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常に微睡む彼女は今日も甘えてる  作者: 進道 拓真
第一章

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第二十九話 約束の受け渡し


 朱音から来て欲しいと言われた教室はさほど遠い場所にあるわけでも無い。

 足早に進んでしまえばすぐに着くくらいには近いので、それほど時間をかけずに到着することが出来た。


 周囲の廊下を見渡してみるも、思っていたより人影は確認できない。

 おそらく今がテスト返却の時間ということもあって各自の教室に留まっている生徒が多いという事が理由なのだろうが……今の彰人からすれば都合が良い。


 人が少ないということはそれだけここで起きることが人目に付きずらいということの証明でもあるのだから、余計な心配をする必要もないということだ。


「…よしっ。そんじゃ入るか」


 そして、目的の教室の目の前に立っていた彰人だったがこの先のことを考えると柄にもなく緊張感が高まってくることを肌で感じ取っていた。

 なのでそれを吐き出すという意味でも軽く呼吸を整えなおし、意を決して扉を開け放っていけば……見慣れた彼女の姿がそこにはあった。


「悪い朱音。待たせちゃったか」

「あ、彰人君。ううん、誘ったのはこっちだから気にしなくていいよ。それよりも来てくれてありがとうね」


 少し埃っぽさを感じる教室の中心。

 今はほとんど使われていない部屋なので机や椅子なんかは空間の隅に寄せて置かれており、普段は物置き場としても活用されている教室なのだが……その中央に位置する場所に朱音は鞄を片手に携えながら佇んでいた。


 彼女はいつもと大して変わらない、眠たげな空気を纏いながらそこに立っているが……何せ場所が場所だ。

 騒がしさに満ちた学校とは最もかけ離れた静寂に包まれたこの空間に、一人立ち尽くしている朱音の姿はどこか幻想的な儚さすら放っているようで、不覚にもその雰囲気には目を奪われかけてしまった。


「最初は教室でもいいかなと思ったんだけど……あそこだとちょっと恥ずかしかったからね。ここまで来てもらったんだけど大丈夫だったかな?」

「問題ない。ところでさ、俺が呼ばれたのは…()()()で間違いないと思ってもいいのか?」

「ふふっ、やっぱり彰人君からしたらそこが気になるよね。安心していいよ。ちゃんとそれに関することだから」


 それでも朱音と交わす話はいつもの日常会話とさして変わらない。

 小さく微笑みを浮かべながら話してくる彼女との語らいは、もう当たり前の日課とすら言えるほどに慣れ親しんだもので……不思議とそうしているだけで心は温かくなっていくようだった。


 しかし、こと今日に限ってはそんな日常風景にも一つの相違点が見られる。

 わざわざこんな場所まで彰人が呼び出された理由。こちらからそれは以前に言われていたことに関わるものかと尋ねてみれば、実にあっさりと肯定の意思を示された。


 …そう。優奈には朱音に呼び出されるような用件など心当たりがないと言ってしまったが、実のところ彰人にはばっちりとそれに当てはまるような事柄について思い当たることが存在していた。

 だが本人からそうだと聞かされるまでは本当にこの予想が当たっているかの判別も付けられなかったため、あの教室では知らないと言ってきてしまったが……この様子だと彼の想定は外れていなかったようだ。


「まぁなんにせよ、テストお疲れ様。優奈から連絡が来てたけど彰人君の点数が凄い良かったんだってね」

「あれはあいつが大げさに言ってるだけだ。もっと上を見れば俺よりも凄い奴なんて山ほどいるし……それに、朱音なんてその筆頭だろ?」

「おっと、バレちゃったね」


 用件に入る前に軽く雑談でもした方が気楽なテンションにでもなれると思ったのか、まず朱音の方から語られたのは試験を終えての労いの言葉だった。

 確かに会話の導入としては自然な流れだ。

 自然なのだが……まさか既に朱音にまで彰人の点数が知れ渡っているとは思ってもいなかった。


 おそらく情報を漏らしたのは優奈あたりだろう。

 ここに来るまでに彼のテスト結果を知っていたのは航生と彼女の二人以外にありえないし、それ以外の者に見られていたところで朱音へと辿り着くための連絡手段を持っているのはあの辺りだけだ。


 …軽々しく他人のプライバシーを漏らすなと優奈に今度厳密に言い聞かせておかなければならなくなってしまったが、それは後回しにしておこう。


「そりゃバレる……というか何となく察しは付いてたよ。前にも朱音は勉強が得意だって聞いてたしな。…で、実際のところ何点くらいだったんだ?」

「ふっふっふ……今回は結構調子が良かったみたいなんだ。自慢じゃないけど全教科九十点を超えてたんだよね」

「……いや、マジかよ。驚きすぎて一瞬言葉を忘れたぞ」

「自分でも返ってきた時は驚いたよ。多分歴代最高得点だったね」


 心なしか朱音も珍しくドヤ顔を浮かべながら胸を張っていたが、そうして誇れるくらいには彼女の口から教えらえた点数というものは凄まじかった。

 先ほどは航生たちのリアクションを見ても何故そこまで驚いているのか一向に分からないという姿勢を貫いていた彰人だったが……そんな彼をもってしても朱音の成績の良さには度肝を抜かされた。


 それは朱音が誇らしげにしているのも納得というものだ。

 そこまでの得点を叩き出してしまえば後に発表される試験の学年順位でも上位は間違いないだろうし、場合によってはトップに立つことすら夢ではない。


 一人の友人として、彼女の実力がそれほどまでに見上げたものだったことは素直に喜ばしいことだ。


「また凄まじいものだな……俺も今回はかなり自信あったけど、朱音には遠く及ばないって感じだよ」

「まぁこういうのは人それぞれなんだし、彰人君にとって良い結果だったならそれでもいいんじゃないかな? 要は捉えようだよ」

「うーむ……そうかもな。少なくとも点数が低すぎたってことは無かったんだし、それで納得しておくよ」


 世の中上には上がいるだなんて言葉があったりもするが、今のこの状況はまさしくそれを体現していると言えるだろう。

 彰人も客観的に見れば十二分に優秀な数字を獲得しているのだが、朱音のそれと比べてしまえばどうしても過小な印象になってしまう。

 …これを心の隅では悔しいと思ってしまうのは、彰人の生来の負けず嫌いが表出してきたからなのだろうか。


「…っと、そんなことばかり話してるわけにもいかなかったね。彰人君も気になってるだろうしそろそろ用件の方に入ってもいいかな?」

「ん? ああ、そっちが良いなら頼むよ」

「了解だよ。えーとそれじゃあ……はい、これ!」


 しかしそこまで話した辺りで朱音の側が話題の軌道修正を施し、いよいよ呼び出された本題について触れるらしい。

 彰人にしてもやっとか、という思いと少し緊張してくるような入り乱れた複雑な感情が用件に触れるとなれば高まってきてしまう。


 内容を考えればそこまで大層なことはしてもいないのだが……相手が朱音だからだろう。

 既に彰人の認識としても、単なるクラスメイトではなく心を許せる友人として接している彼女を前にしてしまえばたとえどれだけ些細なことであっても感情を搔き乱されてしまう。

 数えきれないほどの魅力に溢れた美少女としてのポテンシャルもそこに加算されているからこそ、朱音という少女の無邪気さには到底太刀打ちなど出来ないのだろう。


 …そんなことを考えながら彼女の挙動を見守っていれば、朱音はその手に持っていた鞄からごそごそと何かを取り出すように漁りだし……一つの綺麗に包装がされた大きな袋を取り出した。


「この中に前にも言ってたクッキーが入ってるから、よかったら食べてね。あとそれだけじゃ物足りなかったかもしれないからついでにマドレーヌとか小さめのシフォンケーキとかも作ってみたんだけど、苦手なものとかあったりしなかったかな?」

「そんなに作ってくれたのか!? …いや、苦手なものは特にないからそこは大丈夫だけど……作るのも大変だったろうに…」


 朱音から手渡された大きな袋。

 これはあの勉強会の際に約束を交わしていた、テスト勉強のご褒美として朱音が彰人に菓子を振る舞うという取り決めのものであり、朱音が彼をここに呼んだのもこれを渡すためというのが主な理由だ。


 …しかし聞いたところによれば、何と朱音は前に言っていたクッキーだけでなくそれ以外にも様々な種類の菓子をわざわざ用意してくれたらしい。

 そこまでせずとも、ただ彼女から何かをもらえるというだけでも彰人には十分すぎたというのに、これでは貰いすぎというものだ。


「全然大変なんかじゃなかったから気にしないで。私も久しぶりに本格的なお菓子作りが出来て楽しかったし……それに何より、彰人君が私の作ったもので喜んでくれるならそれが一番嬉しいからね」

「っ! …分かった。そういうことならありがたく貰うけど……この礼はまたしっかり返すよ」

「……これ、一応テスト勉強のご褒美に渡したものだからお礼なんて良いんだよ? というかそれでお返しを貰っちゃったら私の方が得をすることになるんだけど…」

「いやいや、確かに名目上はそうかもしれないけど流石にこれを一方的に貰うだけってのは申し訳なさすぎる。だからその分の礼をさせてもらうってだけだよ」

「…うーん。こうなったら彰人君って意地でも聞かないからなぁ……じゃあその辺りはそっちにお任せしちゃうけど、私の方は恩の押し売りなんてしたつもりは無いからそれだけは覚えておいてね?」

「……ああ。ありがとうな」


 ふっと笑いかけながら話してくる朱音の表情からは、菓子を受け取って戸惑いつつも喜んでいる彰人を見て心から楽しんでいるような感情が嗅ぎ取れる。

 自分のしたことで彰人が気を遣ってしまうだろうことも読まれていたのか、上手い落としどころを提案して受け入れてくれたことには感謝しかない。


 …どこまでも優しく、それでいて自然体でいられる朱音との会話。

 互いに互いのことを考えながら話す二人の間には、他者の介在する余地もない彼らだけの世界が広がっているのだった。


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