第二十六話 気合いの入りよう
朱音が彰人の手伝いをし始めてから数分後。
元々作業量としてはそれほど多くなかったことと大体のものは既に彰人一人で整理し終えてしまっていたので、さほど時間をかけずに片付け自体は終わろうとしていた。
「よいしょっと……彰人君。これはこっちに置いておいてもいいかな?」
「あぁ、空いてるスペースなら好きに使ってくれたらいいぞ」
「了解だよ。じゃあここに…ふぅ。一通り終わったね」
それまで黙々と作業をこなしてくれていた朱音も辺りを見渡して片付けるべきものがなくなったことに気が付いたのか、軽く息を吐きながら立ち上がって嬉しそうな空気を纏っていた。
「手伝ってくれてありがとな。おかげでかなり早く片付けが済んだよ」
「私はそんなに大したことは出来てないよ。そもそも手伝う前からほとんどやることなんて無かったようなものだったし……彰人君の方がお疲れ様だよ」
「まぁそうだとしても、やっぱ手伝ってもらった以上は朱音にも礼を言っておくのが筋だからな。素直に受け取っておいてくれ」
「…分かった。じゃあお互いに頑張ったってことだね」
朱音が手を貸してくれるまでは一人で片付けていたので少し時間がかかってしまっていたが、彼女が来てくれてからは彰人の作業効率も飛躍的に向上していった。
あのまま自分だけで進めていればここまで早くは終わらせられなかったので、その感謝の意味も込めて礼の言葉を送れば朱音は謙遜したように首を横に振っている。
確かに彼女の立場からしてみれば、既に向こうが手を付ける前から彰人がかなり作業を進めてしまっていたので自分がしたことはそこまでのことではないと思っているのだろう。
その考え方には納得も出来るし、もし仮に彰人が逆の立場だったとしても同じことを考えただろうというのは容易に想像がつくが……だからこそ感謝の意思は明確にしておきたい。
朱音からしてみれば大層なことをしていないと思われていたとしても、彰人が彼女の手助けによって手間を減らせたということは紛れもない事実なのだから。
そう説明してやれば朱音を納得させることが出来たのか、彼女も彼女で微笑みを返しながらおあいこだという事で決着がついていた。
「それにしても……片付けながら思ってたけど、彰人君のお家ってお料理の道具がいっぱい揃えられてるよね。それもすっごく綺麗な状態で」
「ん、そうか? …あー、それはアレだな。俺は全く料理しないから調理器具とか使わないんだけど……母さんが料理好きだから色々と置かれてるんだよ」
「彰人君のお母さんが?」
「ああ。普段は家に居ないから使われる機会も少ないけど、たまに帰ってきた時には楽しそうに料理作ってくるからさ。その時のためのものだな」
彰人としても長時間動いていたことで身体が少し凝ってしまっていたようだ。
なので一休みがてら全身を伸ばし、凝り固まった筋肉をほぐしていれば朱音の方から何気ない言葉が飛んできた。
彼女が言うことはおそらく片付けの段階で目に付いていたキッチンに取り揃えられていた調理器具の数々の事だろう。
…実際、ここに住んでいる彰人から見ても並べられている鍋や包丁、さらには調味料一つとっても種類が豊富だと感じられるし、部外者である朱音からすれば尚更なのだろう。
もちろんこれらは彰人が使っているわけではない。
…一応母親からも『使いたいなら使っていいわよ? むしろあたしだけじゃ使いきれないから彰人が消費してくれるなら助かるわね』というお墨付きを頂いているが、そこら辺は丁重に断っておいた。
自分が料理に手を伸ばしたところで飲食不可能の物体が生み出されるだけだし、彰人には積極的に食料を廃棄物に変えるような趣味嗜好だってない。
母親から料理の許可をもらえたこと自体は嬉しかったが……そういうことはその方面が得意な者に任せるのが一番だとも思う。
少なくとも彰人は、自分から手を出そうとは思えなかった。
「へぇ……私もちょっとは料理するから分かるけど、すごく丁寧に使われてるね。お手入れとかが行き届いてるのが伝わってくるよ」
「そうなのか? 俺はそういうのが全く分からないんだが……」
「こればっかりは経験値の差かもね。私だって少しだけ分かったくらいだから」
朱音が言う分には目の前に置かれている道具はしっかりとした手入れがされていることが分かるとのことだったが、正直なところそのような気配は全く感じ取れなかった。
パッと見た感じとしては、目立った汚れもなく清潔感を感じさせてくるので母さんも洗い方には手を抜かなかったのだろうということだけは読み取れたが……そこまで微細な観点には移れそうにもない。
目利き……とは少し違うかもしれないが、この辺は料理にどれだけ関わって来たかどうかの経験がものを言うところなのだろう。
実際普段から調理作業をしているらしい朱音は感嘆の言葉を漏らしていたし、この分野に精通する者にしか分かりえないこともあるという事だ。
「でもやっぱり、これだけのものを揃えておくってことは相当料理上手なお母さんだったんだね。ちょっと私のお母さんとも似てるかも」
「まぁいつも冷静なテンションの人ではあるけど……確かに料理はいつも美味かったな。特に煮物系の献立とかよく作ってくれてたぞ」
「煮物かぁ……まさにお袋の味って感じだね。…まぁ、その力量は彰人君には引き継がれなかったみたいだけど」
「……悪かったな。これでも改善できないかって努力は尽くしたんだよ。…それが全滅したってだけの話で」
「ふふっ。ごめんごめん。虐めるつもりは無かったんだよ。ほら、元気出して?」
「…はいよ」
朱音に言われて思い返してみたが、彰人の母親はいつも落ち着いた言動でありながらこちらを翻弄してくるというイメージが強い。
あまり母親に対して抱くイメージ図ではないかもしれないが……幼少の頃から固められてきた印象というのはそう簡単に塗り替えられるものではない。
あれでも悪い人ではないということはしっかり理解しているので、別にそこに関しては今更疑うも何もないのだが念のために良い点を挙げておくとするならば、やはりかなりの料理上手だったということか。
生来の性格としても元々料理自体を趣味としていたということはよく聞かされていたので、そこから発展していった腕前なのだろう。
子供ながらに美味しい料理を作れる母を持っていたことは密かに彰人自身の誇りでもあったし、喜ばしいことであったのも不変の事実だ。
…その才能は、絶無と言い切ってしまっていいほどに彰人には受け継がれなかったようだが。
「それにしても……彰人君の舌がそこまで肥えてるなら、私も気合いを入れておかないと駄目そうだね」
「気合いって……何がだ?」
しかしそんな彰人の内心で発生していた複雑な心境などまるで気にしていないと言うような口調で声を出している朱音に対し、こちらも素でリアクションを返してしまった。
彰人の話を一通り聞いていた朱音はしばらく自分の中で納得したようにうんうんと頷いていたが、こちらとしてはそのような反応をされるようなことを言った覚えもないので聞き返してしまったのだ。
「ほら、私がテスト勉強のご褒美にお菓子を作るって言ったじゃない? あれも彰人君のお母さんの料理で美味しいものを食べ慣れてるってことならもっと良いものを作ってみせたいなって思っちゃって」
「あ、その話か。けどそこまで気負わなくてもいいぞ? 母さんも確かに料理は上手かったけど、流石にお菓子作りにまで手を出してはなかったし……あと多分、俺も朱音が作ったものなら何でも美味いって言える自信があるぞ」
一体何を言い出すのかと疑問に思っていたのだが、彼女が物申したかったことは先ほど約束した件に関わることだったようだ。
朱音が言うことも料理をする者だからこそ出てくる負けず嫌いのようなものかもしれないが……別に彰人としてはそこまで気合いを入れずとも何も問題はないつもりだった。
そもそも以前に食べた朱音のクッキーからして彼女の技量が優れていることは明白であるし、そんな朱音が作ったものともなれば完成品が何であろうと美味いと言い切って完食できるくらいの自信はあった。
なのであまり強く背負いすぎなくてもいいと伝えたのだが、それはむしろ逆効果だったようで余計に彼女のやる気を後押ししてしまうだけだったようだ。
「そうもいかないよ。食べてもらうって決めた以上はこっちも本腰を入れて取り掛からないと失礼だからね。…だから、楽しみにしててよ。彰人君?」
「…はいはい。そういうことなら大人しく期待しておくよ」
「うん。それでよろしい」
彼女も彼女で新鮮な状況にテンションが高まっていたのか、浮かべられた笑みの中には彰人のリアクションを楽しんで観察でもしているかのような悪戯心が垣間見える。
普段はあまり見かけることの無い朱音の意外な一面を目に出来て嬉しくもあったが……それと同時に、自らが翻弄されているというシチュエーションには少し複雑な心境にもならざるを得なかった。
彰人の母親はかなり料理上手。
それこそやろうと思えば料理教室とか開けるくらいには腕が磨かれている。
まぁ、普段は仕事で忙しいので家ではあんまり料理が出来てないんですけどね。
…あと、何でその才能が彰人には受け継がれなかったんだろうなぁ。
不思議ですね。




