第五十一話 誰よりも愛らしく
「……ふぅ。あれだけ言っておけば、多分大丈夫、だよね…」
「…っと! …朱音、大丈夫だったか?」
「うーん……さっきまでは平気だったんだけど、終わったら緊張が解けて一気に疲れが来ちゃったみたい…ちょっとだけこうしてても良い?」
「…ああ、来るのが遅くなって悪かった。もう少し近くで待ってればこんなことにはならなかったのに…」
「気にしなくても大丈夫だよ。…彰人君が来てくれたおかげで、私たちも何もされなかったわけだしね」
まさかの朱音が絡んできていた男二人を退け、ようやく落ち着ける空気を取り戻した場の中。
男が去っていくのとほとんど同時に倒れかけた彼女をギリギリのところで支え、早くに駆けつけてやれなかったことを謝罪した。
「…朱音ちゃん、大丈夫!? さっきあいつらに色々と言ってくれたのは格好良かったけど……あんまり無理したら駄目だよ? 今回は何もされなかったから良かったけど、もし逆上してきたら何をされるか分からないんだからね!」
「あ、優奈……ありがとうね。今度からは気を付けるよ」
「それに彰人も……来るのが遅い! 朱音ちゃんに何かあったらどうするつもりなのさ!」
「そこに関しては…すまん。もう少し警戒しておくべきだった」
「…全く! 今度からは気を付けてよね!」
そしてその次に言葉をまくし立ててきたのは優奈だったが……こちらは朱音とは違い、分かりやすく彰人が到着するまでに遅くなってしまったことに対して怒りを見せてきた。
…ただ、その怒りも自分たちがナンパ目的の男に絡まれるまでに来てくれなかったのかといった趣旨のものではなく……どちらかと言えば、朱音を危険に晒してしまったことに怒っているようだった。
だがこればかりは優奈の怒りも正当なものである。
事実として彰人がもっと早く彼女たちの元へと辿り着けていればこのような無用なトラブルに巻き込まれることも無かったかもしれないし、力不足ではあったかもしれないが多少の牽制にはなれただろう。
そこを怠ってしまったのは、他でもないこちら側のミスなのだから。
「……まぁそれはいっか。とりあえず皆無事だったわけだし、一番被害被っちゃった朱音ちゃんが何も言わないなら私もここらへんで抑えておくよ」
「…助かる」
「それよりもさ……航生はどこに行ったの? さっきからずっと姿が見えないんだけど…」
「ああ、あいつならさっき──」
「…おーい! 二人とも無事だったかー!」
「ん? …あ、航生! どこに行ってたのよー!」
それでも何とか優奈の方からも許しはもらえたので、場は一旦の安寧を取り戻したと言えるだろう。
…と、そこで続けて優奈の方から質問されてしまったが彼女が疑問として投げかけてきたのは何故か先ほどから姿を見せないもう一人のこと。
つい数分前までは彰人と行動を共にしていたはずの航生が一体どこに行ったのかという件だった。
…確かに、そこを疑問に思うのは当然だ。
本来のあいつの性格を考えれば彼女である優奈が危険な目に遭っているともなったら自分から場に突撃していくのが自然だとも思うだろうし、実際に優奈もそのようなことになっていないから尋ねてきたのだろう。
これに関しては彰人も事情はしっかりと把握しているため、友の名誉のためにも説明しようとしたところで……三人に大声で呼びかけてくる者が現れた。
その声の正体を探ろうとパッと呼びかけてきた者がいる方向に首を向けてみれば……そこには、今しがた話題に上がったばかりの航生が駆け寄ってきていた最中だった。
「…来るのがおっそいじゃーん! 私を放ってどこ行ってたの?」
「はははっ! 悪い悪い! …俺はほら、あの人たちを呼びに行ってたんだよ」
「あれって……監視員さん?」
航生が三人の近くまでやってきた途端、それまでの不快感を払拭するように自身の彼氏めがけて思い切り抱き着いていく優奈。
なんだかんだと言っても女子だけでガラの悪い者達に絡まれていたことには不安な感情もあったのだろう。
いつもよりも強めに航生に甘えるような仕草を見せる彼女からは……今、純粋に恋人と過ごせる時間を楽しんでいるような空気が垣間見えた。
だが、そんな航生も愛しの彼女を抱きしめ返しながら示した先に居たのは…つい先ほど朱音たちに絡んでいた男たちの姿と、そんな彼らに向かって何かを話している複数人の監視員という光景だった。
「そうそう。二人が絡まれてるのを見た瞬間に俺たちだけじゃどうにもならないかもなってことは予想してたからな……念のために俺が近くにいた監視員の人を呼んできて、彰人には先に割り込んでもらってたんだよ」
「…俺の方は大して役に立ってなかったけどな」
そう。これこそがあの瞬間に航生の姿が見えなかった理由であり、その真相は彼が万が一の事態を考慮して職員の者を呼びに行っていたからだった。
彰人はその間、少しでも間を持たせるためにと彼女たちのいる場所に無理やり割り込んでいったというのがあそこに至るまでの大まかな経緯だったわけだが……正直、こちらに関してはそこまで大層な役割を果たせたような気もしない。
「なるほどねー……そういうことなら納得!」
「なら良かった! …それにしてもよ、優奈。その水着、すげぇ似合ってるな! 最高に可愛いぞ!」
「本当!? だったら良かったー……選んでる時はちょっと不安だったんだけど、航生にそう言ってもらえたなら苦労して選んだ甲斐もあったね!」
(…………ん? そういえば今ここにはプールサイドで、二人とも水着に着替えて来たってことは……っ!?)
…ただ、そこでふと彰人が目の前で唐突にいちゃつき始めたカップルの会話から思い至ったことは、現在自分がどこにいるのかという事実の再確認。
今更すぎることでもあるのでもはや確認するまでもないことだとは思うが、今彼らがいるのは大勢の人で賑わっているプールサイドの片隅だ。
そして当然、その装いもまた場に準拠したものになっているわけで……それを示すかのように目の前では自身の水着姿を褒められた優奈が嬉しそうに表情を崩しているのが目に入ってくる。
彼女が現在身に纏っているのは全体が橙色で彩られたビキニタイプの水着であり、優奈自身のスタイルの良さもあってとても良く似合っている。
心なしか彼女の活発さを表しているような色合いとデザインは楽しそうに笑みを浮かべている優奈の魅力をさらに引き出しているかのようであり……当人はまるで気にしていないようだが、周囲の男の目を集めまくっている。
…だが、それだけならば別に彰人も何とも思わなかった。
いくら今の優奈が辺りの視線を独占するほどの魅力を持っているとは言っても、流石に友の彼女の水着姿に見惚れるほど節操無しではないつもりだ。
ゆえに、それだけだというのならば何の問題もない。…それだけならば。
ただ今の彰人の傍に居るのは優奈一人ではなく……もう一人の少女が、それも優奈と比較しても全く見劣りしない。
それも彰人にとってはそれ以上の魅力を持っていると断言できるほどの美少女が、誰よりも近くにいるのだ。
「…? 彰人君、どうしたの?」
「あ、あぁいや……な、何でもない」
…突然動揺したような素振りを見せてきた彰人の言動に疑問を抱いたのか、それまで彼の手で支えられていた体勢から離れて真正面から向き直してくる朱音。
そしてそんな彼女は……至極当然のことだが、今までは状況ゆえに意識も出来ていなかったものの他と同じように水着姿でそこに立っている。
朱音が身に纏っている水着は非常にシンプルなものであり、全体的に白で彩られている色合いからは派手さを感じない控えめな印象を受ける。
あしらわれているフリルやレースによって水着にしては出ている肌面積もそこまでではないため、落ち着いた種類のものを選んできたのかとも考えられるが……それはあくまで水着単体での話だ。
この水着を身に着けている朱音を含めて考えてみれば……正直、直視することすら難しいくらいにはとんでもない魅力を放っている。
そもそも前提として、日常生活において朱音は自分から肌を晒すといったことをあまり好んでおらず、服装にしてもせいぜいが半袖の上着を着るくらいのものだ。
そんな彼女が、全身の肌を大きく晒す水着を着ているという状況が目の前に転がっている。
普段とのギャップがありすぎて破壊力が凄まじいことになっているが、少し見えただけでもそのインパクトはよく伝わってきた。
…これは彰人も見るまでよく知らなかったことだが、朱音はどうやら着痩せするタイプだったようでその胸元には予想以上の膨らみがあった。
彼女のスタイルが良いことは知っていたつもりだったが……それは結局のところ、服の上から見たイメージでしかなかったらしい。
見ているだけで邪な欲望が湧き上がってきてしまいそうな彼女の様相。…気合いを入れていなければ、彰人でさえ理性を消失させかねないものである。
「…むふふ~。彰人ったら朱音ちゃんから目を逸らしちゃってどうしたの~? せっかく女の子が水着を着てきてるんだから何か一言くらいは言ってあげたら?」
「……優奈、お前絶対分かって言ってるだろ」
「何の話かなー!」
…だが、彼らをそんな状況に甘んじさせまいとする者がこの場には一人いる。
いつの間にか航生との触れ合いも一段落していたようで、こちらに視線を向けていたもう一人の人物……優奈が彰人めがけて言葉を挟んできていた。
彼女が言いたいことは分かる。
要は、朱音の水着姿を褒めてやれと言っているのだ。
それ自体は何らおかしなことでもないし、これが私服姿なんかであれば彰人も躊躇することなく実行していただろう。
…しかし、今回ばかりはそう簡単に出来ることでもない。
直視することすら湧き上がってくる気恥ずかしさによって難しいというのに、さらにそれを褒めるともなれば難易度は格段に跳ね上がってきてしまう。
こうしているだけでも理性の限界が来てしまいそうな中でそんなことをすれば……どうなってしまうかは彰人自身にさえ不明瞭だったからだ。
…ただし、優奈が言う事にも一理あることは確かだ。
せっかく彼女が明るみにしてきた水着姿。その貴重な瞬間を流されるままに適当な態度で済ませてしまうのは……朱音にも失礼な気がした。
ゆえに、彰人はドクドクとうるさいくらいに鳴り響き続けている心臓を無理やり抑えながら呼吸を整えなおし、未だに不思議そうな顔を向けている彼女へと向き合う。
これを口にしたことで朱音がどう思うかは分からない。
そうだとしても、自分がこう思ったことは……疑いようもない事実なのだから。
「……ふぅ。なぁ、朱音」
「ん、何かな?」
「あー……その、だな。水着なんだけど……よく似合ってると、思う。朱音のイメージとも合ってて可愛いし……凄い良いと思うぞ」
…現状では、これが彰人に出来る精いっぱいだ。
所々言葉に詰まりながらにはなってしまったものの、言ったことは全て真実であるし嘘一つない本音である。
それをぶつけられた朱音はというと……自身に向けられた言葉に対して理解出来なかったのか、キョトンとしたような表情を浮かべていた。
…が、その直後に内容を理解していったのか徐々に顔を赤くしていき、頬に手を当てながら照れたような仕草を見せていった。
「……そ、そうなんだ。そう言ってもらえたなら……これを選んできて良かったかな」
(……っ! 全く、そういう無防備なところを見せるなっての…! …勘違いはするな。これは水着を褒められたから照れてるだけだ!)
本人は意識していないのだろうが、その挙動はさりげなく男の本能に揺さぶりを掛けてくる。
…思わず勘違いしそうになる己の思考を強固な理性で抑えながら、彰人は眼前で嬉しそうな雰囲気を纏っている朱音の動きをつぶさに見守っているのだった。
…可愛いですねぇ。




