第十五話 想定外な来店
突然何の前触れもなく彰人が働いているこの店にやってきた二人組の少女、優奈と朱音。
あまりにもいきなりすぎたので彰人も状況を理解するまでに数秒を要してしまったが、現在何が起こっているのかを頭が把握するのと同時に何故ここに彼女たちがやってきているのかという疑問と焦りが生じた。
「…ばっか! 何でここに来てんだよ!」
「うえぇ……別にいーじゃん! 私達も彰人のバイト風景が見たいねって来ただけだもん!」
「だもん、じゃないっつの! …どうすんだ。ここに朱音がいるなんて佳奈さんに知られたら……!」
それまで立っていたカウンターを離れ、店にやってきたのが見知ったクラスメイトだと分かるや否や自らの姿で彼女たちを覆い隠すようにして向こうからは見えないようにと何とか抵抗を試みる。
…こんなことをしたところで焼け石に水でしかないことは重々承知だが、それでもやらなければより面倒な事態が引き起こされることは目に見えている。
こうさせないようにするためにも朱音には興味を引かせないようにと注意していたというのに、まさか優奈の方から引っ張ってくることになるとは……
「あ、あの……もしかして私、やっぱり来ない方が良かったかな? もしご迷惑なら今からでも帰るけど…」
「えっ? あ、あぁいや違うんだ。別に朱音が悪いとかそういう話ではなくてだな……と、とにかく詳しい話は後でしっかりするから、今だけは外で待っててもらってもいいか? 俺もすぐに行くから」
「えー? せっかく来たんだから少しくらいお店で休ませてもらっても……」
「……今度優奈の勝手な行動で迷惑被ったって航生に言いつけるぞ?」
「はい! すぐに出ていきます!」
ビシッ!とこれ以上ないくらいに綺麗な体勢で敬礼を決める優奈を言葉にて説得し、朱音の方も状況がまだ飲み込めていないようだが自分がしでかしたことでこちらに迷惑が掛かってしまっているのではないかと思ったようだ。
しかし彰人が何故焦っているのかという論点において、こればかりは朱音本人が悪いというわけではない。
むしろこちらの視点から考えてみれば朱音は訳も分からず巻き込まれているだけの被害者だし、そこに関しては何が悪いといったことでもないのだ。
…強いて言うのであれば彼女を連れてきた優奈が悪いということになるだろう。今度きっちりと航生を介して勝手なことをしてくれた件に関して叱りつけてもらうとしよう。
内心で優奈へと制裁を加えることを固く誓いながら、何とか彼女らを説得してことを荒げることなく場を収めることが出来そうだとホッと人知れず息を吐く。
…だからこそ、安心してしまったからこそ。
その一瞬の油断の間に向こうが近づいてきていたことを、彰人は見過ごしてしまっていた。
「なーに彰人? さっきからコソコソ話してるけど……お友達だったの?」
「…!? い、いやぁその……実はクラスメイトだったので少し話し込んでしまって。ただちょっと間違って入ってきちゃったみたいなので、もう帰るみたいです!」
「ふーん……? ところであんた、何でさっきからその子たちを隠すみたいに立ってるわけ?」
「……別に深い理由はありませんよ」
…まずい。この流れは非常にまずい。
現在の彰人はいつまで経ってもお客を案内しようとしない彼に不審感を感じたのか、近づいてきた佳奈が言う通り朱音と優奈の姿を遮るようにして立ち尽くしている。
その狙いとしてはひとえに佳奈に対して彼女たちを視界に入れないようにするということなのだが……このままではそんなせめてもの抵抗すら破られて佳奈と朱音たちが対面してしまうことになる。
この人の性格、嗜好なんかを考えればまず間違いなく……ほぼ百パーセントで予想しうる展開になっていくだろうし、そうなった時に朱音にどのような被害が及んでしまうかは想像することが出来ない。
そうなることは友人として、可能な限り避けさせてやりたいところだったのだが……その程度のバリケードで何とかなる相手ならばわざわざ苦悩なんてしていない。
流石に普段と違いすぎる彰人の対応の仕方に疑いの感情を持たれてしまったようで、その瞳を細めながら鋭い視線を向けられる。
「なーんか怪しいね……彰人、もしかしなくても私から何かを遠ざけようとしてるね」
「そんなことは無いですよ。…それよりも、佳奈さんもカウンターの掃除をしてきた方が良いんじゃないですか? 大分汚れてましたし……」
「ふむ……そうだね。ならそうさせてもらおっかな…」
(…おっ? 思ってたよりもあっさりと引いた…?)
しかし彰人の予想に反して、佳奈は一瞬だけ鋭く刺してくるかのような疑いの目線をこちらに向けて放ってきたがそれ以降はいつもと変わらない緩やかな雰囲気へと戻っていった。
まさかあの佳奈さんが何の追及もせずに諦めたのだろうか……そんな油断をしてしまったところが狙いだったのだろう。
「…なんてね! ほら、そこをどいてみなさい!」
「ちょっ!? 力、強…っ!」
諦めたのかと思い込ませられた次の瞬間、それまでのだらりとした態度は何だったのかと問いただしたくなるくらいの切り替えの早さで彰人を押しのけてくる佳奈。
その細腕からは到底想像も出来ないくらいのパワーを発揮してくる彼女には何一つとして抗うことも出来るはずもなく……そのまま横へと追いやられてしまった。
「やれやれ、彰人ごときの腕力で私に逆らおうなんて百年は早い……って、優奈ちゃんじゃない。お久しぶり」
「佳奈さん! お久しぶりです!」
勢いをつけて飛ばされた彰人がいなくなったことで自分の力を誇るように首を横に振っていた佳奈だったが、そこに立っていた優奈と対面すると朗らかに挨拶を交わしている。
この二人は以前に何度か面識があり、それからは優奈の方からちょくちょくとここに通っていることがあるのでこの対応自体はおかしなところもない。
…なので、彰人が真に恐れていたことがあるとすればこの先だった。
「っと、それじゃあそちらのお嬢さん、は………」
「あ、佳奈さんにも紹介しますね。この子は朱音ちゃんっていって、私のクラスメイトなんです! ついこの前ようやくお友達になれたので、せっかくならこのお店も教えておきたいなと思いまして連れてきました!」
「えぇと……は、初めまして。間宮朱音と言います」
「………」
「…あ、あれ?」
(あぁ……終わった)
普段とそれほど変わらないテンションのまま朱音のことを佳奈へと紹介していく優奈。
そしてそんな彼女のことを視界に収めた佳奈はというと……何故か目を丸くしたまま一向に動く気配を無くしてしまった。
その様子に朱音は不思議そうに瞳をぱちくりと動かしていたが……あのリアクションに見覚えがあった彰人はこの後の展開も大方察してしまったため諦めの境地に入りかけていた。
一見身体に不調でもあったのかと心配になりそうなこの光景。実際朱音はそのように考えたようで不安そうに佳奈のことを見つめていたが……それも次の瞬間には解消されることとなる。
「……あら、ごめんなさいね。少し戸惑っちゃったみたいだわ」
「あ、い、いえ。ただ急に止まられたので驚いてしまっただけですから……」
「そう、優しいのね。確か朱音ちゃん…だったかしら? 可愛いお名前ね」
「そう、ですか? ありがとうございます…」
どうやら数秒前まで起こっていた身の硬直からは解放されたらしい佳奈がそれまでに見せたことも無いような慈しみすら感じさせるオーラを放ち、微笑みを携えながら朱音へと話しかけていく。
そこには彰人と会話していた際に纏っていたおふざけの空気はなく、優奈と挨拶をしていた時のようなフランクな態度もない。
ただひたすらに相手を警戒させないような、安心感を与えるための接し方。
その言葉の一つ一つには誤魔化しようもない、どこまでも純粋な相手のことを思いやる感情が込められていることが直接向けられているわけではなくとも伝わってくる。
…だが、彰人は既に知ってしまっている。
あの態度になってしまったということは、佳奈のスイッチが入ってしまったのだということに。
「本当に可愛いわ……ほんと、食べちゃいたいくらい」
「……え?」
「そうだ朱音ちゃん。あなた、今好きな人とかはいるのかしら」
「はぇ? そ、それは……多分いませんけど…」
がしかし、そんな傍から見ている分には危険性など皆無だろうと思わせるような言動にも次第に怪しげな影が漂い始める。
気が付けば佳奈の手は朱音のことを決して逃がすまいと彼女の腰に向かって伸ばされているし、瞳に浮かべられた感情も慈愛の目からどこか獲物を見定めた蛇のような気配を滲ませている。
向こうもそんな不穏な影を直感で感じ取ったのか、少しずつ足を後ろに下げて無意識に退避しようとしたようだが……それは叶わない。
そもそも今の朱音はするりと伸ばされた佳奈の手によって捕らえられてしまっている状態。そこにあの人の力も加われば、普通の女子高生でしかない朱音が逃げられる可能性などそれこそ万に一つであろう。
「うふふ……そんなに怯えなくてもいいのよ。お姉さんに任せてくれれば全部上手くいくから…」
「あ、あの…ちょっと! 何だか怖いんですけど…!」
「大丈夫……あぁ、美味しそうなお口ね…少しだけ味見を……」
もはや理性など時空の彼方に吹っ飛ばされてしまったようで、本能の赴くままに朱音を貪ろうと自身の唇を彼女のそれと重ね合わせるために近づけていく佳奈。
朱音も何とか逃れようと力を込めてはいるようだが、その程度のことでは佳奈を止めることなど出来やしない。
あと数センチまで迫った佳奈の顔にどうすることも出来ないと悟ってしまったのか、己の目をぎゅっと瞑りながらやってきてしまうその時に耐え忍び………
「…何やってるんですか! 佳奈さん!」
「あいたぁっ!? …ちょっと彰人! 人の楽しみの邪魔しないでよね!」
スパァンッ!と激しい音が店内に鳴り響き、それと同時に佳奈の理性は半ば無理やり引き戻されることとなった。
その背後では先ほど横へと追いやられていたはずの彰人が掌を佳奈に向けて振り下ろしており、今の激しい音も彼が振り払ったはたきによって生じた音だったのだろうということが窺える。
かろうじてギリギリのところで間に合ったからまだ良かったものの、あのまま放置していればどうなっていたことか……間違いなく暴走した結果、ろくでもないことになっていただろう。
こうなることが分かっていたからこそ、朱音をこの店には招きたくなかったというのに……それも後悔したところで遅い話だ。
展開の早さに頭が追い付いていないのか、目を白黒させながら怒涛の変化に訳も分からないといった様子の朱音。そしてその後ろでは、一連の一部始終を面白そうに眺めていた優奈。
限りなくカオスに近い顔合わせになってしまったが……この後の後始末を思うと、溢れる溜め息を抑えることが出来なかった。
…正体表したね。
前々からの言動で何となく察せられていたかもしれませんが、この物語内だと佳奈の変人っぷりは屈指のものになってきます。
それさえ無ければ頼れるお姉さん的な立ち位置になれたというのに……いや、そんなこともないな。
今回明かされた片鱗を抜きにしたとしても、大概この人は色々とおかしい部類になってくると思います。はい。