第百五十話 幸福な仕返し
朱音から不意にキスをされるという衝撃的過ぎる事態こそあったものの、そこから何とか持ち直した彰人はパレードを見るために足を進めていった。
…その道中でも先ほどの衝撃が忘れられず、どうしても意識がそちら側に引っ張られるということこそあったが……とりあえず乗り切れたと思いたい。
だが、そんな事態を引き起こしてきた張本人である朱音は人混みの中でパレードを見ている間にも特に意識した様子がなく、無理をしている雰囲気も感じられなかったので…それが少し気になりもした。
別にだからと言って何があるわけでもないのだが、こちらばかりが振り回されてばかりで相手は余裕を持ち合わせているというのは…どこか引っかかりもするのだ。
「…さっきのパレード、凄かったよねぇ…! あんな風に乗り物がいっぱい来るとは思ってなかったもん…」
「確かにな。前もって調べてはいたけど、流石に具体的に何をするのかとかは知らなかったし…予想以上のクオリティだったよ」
そんな二人は今、ちょうど今日一日をかけて満喫していた遊園地の出入り口近くにおり、園内を後にしてきたばかりだった。
メインイベントとも言えるパレードが終わった後はこの遊園地は一時間ほどが経った頃に閉園時間となるため、彰人たちもその時間に従って退場してきたのだ。
欲を言えば…もう少し園内のアトラクションを回っておきたかったところだが、そこは諦めるしかない。
元々限られた時間の中で全ての設備を体験することなど不可能だったのだから、これに関してはまた別の機会に回しておこう。
「だけど…かなり動いてたから疲れちゃったかな……それに少しだけ…眠くなってきたような…」
「……まぁ、一日中動いてたからな。朱音もここまでよく耐えられた方だよ」
「んふふ……今日ばっかりは途中で寝ちゃうわけにもいかなかったからね……それに眠気もそんなに強いものじゃないから…大丈夫だよ…」
付近には彼らと同様に閉園間近となったためか、他の来場客の姿も多くみられているがそんな中に二人の姿がある。
…しかし、一日を通して歩き続けだった朱音もそろそろ体力の限界が近づいているようだ。
無理もない。ここまでは怒涛の展開の連続ゆえに彼女自身も疲労を忘れて楽しめていたのだろうし、一度状況が落ち着いてしまえばそれらとて一気に押し寄せてくる。
むしろ、ここでまだしっかりと意識を保てていることが褒められて然るべきくらいだ。
「大丈夫か? 何だったらおぶっていくけど…」
「んー…そこまでじゃないから大丈夫、かな……あっ、でも…手だけ繋いでもらってもいい…? そっちの方が…嬉しいなって気持ちになれるから…」
「…はいよ。そのくらいならお安い御用だ」
まだ限界…というほどではなさそうだが、徐々に眠気が積み重なり始めている朱音の彰人に対する態度は甘さが増している。
もとより眠気が高まっている時はそういった傾向があったが…何となく、その甘さにも変化があるように思えてしまった。
現に今も握られた彰人の掌の感触を確かめるようににぎにぎと力を込め続けているし、隣を歩く彼女の距離感だって普段の数割増しで近い。
まるで隣を歩く彰人の存在を確かめるように、この現状に実感を湧かせるように…彼女の態度は甘いものになっている。
だからこそ……次に放たれた言葉は、そんな朱音の内心を示したものだったのかもしれない。
「……私ね、今すっごく幸せなんだ。こうやって彰人君と関係を進められて…それで隣にいられるなんて思ってなかったから…」
「……そっか」
「うん…だから、これから先も私は彰人君の隣にいるよ。絶対に離れてなんてあげないし…この場所は私だけの場所だもん…」
「…ありがとな」
いついかなる時であっても、彰人の隣を離れることなどない。
それはあの宿泊研修の時でも聞いた一言であり…彼女なりの決意表明。
あの時言われた際に込められた感情としては彰人への気遣いが主だったのだろうが…今は違う。
こうして明確に付き合うという結果を得た今、朱音もまた彼の傍を離れることなどない…いや、それも違うか。
朱音自身が離れたくないと、そう言ってくれたことに彰人もまた言い表しようもない嬉しさを感じられるのだ。
——ゆえにこそ、未だ底の知れない彼女への愛しさは際限なく溢れていく。
眠たげに瞼を揺らしながら隣を歩く少女のことを微笑まし気に見つめながら、誰よりも自分のことを想ってくれているパートナーのことが…どんどんと可愛く見えてきてならない。
惚れた弱みということもあるのだろうが、これほどまでに素直な想いを伝えてくれる朱音を愛しく思えてならなくて………。
…そんな心境があったからこそ、彰人もこのようなことを思いついてしまったのかもしれない。
「……朱音、少しこっちを向いてくれ」
「んむ……なぁに、彰人く———っ!?」
——それは、ほんのわずかな意趣返し。
さっきは向こうからの不意打ちだった故に動揺を誘われてしまったが、こちらばかりが意識を乱されてばかりというのは納得が出来ていなかった。
だから、そんな考えが頭の片隅にあったからこそ。
彰人は先ほどの朱音から送られた頬へのキスに、せめてものお返しとして……振り返った朱音の前髪を少しかき分け、呆けた声を耳にしながら——彼女の額へと唇を落とした。
「……は、はぇ…? な、何を…?」
「…さっき朱音、こっちからしたら嬉しいって言ってくれただろ? だから…そのお返しにな。…けど、流石に口の方は少し待ってくれ。そっちは…ちゃんとした時にしたいからさ」
「……は、はい…」
…ある意味仕返しとも呼べる彰人の行動。
目には目を、歯には歯をと言うようにキスにはキスで返そうとして考えた結果思いついたのが…このお返しである。
流石に唇の方にまでする勇気は今さっき付き合ったばかりの身だと振り絞れなかったが、その分の勇気は彼女の額に向けさせてもらった。
そしてこの行動は朱音にも効果は抜群だったらしく……自分の身に何が起こったのかを理解し、彰人の言葉を聞いた彼女は煙でも出しそうな勢いでぼふっと顔を赤くしてしまった。
…つい先ほどまでは余裕を感じさせる雰囲気で頬にキスまでしてきたというのに、案外朱音は受け身になるとてんで弱くなるらしい。
事実、今もこちらが不意に仕掛けたキスに対して強く困惑の感情を見せているし…まぁ、そんなところも可愛いので問題もないか。
「……もう…彰人君が急にキ、キスなんてしてくるから目が覚めちゃったよ…!」
「ごめんって。…でも、嫌ではないだろ?」
「…それはそうだけど。それでもいきなりはびっくりするの! …心の準備だって出来てなかったし…」
彰人にしてやられたことが悔しかったのか、それとも湧き上がってくる羞恥心を誤魔化そうとしているのか。
一応は彼女の方もしてくれたら嬉しい、なんて口にはしていたが……とはいっても彼の方からするのは時期を置いてのものだと予想していたんだろう。
その予想を裏切って唇を落としてきたのだから、朱音の困惑具合も察せるというものだ。
「急にしたのは謝るよ。だけど何て言うかな……朱音のことが可愛く見えて仕方ないから、ああしたっていうのが大きいと思う」
「……そ、そうやって言ってくれるのは嬉しいけど…あ、彰人君の褒め言葉がパワーアップしてる…」
「…そりゃ可愛い彼女のことだからな。そこはガンガン褒めてもいくさ」
「うぅ……わ、分かった…」
ただ、そうはいっても彼女が困惑していようと彰人が朱音に抱く感情に対して素直になるかどうかは別問題である。
こうして彼女との関係を次のステップへと進められた今、もう自身の気持ちに嘘をつく理由もないのだから可愛いと思ったのならそれは正直に言葉にする。
自分がどれだけ朱音のことを想っているのか。周囲に知らしめるという意味合いもなくはないが…何よりも、彼女にそれを知っておいてほしいから。
誰よりも愛しい相手への遠慮はしたくないと思ったからこそ、このように朱音への称賛を躊躇うことはしないと誓ったのだ。
「…じゃあほら、そろそろ帰ろう」
「……うん」
彼らの胸に広がっているパートナーへの愛しさは測れるものではないが、何よりも大きく膨れ上がっていることは伝わってくる。
その証拠に…二人が作り出す世界はひたすらに、甘さに満ちているのだから。
「……今のことだけどね。確かにちょっとびっくりはしたけど…彰人君からしてくれたのは…嬉しかったよ?」
「嫌がられてなかったなら良かったよ。…少し不安でもあったし」
「嫌がりなんてしないよ。…恥ずかしかったのはそうだけど、それ以上に…幸せだなって気持ちがいっぱい溢れてきちゃうから…」
「……なら、これから朱音をもっと大切にできるように俺も頑張らないとな」
「それはこっちも同じことだよ。何回も同じことを言うけど…好きだよ、彰人君」
「……俺もだよ」
騒がしさの中にある人混みを歩いていく彼らの雰囲気は、他の誰であろうと干渉できないほどに幸福に満ちている。
目には見えなくとも、確かな縁を結んだ彰人と朱音の行く末がどうなるかは分からない。
——されど、その先にて明るい未来が待ち構えていることだけは疑いようもないことであった。
さて、これにて第四章は終了となります!
ようやく自分の想いとも向き合い付き合うこととなった彰人と朱音ですが…やっとここまで来れました!
これからは晴れて恋人同士となった彼らの日常が綴られていきますので、どうぞお楽しみにしていてください。絶対糖度もマシマシになりますので。
…そして、ここからはちょっとしたご報告です。
いよいよもってこの物語もめでたいことに一つの区切りを迎えられましたので、申し訳ないんですがこれ以降は更新ペースの方を若干緩めることとします。
これからが見どころという時に申し訳ない。
ただここから先はゆっくり、のんびりこのお話の続きも描いていきますので…そこもお付き合いいただければ幸いでございます。
そんなこんなで次から始まる第五章ですが、関係を新たにした二人の物語にご注目です!




