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常に微睡む彼女は今日も甘えてる  作者: 進道 拓真
第二章

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第三十八話 柔らかな母親


「ところでさ、朱音の家ってこっちの方向で合ってるんだよな? …それと今更だけど、朱音的には俺に家の場所を知られるのとか嫌じゃないのか?」

「んー…? 別に嫌でも何でもないよ。そりゃあ他の人ならちょっと困っちゃうけど……彰人君だったら他の人に勝手に教えたりなんてしないでしょ?」

「流石にそんなことはしないけどさ…男相手に知られること自体が嫌ってやつもいるだろ」


 朱音を背負いながら先ほどまで会話を交わしていた広場を離れた道すがら。

 何とか人の大群から発せられる視線の数々を切り抜けてここまでやってくることが出来たが、その道中で彰人に背負われている朱音に問いを投げかけてみた。


 あの時は場の雰囲気もあって流されるままに受け入れてしまったものの、冷静に考えてみれば女子にとって異性に自宅の所在地を把握されるのはあまり好ましいことではないのではないかとも思ってしまったのだ。

 もしそうだとすれば、彼女の方から頼まれたこととはいえこの現状は正しいことでもないかもしれない。


 そう思って質問してみたのだが、向こうの返答はそんな予想に反して気にも留めていないとでも言わんばかりのものだった。


「あと道に関しても…ここからは真っすぐ進むだけだから問題ないよ。歩いていけば……ふわぁ。家も、見えてくるはずだから……」

「そうか…かなり眠そうだけど家まで持つか?」

「少し難しいかもしれないかな……申し訳ないけど、ちょっとだけ寝ても良いかな…?」

「…まぁ、ナビもこれ以上は必要なさそうだし構わないぞ。朱音の家が見えてきたら起こせばいいよな?」

「おねがーい……」


 するとそうこうしている間にも、次第に背中から聞こえてくる声にも覇気が抜け落ちていく。

 よほど眠気が溜まってきてしまったのか、それとも彰人の背にいることで心が落ち着いたのか……その辺りの境界線は定かではないが何となくの雰囲気で様子は伝わってきた。


 …彰人の目からでは確認こそ出来ないが、とろんと重さを増していく朱音の瞳は何よりも雄弁に彼女の状態を指し示している。

 だがそれも徐々に静かな空気を確固としたものとしていき……気づいた時には、彰人の背後から心地よい寝息が耳に入ってくるのだった。


(…もう寝入ったのか。よほど眠気が溜まってたのか……まぁ、助けになれたのなら何でもいいか。それよりもあまり揺らさないようにしとかないとな)


 すうすうと聞こえてくる微かな呼吸。

 朱音がいつものように眠りに入った合図でもあるが、こうなったら彰人がすることは彼女の睡眠の妨げにならぬように配慮するだけだ。


 これまでもなるべく揺さぶらないようにと意識はしてきたが、ここからはより一層その注意が必要となってくるだろう。

 そう考えて、彰人は相変わらず大した重みも感じさせてこない朱音の身体を背負って歩き出していく。


(にしても……何だか朱音を背負ってるからか、さっきから心なしか甘い香りがしてるんだが…って何考えてんだ、俺は! 女子の匂いに反応するとか変態じゃねぇか!)


 しかし、一人で黙々と歩いているとそれまではさして気にしていなかったことにまで意識が向けられてしまう。

 それも平時であれば問題も無かったのだろうが……あいにく今ばかりは気にかかる情報が多すぎた。


 …特にほとんど密着しているような体勢となっている朱音から、ふわりと漂ってくるような甘い匂いにはふとした拍子に鋭敏な鼻が嗅ぎ分けてしまっている始末だった。

 あまりにも低俗すぎる自分の無意識下での行動に嫌気が差してきそうになるが、朱音のことを思えば自らの身体の匂いを嗅がれるだなんてことは決して歓迎すべきことではないはずだ。


 なので彰人も、背後から漂ってくる甘さを兼ね備えたような蠱惑的な香りは気にしないように努めようとするが……人というのは不思議なものだ。

 頭の中では意識しないように、気にしないようにと考えているというのに、そう思えば思うほどに身体の方は率先して朱音の香りを感知してしまっている。


(……早く行こう。でないとこっちの方がおかしくなりそうだ…)


 まさかの方向から襲い掛かってきた誘惑だったが、このまま立ち止まったところで状況が悪化していくだけなので頭を横に振り払うことで煩悩を退散させておく。

 …気休めでしかないとは思うがしないよりは遥かにマシだと思ったので、彰人は再度息を吸い直して意識を切り替えると、足を進めていくのだった。




     ◆




「ん? …もしかして、ここか? 表札は…合ってるな」


 朱音が背に乗りながら眠りに入ってから少し歩いてきたところで、彰人は住宅街と呼べるような場所までやってきていた。

 先ほどまでは多少なりとも道を歩く際に人とすれ違うこともあったが、ここまで来るとそれも目に見えて減ってきている。


 閑静な住宅街であり、どこか放たれる雰囲気は上品な空気が漂っているように感じられるこの地では、彰人も慣れない雰囲気ゆえに気後れしてしまいそうだった。

 最初は本当にこの辺りに朱音の自宅があるのだろうかと疑問に思わないでもなかったのだが……そんな疑惑はすぐに晴らされることとなる。


 数多く佇んでいる家の一つ。周囲に溶け込むようにしてそこにあった二階建ての()()()は、その見かけに反して異様な気配を感じさせてきた。

 …存在感があるとでも言うのだろうか? 様相は他と比べても何も遜色が無いというのに、言葉だけでは言い表しきれないような何かがあると思わせてきてならない。


 どうあっても人目を引かせるような、そんな意識を強制的に向かせられる家が視界に入ってきたので念のためにと表札を確認してみる。

 するとそこには……紛れもなく、誤魔化しようもない『間宮』の二文字が刻まれていたのだった。


「…多分、ここで間違いないだろうけど一応確認だけしておくか。…おい朱音、家に着いたと思うから合ってるかどうかだけ見てくれ」

「むぅ…? あと五分だけ寝かせてぇ……」

「そういうわけにもいかないんだよ。…まずいな、朱音に見てもらわないとここが本当にこいつの家かどうかも分からないぞ……」


 それらしき建物を発見し、表札にも朱音の苗字を示す文字が刻まれていることからここが彼女の家である可能性は極めて高い。

 ここまで証拠が揃ってしまえば特に朱音本人から確認を取らずとも、問題は無いようにも思えるが……念には念を入れておきたいというのが彰人の性格でもある。


 万が一、これで勘違いをしたまま朱音をこの場に置いていったとして彼女の家がここではなかったら……そう思うと気安く離れることも出来ない。

 実際朱音も意識は起きているがかなり寝ぼけてしまっているようだし、こんな状態で降ろしたりすればふらついた足元につまずいて転ぶのが関の山だろう。


(…まぁ、取れる選択肢が無いわけではないんだけど……ここまで来たんだしな。最後まで責任は持つか)


 だが、そんな中であっても打てる手が尽きてしまったわけではない。

 朱音の受け答えがはっきりしていないとしても、確実な証拠がなくとも確認出来る方法自体は残されているのだ。


 あとはそれを使うことに対する彰人の決断次第なのだが……それも問題はない。

 もとより朱音の申し出を了承した段階で最後まで付き合うと決めていたのだから、それが少し先延ばしになっただけでしかないのだ。

 そう思えば揺らぎかけていた考えも再び固まっていき、彰人は朱音を支えていた手の一方を伸ばして……眼前の家のインターホンを押し込んだ。


『…は~い? どちら様ですかぁ?』

「あっ、突然すみません。俺、じゃなくて…自分は黒峰彰人って言うんですが……」


 彰人が考えていた現状の打開策にして、最もシンプルかつ単純な解決案。

 それは今の彼の行動を見れば明らかだが、朱音の家かどうかを確認したいのなら直接ここにいる者に聞いてしまえばいいのだ。

 これならば朱音が起きていようがいまいが関係ないし、彰人も湧きあがった不安を解消できる。


 そう判断して目の前の家のインターホンを押したのだが……少しすれば機械の向こう側から少し間延びしたような口調と、やけに穏やかな声色が響いてきた。


「少しお聞きしたいことがありまして…そちらに間宮朱音さんという娘さんはいらっしゃいますか?」

『…? はい、確かに朱音はうちの娘ですが……何かご用事でもありましたか? あいにく朱音は今出かけてしまっているので、うちにはいないんですがぁ……』


(おっ、どうやらビンゴみたいだな。…これで一安心って感じか)


 応答しながら彰人は頭の中で、ここが朱音の家で間違っていなかったことを確認すると安堵の息を吐いた。

 向こうは彰人が誰なのか分かっていないため、そんな人物が娘のことを尋ねてきたという状況に戸惑っているといった感じだが……それはこれから説明してしまえばいい。

 何はともあれ、これでこちら側の役目も終わりなのであとは彰人も自宅に戻るだけとなることだろう。


「ああいえ、朱音さんに用があるというわけではなくてですね……自分は朱音さんのクラスメイトなんですが……えぇと、何て言ったらいいのか……」

『クラスメイト……あぁ! もしかして朱音のご友人の彰人さんかしら!』

「え? あっ、はい。そうですが…」

『だったら少々お待ちください! 今出ますから!』

「わ、分かりました…」


 しかし彰人の立場を説明しようとしたところで、どのように言ったものかと少し言葉に詰まってしまった。

 素直に朱音のクラスメイトであるという事まで伝えたはいいものの、そこから先の状況……特に彰人が彼女を背負っているということまでは、口にしたところで理解されるとは思えない。

 経緯が経緯なのでそれも当然かもしれないが、親からすれば見知らぬ人物がいきなり子供を連れてきたという場合によっては通報すらされかねない案件である。


 ゆえに、まずはこの特殊なシチュエーションを表すためにちょうどいい言葉を模索していたのだが……それを見つけるよりも早く、向こうからアクションがあった。

 自身が朱音の同級生であるという身元を明かした途端、何かに思い至ったとでも言わんばかりに明るい声を発してここで待機するようにと告げられる。

 …あまりにも突発的な変容だったためリアクションが一瞬遅れてしまったし、何故彰人のことを知っているような口ぶりなのかという疑問も湧き上がってくるがそれは一旦忘れておこう。


 どの道これが済んでしまえばあとは帰宅するだけなのだから、事がスムーズに運ぶのであれば何の問題もない。

 そう考えて彰人は言われた通りに玄関先にて待機していると……少しして閉ざされていた扉からガチャガチャという音が鳴り響き、ゆっくりと開かれていった。


「あらあら、いらっしゃいませ~。彰人さん…で良いのかしらね? 本日はどのような用件でいらっしゃったのかしら」

「…あ、いきなり申し訳ないです。実は自分が出かけている時にお宅の朱音さんと偶然会ったんですが……見ての通り途中で眠くなってしまったようなので、ここまで運んできたんです」

「まあまあ。朱音ったらお友達にご迷惑を掛けたりして……眠いのならお母さんを呼んでちょうだいっていつも言っているでしょう?」

「んん……あれ…? 何でお母さんがここにいるのぉ…?」


 家のドアを開けて出てきたのは、これまた表現が難しいがとてつもない美人だと言える女性だった。

 緩くウェーブのかかった黒髪のストレートヘアを揺らしながら、全身からおっとりとした雰囲気を全力で放っているこの人からは……どことなく朱音に似た面影を感じたので、ほぼ間違いなく彼女の母親か血縁だろう。


 …それと、あまり大きな声で言えることでもないがこれも朱音の血筋を思わせてくるというべきか……目の前の女性のプロポーションもまた凄まじいものだった。

 美人という括りであれば彰人も普段からバイト先などで佳奈などを見ているので、慣れているものだとばかり認識していたが……彼女のそれは彼が知る限り屈指の美人である佳奈すらも凌駕していると言えてしまうだろう。


 豊満という言葉を文字通り体現しており、穏やかな雰囲気とも相まってまさか聖母なのではないかなんて馬鹿なことまで考えてしまったが、流石に初対面の相手に対してそのような視線をぶつけるのは失礼なんてものではない。

 なので彰人も即座に意識を切り替え、己の背に乗っている朱音を向こうに引き渡すために言葉を重ねていく。


「ほら朱音。家まで着いたから流石にそろそろ降りてくれ」

「ふぁい……分かったぁ…」

「もう、この子ったら……ごめんなさいね、彰人さん。ご迷惑をおかけしてしまったわ」

「迷惑なんて思ってないですから大丈夫ですよ。…っと、足元には気を付けろよ?」


 朱音の母親として自分の娘が友人に迷惑をかけてしまったことはやはり気になることなのだろう。

 心の底から申し訳ないと思っていることが一目で分かるほどに心情が込められた謝罪を送られてしまったが、彰人からすればそのようなことを言われる必要もないのだ。


 こればかりは彰人も自分がやりたくてやっていることだし、そもそも本当に迷惑だと思っているのならあの場で朱音に声など掛けてはいなかった。

 今ものそのそと背中から降りようとしている彼女のことを少なくとも好ましく思っているからこそ受け入れたのだし、そうでないのならはなから断っていただけである。


「本当にありがとうございます。彰人さんがいなかったらどうなってたことかしら……」

「いえいえ、自分としても放っておけなかっただけのことですから。…じゃあこっちもお役御免ですので、これで失礼して……」

「…あっ、彰人さん。いきなりで申し訳ないのだけれど、良かったらこれから少しだけ時間を頂くことは出来るかしら?」

「え。…まぁ時間はあるので大丈夫ですが……」


 果たすべき役目は終わり、これで一段落もした。

 これ以上ここに居ても自分は邪魔者になってしまうだけなので、軽い挨拶を終えると早々に立ち去ろうとするが……そんな彰人の空気を察したのか、向こうから唐突に引き留められることとなる。


 …てっきり彰人がするべきことはもう全て終えたと思っていたので呆気に取られてしまうが、まだ何か用事が残っていただろうか?

 こちらが思いつく限りではそのようなことは一切思い当たらないので、問われた時間に関しては問題もないとだけ解答したが……その次に放たれた言葉は、彰人をさらに呆気に取らせるに足るものだった。


「そう! だったらちょうどいいわね。せっかくだから今のお礼も兼ねて、うちに寄って行きませんか?」

「………ん?」


 意外なんてものでもない、斜め上すぎる提案。

 両手を合わせて楽しそうな笑みを浮かべられながら提言された内容は……まさかの、朱音の自宅訪問だった。


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