第百四十七話 先の関係は
——その後、彰人と朱音はいくつかのアトラクションを満喫していった。
最初こそジェットコースターという刺激が強めのものに乗ってしまったが、その後はあの時の反省を活かして程々のものを中心に楽しむこととした。
遊園地としては定番のコーヒーカップなんかを始めとしてのんびり時間を満喫したり、少し移動して変わったアトラクションに参加してみたり………。
…しかしまさか、射撃をモチーフにしたアトラクションで朱音がフルスコアを叩き出すとは思っていなかった。
従業員の人も朱音のように可憐な美少女があれほどまでに洗練された動きで的を命中させていくとは夢にも思っていなかったようで呆然としていたし…何もしていないはずなのに、少し悪いことをしたような気分になってしまう。
まぁ朱音本人は記念の景品をもらえて満足げな表情を浮かべていたので、そこは気にしないでおこう。
あそこで余計な注目を浴びてしまったのは称賛ゆえの避けようもない事故だっただとしておこう。…そうしておこう。
それよりも今は過去に執着するより今後について考える方が建設的であり、実際二人はそのようにした。
園内で昼食を取って非日常的な空気を満喫し、過ぎ去る時間を早く実感しながらも彰人たちはパーク内を散策していった。
そうこうしている間に日は落ちていき……気づけば夕方を過ぎようとしている。
「もうすぐでパレードが始まるな…どうする? そろそろ向かってみるか?」
「そうしよっか。遅れたら人でいっぱいになりそうだし、混み合ってきたら嫌だもんね。早めに行こう」
「ならそうしよう。行く方向は…確かこっちだったよな」
太陽が沈みかけているということもあって周囲は暗くなり始めており、近くにも明かりはあるがぼんやりとした光量なためそこまで視界が良いわけではない。
ただこれは今彼らのいる場所が少し人気のない範囲であるからであって、もっと人通りのある場所であればしっかりとした明かりが確保されているだろう。
ゆえにそこまで向かおうとして……ふと奇妙なものを視界に捉えた。
「あれ…? 彰人君、そっちだと小道に出ちゃわない?」
「いや、確かにそうなんだけどマップを見たらこっちの方が近道らしいんだよ。だからそっちに………ん?」
彰人が足を進めようとした先はここよりも人気が少ない路地裏にも似た雰囲気を発する道であり、何となく薄暗い。
いつもなら通ろうとは考えないような細道だが、事前に見ていた地図によるとあそこを通るとすぐに大通りへと出られるらしいのだ。
その情報を掴んでいたので早々に出ようとしたのだが、そんな彼らの目線の先にあったのは…一、いや二つの人影。
(あそこにいるのは……男女の二人組か? 俺たち以外にも抜け道を使おうとしてた人がいたってことか………っ!?)
…しかし、別にそれだけというのなら何も問題はなかった。
ここには大勢の来場客がいるのだから、人の気配がないとは言っても決してゼロではない。
無論、彰人たち以外にもこの抜け道を知っている者がいたところで不思議ではないし、そこを通ろうとしている人がいるのは当たり前だ。
ただあえて言うのなら…今回は、巡り合わせのタイミングが悪かったということ。
彰人の推察通り、男女の二人でこんなところに来ているというのならおそらく彼らは恋仲かそれらに近い関係性なのだろう。
だったら当然、こんな人気のない場所でそれも薄暗い細道となればそういう雰囲気になるのは必然だったというわけで……まぁ、そういうことである。
少し距離が離れたこちら側の存在には気が付いていないのか、彼我の距離は徐々に縮まっていき…やがて、彼らの唇は重ねられた。
…予想だにしていなかったカップルによるキスシーン。
その一部始終に遭遇してしまったことを不幸だったと嘆けばいいのかは分からないが、どちらにしても彰人の胸中にあったのは言いようもない気まずさだ。
見るつもりもなかった恋人の逢瀬を目撃してしまったことで、それまでは純粋な楽しさに満ちていたはずの空気感も否応なしに塗り替えられる。
それは隣にいる朱音も同様だったのか…どうやら彼女も今の一場面はばっちり見てしまっていたようで、思い切り顔を赤らめていた。
…当たり前だ。彰人とてあのようなところを見てしまったことで顔が熱くなっている。
だが、文句を言ったところで意味はないことも理解している。
今のはちょっとした不幸な事故と似たようなものであり、周辺の確認を怠ったこちらにも責任はある。
まぁ…男女の濃厚な絡みを直視してしまった影響として、傍にいる少女のことを強く意識することになってしまったのは誤算であったが。
「…び、びっくりしちゃったね。まさかあんなところで…キ、キスするなんて…」
「…あ、あぁ……驚いたな…」
つい先ほどまでは和気あいあいとした会話を交わせていたというのに、今の一瞬を経てしまってからはぎこちなくなってしまった。
朱音も言葉を続けているうちに意識してしまったのか段々と声量が小さくなってしまっているし、こんなハプニングに遭うとは………。
これから告白への返事をしようというのに、こんな有様で大丈夫だろうか。
そんな不安も湧き上がってきてしまうが…混乱と気落ちしそうな意識が入り乱れる中、朱音の方から一つ言葉が投げかけられる。
「…そ、その…彰人君はああいうこととか、してみたいなって…思ったりする…?」
「……え?」
「べ、別に何があるってわけじゃないけどね? た、ただ…私は……少しだけ、してみたいなって…思ったり…?」
「っ!」
「………ほ、ほら! 恥ずかしいし、早く行こう!」
…きっとその言葉は、勇気を振り絞って向けてくれたものだったのだろう。
見るつもりもなかった男女のワンシーンを目にしてしまったことで発生した衝撃の中で、彰人は動揺に振り回されていたが朱音はそうではなかった。
彼女は…恋仲となった男女がする行為の一つに、憧れの情を抱いていたのだ。
だから、こんなことを聞いてきた。
いじらしく声をすぼませながらも、暗に彰人とあのようなことをしてみたいのだと…今よりも一歩先へと進みたいと明確に意思を提示してくれた。
そのような言葉を受けた彰人の胸中には…どうしようもないくらいに朱音への愛おしさが溢れてしまう。
上目遣いになりながら潤んだ瞳をこちらへと向け、微かに上気したように赤らむ頬をみせてくる彼女の姿は、彼の意識の全てを引き詰めるだけの魅力を秘めていた。
だが、自分の口にした言葉の恥ずかしさに思い至ってしまったのだろう。
それまでの発言を誤魔化すようにして道の先へと進もうとし、彰人の返事を聞くよりも前に歩き出そうとした彼女の背中は…とても小さくて。
たとえこちらの思い違いだったとしても、その後ろ姿には気のせいか…少なくない期待と不安が入り混じっているように思えてしまった。
(…タイミングは中途半端だし、場所だってもっと良い場所があるかもしれない。でも、もうこれ以上…待たせるのは、違うよな)
おそらくこれは、最適解ではないと思う。
シチュエーションを考えるのならばより良い時と場所だってあると思うし、これから始まるパレードなんてまさにその代表格だ。
…それでも、一番大事なのは時間でも場所でも、ましてやシチュエーションでもない。
ここで何よりも大切にしなければならないのはきっと…朱音のことを想う彰人の心情。そして彼女の気持ちだった。
ゆえに、散々待たせてしまった彼女の溢れてきた感情こそを彼は何よりも優先したいと思った。
「——朱音、少しだけ待ってくれるか?」
「…うん?」
…その一言で、彼女には察せられたのかもしれない。
この場を歩き去ろうとしていた朱音の背に向けて彰人が言葉を掛ければ、特に抵抗されることもなく受け入れて足を止めてくれた。
そうして振り返った朱音の顔は…何かを期待するような感情を瞳に浮かべていて。
どうしようもないくらいに溢れてしまう愛しさを、彰人に感じさせてきた。
「何、かな……彰人君?」
「…朱音にばっかり頑張らせて、ごめん。もう散々待たせた後にこんなことを言うのもおかしな話かもしれないけど…昨日の告白の返事。ここでさせてほしいんだ」
「…!」
だからもう、今の関係で立ち止まらないように。
彼女の隣に立つためにも…この場で自分たちの関係に、終止符を打とう。