第百七十二話 勝者と敗北者
「……ぐす…っ! 酷いよ、あんなことになるなんて……」
「…いい加減機嫌直せよ。たかがゲームの結果なんだから、そこまで気にすることでもないだろ」
彰人たちがボードゲームに興じ始めてから十数分と少しが経った後。
パーティ開始時と比べれば盛り上がりも静けさを見せ始めた頃合いであったが…そんな折に彰人宅の一角では何故だか優奈が膝を抱え込みながら見るからに気分を沈めていると判別できる。
気のせいか彼女の周辺に漂う空気さえもどこかどんよりとしたオーラが立ち込めているようで、さっきまでの幸運絶頂期にも等しい顔つきをしていた彼女とは似ても似つかない様相である。
一体どうしてこんなことになっているのか。
その理由に関しては……まぁ。
紆余曲折あったと言えばあったと言えなくもないが、一言にまとめてしまうと至極単純に言い換えることも可能。
ではその原因が何だったのかというと………。
「直せるわけないじゃん!? だって…だって……っ! あんなところから私が負けるだなんて思えないでしょ!?」
「ぶはははっ!! あの時の優奈と言ったら、見てるこっちが面白いくらいに転がり落ちていったもんだからな!」
「そこ、航生! うるさいよ!」
「…まぁ、優奈の気持ちも分からないでもないけどさ」
…今、優奈が口にしていたことが全て。
結論から述べてしまうと、あれだけの圧倒的優位を保っていた優奈は…ゲームに敗北した。
道中での快進撃こそ目を見張るものであったが、まるでその優勢に帳尻でも合わせるかのようにして最終局面に移るにつれて不幸な運命が彼女を襲った。
…あるいは、ゲーム中に彰人が思った彼女に多少なりとも痛い目に遭ってほしいという願いが過剰なスケールを持って叶ってしまった結果とでも言おうか。
もちろんそんなことはありえないと理解していても、思わずそんな空想が現実になったのではないかと錯覚してしまいそうなほどに見事な転落劇だったと言い切れる。
「まさか優奈の持ってた株が大暴落するとはなぁ…それに空き巣に盗みに入られて資金もかなり持ってかれてたし」
「…あと、家も火事になって資産も消えてたよな。それも大量に」
「げふ…っ!?」
終盤の流れを思い返して恋人の辿った顛末を思い返しながら笑いを堪えている航生も語っていたが、今振り返っても散々な目に優奈が追いやられていたのは鮮明に思い出せる。
一つマスが進むごとに所持していた資金は溶けるように消えていき、哀愁漂う空気と化した場の中でもゴールへと辿り着くころには彼女の栄華も泡のように儚く消滅していた。
そしてそんなトラウマにすらなりかねない記憶を挙げていけば優奈の精神に少なくないダメージが入ったようで、膝から崩れ落ちながら血反吐を吐く勢いで倒れ伏した。
…何とも哀れなザマである。
「それに対して…朱音の方は優奈と真逆に最後の追い上げが凄まじいもんだったよな。いやほんと、あの運はどうなってたんだ?」
「うーん……私にも分からない、かな? 何だか気が付いたらすごいお金が増えていっただけだから…」
「……こういうところ、朱音の凄まじさを痛感させられるよ。というか朱音のハイスペックってゲームでも発揮させられるんだな…」
しかしその一方で、隔絶したリードを保っていた優奈が敗者の側に回ったということは別に勝者が存在するということ。
なので彰人もいつまでも落ち込んだ様子から回復する兆しが見えない優奈から一旦視線を外し、この場にいる勝者──気分が沈み込んでしまった友人の姿を見てあたふたとしていた朱音に声を掛けた。
もうこれまでの会話で断言してしまったが今回のゲーム優勝者は彼女である。
終盤に入るまでは二位という立場に甘んじていたのであまり目立つ局面も薄かった朱音だが、終わりが近づくにつれて劇的な転落を見せた優奈とは対照的に朱音はゴールが迫るにつれて見事な逆転劇を披露して見せた。
どこかのタイミングで確保していた株がまさかの大当たりで爆発的な利益を生み出してみせたり、発生したイベントから予想外の角度で大金をゲットしたりと…とにかく凄まじいの一言である。
ともあれそうした流れもあって最終結果は朱音が単独首位、優奈が不運に見舞われたことで最下位となった。
ちなみに彰人と航生に関しては最初から最後まで平凡な結果で終わったため、それに伴って結果もパッとしないまま終わっている。
「まぁでもおめでとさん。最後の展開は流石朱音って感じだったよ」
「ふふっ、ありがとうね。今までこういうゲームはあまりやったこと無かったんだけど、皆でやると新鮮だったし楽しかったよ」
しかし何はともあれ、無事にゲームは終わったのだから勝者である朱音には惜しみない称賛を送っておいた。
過程がどうだったとしてもこういうのは結果が全てであり、そこで優秀な成績を出して見せたのならば彰人も悔しさなど一切ない。
なので愛しき少女の健闘を称えれば、彼女は彰人から褒められたことに喜んでくれたのか少し頬を綻ばせながらも今のゲームに対する感想をこぼしていた。
「だけど……ちょっと最後は優奈が可哀そうだったかな。あんなことになるなんて思ってなかったから…」
「あれに関しては気にしなくていいさ。途中までは調子に乗って色々ふざけてたんだし、その罰が返ってきたってだけだろうし」
「そ、そうなのかな…?」
「──人が黙っていれば、随分好きに言ってくれるね! もう怒った! このままじゃ納得が出来ない!」
「……どうした優奈、藪から棒に」
…すると、彰人と朱音が穏やかな会話を交わしているとそれまで部屋の隅で非情な現実に打ちひしがれていた優奈が唐突に声を張り上げてきた。
彼女はそれまでの沈みっぷりを振り払うかのようにしてガバッ!と起き上がってきたかと思えばやたらと大きな独り言を叫び、溢れんばかりの怒りのエネルギーを放ち続けていた。
心なしかその背後には荒ぶる感情ゆえか燃え上がる炎すら幻視出来てしまいそうなほど。
ただ、そんな突然声だけ張り上げられたとしても言葉の意味を掴めていない彰人達としては困惑するだけだ。
なのでその意図を探るためにも正直あまり聞きたくない本心を抑え込みながら優奈に問いかければ…何とも気の抜ける宣言が返ってくることとなる。
「あんな結果で終われるわけないでしょうが! だから…もう一回ゲームやるよ! ちなみに拒否権は無いからね!」
「…別にやることは構わないけど、またお前が負ける可能性だってあるんだぞ? そこんところはいいのか?」
「……ま、まぁ? その辺りは負けなければいいだけだし?」
「お前ってやつは……いいけどさ。朱音はまたやるか?」
「うん、そうだね。今のも楽しかったし、私ももう一回参加しようかな」
「おっ、何だなんだ! またゲームやるって言うなら俺も忘れないでくれよ? 次こそ俺が優勝してみせるぜ!」
要は今負けたのが悔しいからもう一度ゲームをやってくれという懇願だ。
…強気な態度で来た割には何とも情けなさを滲ませた願いであったことは否定できないが、それでも提案自体は彰人も構わない。
一度プレイしたからこそ分かるがこのボードゲームは典型的な内容ではあれど、ベタだからこそパーティという今この時において盛り上がりを演出してくれる。
なのでここにいるメンバーとまたやるのも悪くは無いだろうと思いながら…彼もまた、他の面々に確認を取りながらも再度ゲームの準備に取り掛かる。
…そうして夜は騒がしさを加速させていく空間の中で更けていき、外の寒さなどどこへやらといった熱気すら感じさせる様相を呈したクリスマスパーティはいつしか幕を下ろすのであった。