第四十五話 見送りと愛らしき写真
彰人が思いがけない形で朱音の手料理を褒めることとなり、それによってお互いが何とも言えない羞恥を味わった後。
それからは何とか気分を持ち直した彰人の方から他愛もない話題を振っていくことでどうにか場の雰囲気も気まずくなる前の状態まで戻すことが出来たので、何とかなったと言えるだろう。
…まぁ、その途中で何度か先ほどの出来事がフラッシュバックしてしまい、彰人と朱音も目線が交わるたびに顔を赤くしかけるというトラブルが頻発したがそれは些細なことである。
過程がどうあれ、突発的に始まった夕食も無事に終えられたのだから問題はない。それでいいのだ。
そして現在、彰人が何をしようとしているかというと………
「…それじゃあ、俺も帰りますね。夕食までご馳走になってしまいましたけど、ありがとうございました」
「お礼なんて良いのよ! …こっちも伝えたかったと思っていたことは伝えられたし、来てくれて良かったわ。またいつでも遊びに来てね!」
「…はい。いずれまた来させてもらいます」
…玄関先にて帰宅の準備である。
彰人がこの家を訪れたのは時間にしてみれば午後四時辺りだったのに対して、夕食に同席していたことに夢中になっている間に気が付けば六時を過ぎてしまっている。
流石にここまでの時間を居座るつもりではなかったため、夕食をご馳走になり終わった今になって帰るための準備を整えていたのだ。
思えば最初はほんの少し外出するだけのつもりで出てきただけだったというのに、振り返ってみれば何やら面白おかしい状況に放り込まれたものだと思う。
それこそ朱音と外出した先で偶然鉢合わせることになるなど考えてもみなかったし、自分でも数奇なシチュエーションに巡り合わせてるのだということは強く実感している。
…それもこれも全ては朱音の自由奔放さに振り回された結果であるため、捉えようによっては彼女の手によって導かれた結果と言えるかもしれない。
張本人としてはそのようなこと全く意図していないだろうが、結果だけを見ればそのような見方も出来るという事だ。
「…じゃ、朱音も今日はありがとうな。せっかくの休みにお邪魔しちまって悪かった」
「ううん。私も楽しかったし……邪魔なんて思ってないから安心して。お母さんも言ってたけど…またいつでも来てね」
「まぁ……それはまたいつかな。とにかく俺も楽しかったよ」
そして彰人が次に話を振ったのはその朱音本人であり、彼女は相も変わらず重そうに下がりかけている瞼をこすりながらではあるがこちらに見送りの言葉を掛けてくれていた。
時間が時間だからか、朱音の内に蓄積された眠気というのも相当に溜まってきているのだろう。
高校生である自分たちが睡眠に入るにはまだまだ早い時間であると言わざるを得ないが……そこは朱音なので仕方がない。彼女の前には就寝時刻なんてあってないようなものである。
それはともかくとして、やはり始まり方が突発的な出会い方だったとしてもこうしていざ帰宅の時間ともなれば少なからず寂しさにも近い感情は湧き上がってくるものだ。
滞在していた時間自体はそれほど長くなかったはずだというのに……それにも関わらずこのような感傷が生まれてくるのはきっと、過ごしていた時間一つ一つの密度が濃かったからだろう。
いつも通りの日常を過ごしていればまず巡り合うことも無いであろうほどにありえない出来事が続いた後であれば、流石の彰人もこの非日常から抜け出すことを物悲しくも思えてきてしまうということだ。
「ならそろそろ時間もいい頃合いですし、俺はこれで……」
「…あっ、そうだわ! 彰人さん、ちょっとだけそこで待っててもらってもいい?」
「…? それはもちろん良いですけど…何か忘れたものでもありましたっけ?」
「ごめんなさいね。すぐに済むことだから」
しかし、いつまでもそんな感慨に耽ってばかりもいられない。
ずるずると滞在時間を引き延ばしていれば今度は自分が帰ることに踏み切れなくなるだけなので、もう本当に帰った方がいい時である。
なのであまり居座ってしまうことが無いように、今度こそ帰ろうと足を進めようとしたところで……鳴海の方から呼び止められてしまった。
その呼び止めてきた用件というのも、何だか要領を得ない曖昧な言葉ではあったものの…ひとまず無視してしまうのも失礼なので、同様に母親の奇行に首を傾げていた朱音と共に待機していればそう時間も経たずに戻ってきた。
「お待たせしちゃったわね。はい、これ。良かったら持って行って!」
「これって……煮物ですか?」
「そうなのよ。実は昨日作りすぎちゃって、後で食べようと思って取っておいたんだけど…せっかくだし彰人さんの家でも食べてみて。少し温めたらすぐに美味しくなるから!」
差し出された両の手に乗せられていたのは、大き目のタッパーに詰められていた煮物…見た目からして筑前煮だろうか?
あまり煮物の品目には明るくないので断言こそ出来ないが、おそらくその辺りの料理が詰め込まれたケースを持ってきてくれたようだった。
どうやらこれは今日作っていたものではなく、また別日に作られた余り物のようだが…先ほどの行動はこのケースを取りに行っていたのか。
…なんにせよ、この予想だにしていなかったおすそ分けはありがたい。
「分かりました、ありがたく頂きます。タッパーもちゃんと洗って返しに来ますから」
「彰人さんも律儀よねぇ……まぁそこは気にしすぎなくてもいいわ。とにかくそれを渡したかっただけだから、気を付けて帰ってね」
「彰人君、またいつかね」
「朱音も寝すぎで風邪引いたりしないようにな。それじゃ、また」
鳴海から嬉しいサプライズを施され、家に帰った後にも楽しみが増えてしまった彰人は笑みを浮かべながら彼女たちに別れを告げる。
もうここにやってくることもそうそうないだろうが……それでも、ここで得た縁は途切れさせたくないと思ったことも、また紛れもない事実だった。
◆
「さて、これもすぐにしまっとかないとな。駄目にしたりなんかしたらもったいなさすぎるし…鳴海さんに合わせる顔がなくなる」
まだまだ蒸し暑さが残る帰路を辿りながら自分の家へと戻ってきた彰人だったが、まず彼が行ったのは汗を流すことでもなく休息を取ることでもなく、向こうで貰った煮物を冷蔵庫に保存しておくことだった。
こうしておかなければ常温で放置などすればすぐに駄目になってしまうし、食べられなくなってしまう。
後日しっかり味わうためにも、真っ先にしておかなければならない注意事項だった。
「……ん? これ…なんか貼ってある…?」
だがいざ冷蔵庫にしまおうとした段階で、彰人は手に持っていたタッパーに妙な違和感があることに気が付く。
それはケースの裏面……ちょうど視界では遮られていたので今の今まで気が付くことも無かったが、手触りからして何か紙のようなものが底面に貼り付けられていた。
「なんだこりゃ…電話番号みたいなものが書いてあるけど、鳴海さん一体何を書いて……あ、そういうことか!」
気になってしまったので一思いに貼られていた紙をはがしてみれば、そこにはよく分からない数字の羅列が記されている。
表記の仕方からして電話番号のようだったが、何故鳴海がこのようなものを残していたのかという疑問が湧き上がり……それは横に書かれていた『よかったら追加しておいてね!』というメッセージによって晴れることとなった。
おそらくこれは鳴海個人の電話番号であり、それを使って彰人が使用している連絡手段のアプリに自分も追加しておけるようにしたのだろう。
…彼女がそんなことをまるで隠すようにしておきながら伝えてきた意図は謎だが、そういうことならば納得は出来る。
彰人としても鳴海とやり取りをすること自体は構わないので、ひとまずタッパーの方をしまい終えるとソファに座って携帯の操作を始めるのだった。
「…これで出来たか。多分アカウントも…合ってるよな」
手元にある紙とにらみ合いながら黙々と作業をこなしていた彰人だが、それもじきに終わりを告げる。
本人から確証を取ったわけでも無いし、これが単なるこちらの勘違いの可能性も捨てきれないので微妙なところだが、見た限りではしっかりと鳴海のものだと思われるアカウントが追加されている……はずだ。
「とりあえず何か送ってみるか。えぇっと……まずは無難にしておこう」
しかしいくらにらみ合っていたところで、これで鳴海本人と直接つながれているかどうかなんてことは分からない。
だったら素直に聞いてしまえばいいだけなので、彰人は確認も兼ねて『彰人です。鳴海さんのアカウントで合ってますかね?』と送ってみた。
すると何故か十秒も経たないうちに既読を知らせる表示が付き、即座に返信は返ってきた。
返されてきたメッセージの内容は『合ってるわよ。何も言わず急に渡しちゃってごめんなさいね』という言葉に続けて『彰人さんには少し送っておきたいものがあったから、こうさせてもらったの』という文言が送られてきていた。
「合ってたなら良かった。…にしても、送っておきたいものってなんだ?」
どうやら彰人の想定は外れていなかったようで、メッセージのテンションなんかを確認してみても先ほど会話を交わしていた鳴海本人とそう変わらない印象を受けるのでホッとした。
…だが、その後に告げられた送っておきたいものということに関しては全く心当たりがない。
こうしてこっそりと連絡手段を確保してきた経緯や口ぶりからして、内容的には秘密裏に伝える必要があったのだろうが果たしてそんなものがあっただろうか。
正直……あまり良い予感はしない。
何せ、鳴海の性格を考えれば普段はまともな言動で落ち着いた母の姿といった雰囲気を纏っているが、こういう時には大抵……突拍子もない行動に出てくるような気がしてならないからだ。
それは彰人も無意識に感じ取っていたのか、思考を巡らせながらも思い当たるものがない伝達事項に首を傾げそうになる。
……されど、次の瞬間。
そんな疑問は…送られてきたものと共に受けた衝撃によって、一気に吹き飛ぶこととなる。
「お、なんか来たな……けどこれって何を………っ!?」
…鳴海側から送られてきたもの。
それは複数枚の写真データであり、何を送ってきたのかと詳細を確認しようとして内訳を開いてみれば…そこには、思いもよらぬ光景が広がっていた。
写真の大半はどれも似たようなものだ。
一人の幼子が楽しそうに公園で遊んでいる様が写されていたり、幼稚園の入園式だと思われる場所で家族と共に並んで撮られた写真があったり……共通していることと言えば、全ての写真にその少女がいることくらい。
…が、その少女の姿がまた愛らしすぎる。
小さな身体で母親に抱かれている様子を切り取った写真なんかは眠たくなってしまったのか子供らしさを全開にしており、写真越しでもこちらの保護欲というものを強く刺激してくる。
それ以外にも色々と写真はあるが……どこか、その少女の面影には既視感もあるのだ。
瞳を半開きにしたまま眠たげなオーラを纏い、それでも見た目から漂う親譲りの魅力と子供らしい愛らしさを伴った天使ではないかと幻視させてくるような美少女。
…まぁ、端的に言ってしまえば朱音の子供時代の写真の数々である。
『可愛いでしょう~! 朱音は今も可愛いけど、この頃も小さくて甘えてくれてたから良かったのよ! せっかくだし彰人さんにも見てもらいたくて送っちゃったわ!』
「……待ってくれ、鳴海さん。まさかこれを送るために連絡先を教えたのか?」
画面の向こうでは鳴海も興奮したようにメッセージを送り続けているようだが、受け取った側としては混乱の最中である。
いきなり同級生の、それも仲の良い女子の子供時代の写真を当人の親から見せられるという状況。
…そこに加えて朱音自身のとんでもない可愛らしさというものをダイレクトに見せつけられてしまったので、本音を口にすればあまりの魅力に理性がやられてしまうところだった。
『どうかしら? この頃の朱音の可愛さも中々のものだと思うのよね!』
「…そこに関しては同意だけどさ。とりあえずこれ以上送りつけるのは止めてもらおう。じゃないとどうにかなるぞ、このままじゃ……」
彼女の幼き時代の姿を見れたというのは、確かに嬉しくないと言えば嘘になる。
…それに伴って勝手に見てしまったがゆえの罪悪感というのも湧きあがってきてしまったが、そこに関しては後日直接本人に謝ることで清算しようと思う。
だが…これ以上過剰供給をされてしまえば、想像以上の威力をはらんでいた数多の写真の暴力に自分が潰されかねないと悟ったため、文面で可愛かったという素直な感想と今以上の提供は不要だと伝えておいた。
そう告げられた鳴海の反応は、顔は見えないというのにどこか残念そうな雰囲気を漂わせていたが……何とか納得もしてもらえたようで、それ以上は普通の雑談を少し交わして終わっていった。
…ちなみに、既に送られてしまった写真の対処だったが、あれだけのインパクトを与えてきた光景の数々が目に焼き付いてしまった彰人が悶々としながらも写真フォルダを閉じるのは……また別の話だ。
この後、彰人はそれらの写真を自分の携帯に保存したとかしなかったとか……。
まぁ、仲の良い女子の幼い写真なんて送られてきたら普通は動揺しますよね。
しかもそれが親経由ならば尚更。




