生が席を確保してくれていたらしい。
探し回っている内に友の姿を見つけ出した彰人も何とか合流することが出来たが……何だか彼の表情は航生にも指摘された通り、どこか疲れているようにも見える。
…まぁ、その原因なんて分かり切っている。
主な要因は一から十まで先ほどの朱音とのやり取りに起因しており、彼女と手を繋いで更衣室まで移動していた行為が全ての原因である。
別にそれ自体は何ら問題もない。そこは彰人も合意したことであるし、後悔だってしていない。
ただ……そこに付随して伴ってきた影響が問題だとすれば問題だった。
朱音の手を握ったことによって湧き上がってきた何とも言えない羞恥心。
そして彼女ほどの美少女を連れ添っていたからか、周りから自分たちがどう見られていたかなんて分かるものではないが……何故か家族連れのお客からは微笑ましいものを見るような目線を向けられ、男客の団体には羨ましいものを見るような目を向けられた。
時間にしてみればほんの数分だったとはいえ、慣れないことをしたがゆえの疲労感というのは着実にメンタルに蓄積されていたようだ。
無事に朱音を女子更衣室の前まで送り届けてからその反動が一気に襲い掛かってきたため、こうして時間が経った今となっても抜けきれない疲弊が顔に出てしまっている始末だった。
「…まっ、それは良いけどよ。疲れたんなら座って休んでたらどうだ?」
「そうさせてもらう……よりも前に航生、お前一人で何食ってんだ」
「んぐ? そりゃもちろん…俺の昼飯だが?」
「だが? じゃねぇよ……明らかに量が多すぎだろ!」
しかし、友の言う通りに席に着いた彰人だったが……そこで目撃することとなった眼前の光景には現状の疲労すら忘れてツッコミを入れてしまった。
そこにあったのは、事実だけを羅列するのであれば一人黙々と昼食だと思われる飲食物の数々を口に運んでいる航生の姿。
…それだけならば何もおかしくはない。
こいつもそれなりに動いた後で空腹だったのだろうし、これからまだ動くだろうことを考えれば栄養補給という意味でも何かを腹に収めておくことは重要だ。
重要なのだが……如何せん、その量がおかしい。
現在進行形で航生が口にしているラーメンの他、セットで付いてきたと思われる炒飯やそれ以外にもカレーという主食がダブルで並んでいる。
…さらにテーブルの上には他の店で仕入れてきたのだろうポテトまで乗せられており…一面が食べ物にて埋め尽くされている。
明らかな過剰供給としか思えないボリュームだというのに……それをものともせずに平らげていく航生の有様には、素直な感想として驚きと同時に呆れがやってくるくらいだ。
「いくら何でも食いすぎじゃないのか…? そんな食ったら腹壊すだろ」
「ふっ、俺の胃袋を舐めてもらったら困るな。この程度ならむしろ足りないくらいだっての!」
「……そうかい、お前がそれでいいってんなら口出しはしないけどさ。とりあえず食い過ぎには注意しとけよ」
「わーってるって!」
しかし彰人が多少の心配を寄せたところでこれは改善されるようなものではないのだ。
他人の食事や物をどれだけ食べるかなど、そういった事柄に関しては基本的に第三者があれこれと世話を焼こうとしたところで結局は当人の意思次第でしかない。
いくらお節介をしようとしたとしても最終的には航生本人が現状を変えようとでもしない限り、この状態が変えられることは無いはずだ。
…それに現時点では今の食事ペースでも航生自身には大して健康被害も起きていないようだし、特に気にも留めていないのだろう。
だったら彰人から言うようなことは軽く忠言する程度の事であり、それ以上は強く言わないのだ。
「それよりも……まだ他の二人は来てないんだな。朱音はともかく、優奈は来ててもおかしくないと思ってたんだが」
「ああ、俺も連絡だけはしておいたんだがな。まだ返信も来てないし多分二人とも着替えてるんだと思うぞ。…まっ、女子の身支度は時間がかかるもんだからな。気長に待っておけばいいさ」
「……それもそうか」
航生の食事量云々に関することは一旦隅に置いておき、次に彼が気にしたことはここにいない女子二人組の事。
…朱音は彰人と同じタイミングで別れたのでまだ来ていないだろうことは分かっていたが、優奈に関してはこちらよりも早く戻っていたのでここにいるものだとばかり思っていたが……その予想も外れたようだ。
だが、よく考えてみれば航生が言うように彼女たちは男子とは違って身支度一つにも時間がかかるものなのだろう。
普段の態度があれなだけに忘れがちではあるが、ああ見えていても二人だって立派な女子なのだから、少しでも見た目を良くしておきたいと思うのは当然のことだ。
「それよりもよ……俺が聞きたいのは別のことだ。お前、間宮さんと何かあったろ? 詳しいことを聞かせてもらおうか!」
「……まぁ聞かれるだろうとは思ってたが、展開が早すぎるだろ」
「うるせぇ! これでも耐えた方なんだよ!」
そんなことを話していると、不意に航生がもう待ちきれないとでも言わんばかりの態度を向けて彰人に語り掛けてくる。
内容は……ほとんどこちらが予想していた通りでもあったが、やはり気になっていたようで朱音とのことに関して踏み入ってきた。
「ぶっちゃけあそこで合流した時点で怪しいとは思ってたがな……そこにきて二人っきりになりたいなんて言って来たんだ。これで何もないって方がおかしいだろ!」
「それは…否定しないけどさ。特段大したことでもないぞ」
航生が朱音との件に関して聞き出そうとしてきた理由については、何らおかしいものでもない。
正直なところ、彰人としてもあのタイミングで話題を切り出した時点で優奈と航生にも後から問いただされるだろうことは予想していたし、それを気にしている状況でもなかったという点はある。
なのでこの展開自体はほとんど想定通りのものではあったのだが……それでも、こちらから話せることは少ない。
「要約しちまうけど、途中で朱音とトラブルがあったんだよ。その時に少し紆余曲折あってな……それでお互いに気まずくなってたってだけだ」
「ふむ……そのトラブルってのは聞いても良いやつか?」
「…悪いが、そこは触れないでもらえると助かる」
航生に対して彰人から伝えられる範囲は、せいぜいがこのくらいだ。
この一件に関しては全てを話すわけにもいかないし……何より、彰人だけでなく朱音にとっても知られたくないことだろうと考えられるからこそ、譲歩してもこれ以上は伝えられることでも無かった。
…すると、彰人の想定ではいつものように深入りをしようとしてくる航生の反応が来るだろうと思っていたのだがその予想に反して、向こうは非常にあっさりと身を引いていった。
「なるほどな……だったらこれ以上は聞かないことにするわ。見た感じだとそのトラブルってのももう解決したんだろ?」
「……あ、あぁ。その通りだけど……随分簡単に諦めたな」
「そりゃいつもならガンガン聞いてただろうけどな。…今回はお前にも話せない事情があったみたいだし、そういうことなら俺が考え無しに踏み込んで良いことでもないだろ?」
「………ありがとな」
…本当に、こういうところがあるからこの友人は憎めないのだ。
普段はおちゃらけた一面が目立つ半面で、他人が本当に踏み込んでほしくないラインに関しては敏感に嗅ぎ取って接するからこそ、不快に思わせることが無い。
今回だって彰人の触れてほしくないラインを見極め、デリケートな一線は決して超えてこない会話のやり取りを成し遂げて見せたことには素直に驚かされたくらいだ。
だが、そんな配慮が出来る友だからこそ助けられた。
「それに気になるってんなら他の話題を聞けばいいだけのことだしな。…どうだ? 今まで間宮さんと過ごして……何か心持ちに変化はあったか?」
「……どう、だろうな。俺にもそれは分からない」
…そんなありがたい配慮を航生から受けた後で、彼から次に尋ねられたのは朱音に対して抱く心象。その変化に関連すること。
以前から度々聞かれていたことではあったが……今回のそれは前のものとは少し違う。
航生もどこか真剣な雰囲気を滲ませた問いかけであった。
「…本音を言えば、あいつのことは可愛いとは思うし好きか嫌いかで聞かれれば間違いなく好意的ではある。ただ……それが恋愛感情云々のものかって聞かれれば…まだはっきりしてないんだ」
「……そうか。ならその辺は今後に期待だな」
彰人の本心。
朱音に抱く感情が紛れもない好意であることは、もはや疑いようもないことだ。
彼女の一挙手一投足に対して目を惹かれることだって多いし、朱音のさりげない仕草や表情の変化にこちらも大きく感情を揺さぶられることだって珍しくない。
…それでも、この胸の内にある感情が親愛ゆえのものか異性への好意なのかどうかは…まだ白黒つけられるほど、彰人自身にも区別がつけられていなかった。
「ま、あんま気にしすぎんな。心持ちなんて些細なキッカケ一つで変わるもんでもあるしな。焦りすぎたところで良いことなんてねぇよ」
「……なんか、お前にしちゃまともなことを言いすぎてて怖くなってくるぞ」
「酷くないか!? 俺だって真面目にすることくらいあるわ!」
「普段の言動がアレだからな。日頃の行いを振り返ってみろ」
「………そこは、気にしたところで意味はないんだよ」
「おい、俺の目を見て言え」
そんな彰人に慰めるかのような口調で話しかけてくる航生。
…それは、場面だけを切り取って見てみれば友人想いの良いやつだと思えたのだろうが…ふと彰人はここまでまともな言動を繰り返している友に違和感を覚えた。
なまじ航生の普段の言動を知っているがゆえに、ここに至るまでおかしな挙動を見せてこないことに寒気を覚えた彰人。
彼のそんな発言に、ショックを受けたようにして声を張り上げる航生。
シリアスな雰囲気から一転して、いつもと何も変わらない空気へと戻っていったテーブルでは、気の置ける友人同士による他愛もないやり取りが繰り広げられていたのだった。
彰人の心情には、残念ながら未だ変化はなく。
その変化が現れるとすれば…何かしらのきっかけが必要かもしれませんね。




