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常に微睡む彼女は今日も甘えてる  作者: 進道 拓真
第二章

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第四十二話 母の思い


 …最初に彼の話を聞いたのは、いつ頃だっただろうか。


「朱音。そこのお野菜取ってくれる? あと、出来たらで良いから卵も割っておいてくれるかしら?」

「はーい、お母さん。…ちょっとだけ眠いけど、それくらいなら普通に出来るよ」


 今、私──間宮鳴海の目の前で健気にも調理の手伝いをしてくれている娘の朱音を眺めながら、自分はそんなことを頭の中で考えていた。

 相変わらず眠そうな表情とそれに伴って鈍ってきてしまう身体の挙動にはもう見慣れたものだが、今更それをどうこう思うことも無い。


 以前はそこに関して悩んでいたこともあったが、そこも含めてこの子の個性なのだと認められればむしろ可愛い娘だという認識が強くなっていくくらいなのだから。


「それにしても、本当に今日は驚いたわね。まさか朱音から聞いてた彰人さんが来てくれるなんて思っても無かったわ」

「…う、うん。そうだね」


 だがそんな中にあっても話題に出てくるのは、つい先ほどまで私が言葉を交わしていた相手でもあり今現在はリビングにて待機している一人の少年──朱音のクラスメイトにして友人でもある彰人さんのこと。

 前々から彼に関する話だけは朱音経由で耳にしていたものの、こうして実際に対面してみるとその印象はまるで違ったものとなっていた。


 予想していたよりもかなり……いや、ずっと良い子だと思わせてくる言動の数々からは心の底から朱音のことを思ってくれていることが伝わってくるし、そんな彼だからこそ任せるには足ると思ったのだ。


 …そう。今日偶然の邂逅をする前から朱音を通して話は聞いていたが、そもそもその段階から彰人さんには申し訳ないが本当にそのような男の子がいるのかと疑ってしまっていた部分も実を言うとあったのだ。

 何せうちの娘は……親である私が言うのもどうかとは思うが、人付き合いをするにはかなり難しい特徴を数多く持っている。


 朱音が幼い頃から抱えている強い睡眠欲求に関する体質。

 それによって日常生活の大半を眠りながら過ごすようになったこの子の生活サイクル。


 どれか一つあっても普通の子とはかけ離れた特徴でしょうに、よりにもよってそれを複数持っているというのだから過去にはそれはそれは悩んだものだ。

 …まぁ、当の本人がまるで気にしていないのだから無駄なことでしかなかったのだけれど、それでも心配してしまうのが親という存在だ。


 幸い周りの子から虐められたり、露骨に仲間外れにされたりというようなことは無かったけれど……それと同時に、朱音が親密な友人を作ってこれなかったということも事実。

 それは高校生になる今に至るまで変わらなかったことであり、これからもこの子が親しい友人を作ることは難しいだろう……そう思っていた。


 だからこそ、()()()は本当に驚かされた。


『…お母さん。今日クラスの男の子に起こしてもらったんだけど……お礼には何をあげたらいいかな?』


 何気なく伝えられた一言。立場が違えば特段おかしな点は何一つとしてない。

 …だけど、その時の私は表面では平静を装いつつも内心では驚きを隠しきれなかった。


 朱音と同じクラスに、この子と対等に接してくれる子がいたのだという事。

 その男の子というのが、朱音に対しても他の誰とも変わらない様子で朱音と友人になってくれたのだという事。


 話だけでは信じ切れない部分もあったけれど……それも今日、実際に会ってみたことで確信した。

 今まで耳にしていたこと全て。朱音から聞いていたやり取り全ては彰人さんだったからこそ成り立っていたのだと。

 心の底から朱音を気の許せる友人として意識し、誰に言われたからでもなく自分がそうしたいからこうしているのだと断言してくれた彼の顔には、一片の嘘だって混じっていなかった。


 …そんなことを言われてしまえばもう認めざるを得ない。

 私個人としても彰人さんのことはとても気に入ったし、きっとそれは朱音だって同様…いえ、あの子の場合は少し違うかもしれないわね。

 まだその自覚はないようだけれど……ともかく、好意的に思っていることは間違いないでしょう。


 少し気が早いかもしれないけど、私は彰人さんにうちの()()()()()になってほしいと思っている。

 …話が飛躍しすぎているって? それはもちろん分かっているわ。


 だけどこういうのは早めにしておかないと、うかうかしていると他の子に取られてしまうことも往々にしてあること。用心しておくに越したことは無い。

 …あ、でも当然だけど当人の気持ちが最優先であることは変わりないわ。そこだけは強制しては駄目。


 まぁ……そこもあまり心配はしていないのだけれど。

 傍から見ていても彰人さんが朱音のことを異性としても認識していることは明らかだし、それは本人の口からも確認している。

 きっと彰人さん自身はそれを女友達に向ける親愛の情だと思っているのだろうけれど…いずれその心情にも変化はあるだろう。


 何せ、朱音は親の贔屓目抜きに見ても相当に可愛らしい。

 周囲と比較しても埋もれるどころか、さらにその魅力が際立つほどに愛らしさを振りまくこの子の様子を見ていればおそらくそう遠くない内に二人の考えも変わってくるはずだ。


 私はその時を、ただ待っていればいい。

 …あぁだけど、少し聞いておかなければいけないことも残っていたわね。


「…ねぇ朱音。さっきから彰人さんと話すと何だかぎこちなくなっていたけど…何かあったのかしら?」

「っ! …な、何かあったってわけでも無いんだけど…」


 変わらず調理を進める手は止めることも無く、私は隣で同じように作業を進めている朱音に声を掛ける。

 …すると、呼びかけられた朱音はというとどこかその話題を振られた途端に動揺したような素振りを見せる。


 珍しく大きく感情を露わにしている我が子の様子も見ていて飽きないが……それよりも今は何故朱音が恥ずかしがるような素振りを見せているのかをはっきりさせることの方が先決だ。

 …まぁ、その原因にも大まかな見当はついているのだけれど。


「ふふっ、誤魔化さなくてもいいのよ。…聞いてたんでしょう? さっきの話」

「………うん」


 こちらが確信を持ってそう問いかければ、朱音は少し逡巡するように目を泳がせていたけれど……すぐに観念したのか、素直に肯定してきた。

 やっぱりね。そうだろうとは思っていたけど…実際に聞いてみれば尚更恥ずかしくなってしまったのか、顔を伏せる朱音の姿を見つつ私は自分の予想が正しかったことを確信した。


 …あの時。私と彰人さんが話していた最中のこと。

 彼は背後に扉が位置していたから気が付いていなかったようだけど……そこで開かれていたわずかな()()を、そしてそこから覗いて見えた黒髪を、私は見逃さなかった。


 あんな場所に待機しながら、なおかつ私たち以外にこの家に居るのは朱音以外にあり得ない。

 おそらく朱音も私たちが話している途中でリビングに戻ってきたんでしょうけど……こっちが話していた内容を耳にして入ってくるのには躊躇しちゃったってところかしらね。


「…勝手に聞いちゃって、彰人君怒ってないかな? あんなに心配させちゃったし…」

「大丈夫よ。彰人さんはそんなことを気にするような男の子じゃないって分かってるんでしょう?」

「それは、そうだけど……」

「それよりもほら、朱音はあの話を聞いてどう思ったの? どうせ聞いちゃったのなら少しでもポジティブに考えた方が楽になるわよ」


 しかしどうやら、朱音はこちら側の話に聞き耳を立てるような真似をしたことを気にしてしまっているようだ。

 …素直な性格を考えればそう思ってしまうのも仕方ないのかもしれないけど、聞いてしまったのならその事実を変えることは出来ないのだからいっそのこと開き直った方が楽になれることもある。

 少なくとも私はそう考えているからこそ、朱音にもそうやって考えてみた方がいいと伝えてみれば……その意見には賛同してもらえたようだった。


「……よく分からない、かな。もちろん嬉しいとは思ったけど…それ以外にも、何だか胸が温かくなったみたいな…」

「なるほどね~。となると朱音は、彰人さんのことを嫌いだとは思ってないのよね?」

「それは無いよ。…だけど、彰人君のことを見てるとムズムズするというか……」


 きっと朱音は気が付いていないのだろうが、頬を微かに紅潮させている様子からこの子が彼に対して特別な感情を抱いていることはほぼ間違いない。

 どうやらその自覚はないようだけれど……それも些細な問題ね。


 時間からして多分朱音が聞いていたのは彼がこの子に対して抱いている印象を話していた辺りだろうし、自覚していようと無自覚だろうと身近な男の子からあんなことを言われてしまえば意識してしまうのは無理もない。

 …欲を言えば、もう少し自覚が芽生えて積極的になってくれたら嬉しいのだけれど……そこまで過干渉するのは少し違うし、私はこのまま見守るとしましょうか。




 そういえば……このことをお父さんに伝えるべきかしら?

 状況を考慮すれば、伝えた方が良いんでしょうけど………いえ、やっぱりやめておきましょうか。

 だってそっちの方が絶対に面白……こほん、良いことになるでしょうからね!


さぁ、面白くなってまいりました。


…ただ、意図的に除け者にされた朱音の父親が少し不憫でもある。

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