第百四十二話 顔を合わせて
——朱音から予想だにしていなかった告白まがいの言葉が飛び出した後、当然のごとく教室は大混乱に陥った。
それもそのはずだ。
校内でも指折りに見た目麗しい美少女とも言われている朱音の、それも特定の誰かと付き合うつもりなどないのだろうと噂されるほどに男っ気を感じさせなかった彼女の言葉なのだ。
はっきり言って、混乱に陥っていなければおかしいレベルの異常事態だ。
…そして、その後のことに関して述べるのならばひたすらに彰人と朱音が質問攻めにされたという一言でまとめられてしまう。
彰人は主に嫉妬の念に駆られた男子から、朱音は嬉々とした感情を露わにした女子からそれはもう詰め寄られた。
具体的な内容を挙げれば、彰人が問われたのは『一体いつの間にそんな仲に進展していやがった!?』とか『俺たちの間宮さんが…黒峰のものになるなど許せん…っ!!』というものが大半である。
…ほとんどが質問というよりただ言いたい文句を吐かれていただけだというのは気にしてはいけない。彼らにとってもそれほど度肝を抜かされたことだったというわけだ。
さらにこれは後から聞かされた話だが、近くでこの流れを見ていたはずの優奈は朱音の言葉を聞くや否や目を大きく輝かせて傍観に徹していたらしい。
そのタイミングで戻ってきていた航生にも詳しい事情を話し、二人そろってやたらと嬉しそうな目を向けながら見守っていたようだが…どうせなら介入してほしかった。
普段は必要ないときに過干渉なまでに絡んでくるくせに、こういう時に限って余計な面倒に巻き込まれないようにと距離を取るのだ。
…正直そのことを聞かされた時には多少の恨みも持ったものだが、あの時の彰人にはそこまでのことを気にかける余裕などなかったのでそこはいい。
ただ少し心残りだったのは…それらの対応に追われてしまったので、この騒動が始まってから今に至るまで朱音と話す時間が作れなかったということだ。
午後の球技大会が始まってからも噂が学校中に広まったのかあちこちで声を掛けられ、彼女と話す時間など作れる気配もない。
結局、放課後になるまで朱音と二人になる時間は一切なく……球技大会が終わって着替えを済ませ、いざ帰ろうとなったタイミングになってようやく解放されるといった次第であった。
「…いやー、とうとう言わせちまったな?」
「……分かってるよ。もう流石に動かなきゃいけないってことは理解してる」
そんな彰人に対して揶揄いの情を投げかけるようにしてくるのは、相も変わらずにやついた笑みを浮かべる航生だ。
こちらが怒涛の展開の渦中にある時は静観の姿勢を貫いていたというのに、今こうして何事もなかったように話しかけてくる様は少し腹が立つ。
…が、今だけはそこにツッコむ気力もない。
それよりも今は、もう今までの関係に甘んじているわけにもいかないということを理解してしまったからだ。
朱音から告げられたあの言葉。
ほとんど告白と同義とさえ言えてしまう一言を聞いてしまえば、もう言い逃れなんて出来るはずがない。
これまでは自分のことをどう思っているのかという思考に比重を割かれていた彰人も、あんなことを言われてしまえば流石に察する。
…自分が朱音に、好意を抱かれているのだろうということは。
「…しっかり朱音にも返事をする。どんな結果になっても、ここをなぁなぁで済ませていいわけもないからな」
「そうか。ま、頑張れや。お前らなら大丈夫だとは思うがな」
「……サンキューな。とりあえずそういうわけだから、俺は先に帰るよ。申し訳ないけど優奈にもそう言っておいてくれ」
「おうよ。…あ、そうだ彰人」
「…? 何だよ」
未だに注目の中にあるのは周囲から注がれる視線の量でも分かってしまうが、あれだけのことを経てしまえばその反応は当然のもの。
だから今ばかりは、彰人も自分がやるべきことだけを意識していればいい。
そう考えて早々に教室を出ていこうとして…何故だか航生に引き止められた。
「お前なら正面から向き合えば大丈夫だから、あんま深く考えすぎるな。とにかく彰人の本音をぶつけてこい!」
「……あぁ、分かってる」
「ならいいさ。そんじゃ、また今度結果教えろよな!」
友から伝えられたのは、彼なりの激励だったのだろう。
航生らしく、取り繕ったものでも言葉を飾ったものでもなかったが…その言葉こそが今は何よりも震えそうな背中を押してくれる。
無二の親友の言葉を背に受けながら、不思議と強張ってしまっていた全身の力を抜きつつ彰人はその言葉に返事をして…今度こそ教室を出て行った。
…その先にて待ち構えているだろう少女の元へと、歩みを進めて。
◆
いつもと何ら変わらない帰路を歩く彰人は一見冷静なようにも見えるが、その実内情は緊張で手が震えそうなものだった。
無理もない。何しろ人生で初めて真剣に人を好きになって…その相手が自分の想いをさらけ出してきてくれたのだ。
これに対して何と返事を返したらよいのか。どうやって向き合ったらよいのか。
そんなことばかり考えてしまう思考を一旦落ち着けようとしても、次の瞬間には身体の方が反射的に震え上がりそうになってしまう。
しかしこれもある意味では、彰人も心の底から朱音のことを思っているからこそここまでの緊張感が生まれてしまうのだ。
はなからどうでもいいと思っている相手ならこんな感情なんて生まれないだろうし、そもそも好きになんてなっていない。
…自分を助け、そして隣で支えてくれた少女。
誰よりも愛しく、なおかつ底抜けの優しさを併せ持った彼女。
そんな朱音だから、自分は好きになったのだと…そう思う。
ゆえに、この局面は…自分たちのこれからを決定づける一歩になる。
…朱音は既に、その歩みを進めている。
このままの関係ではいられないと、そう暗に示したからこそ彼女はあのようなことを言ったのだ。
だったらそこにはきちんと言葉を返さなければ…男が廃る。
もう今までのようにはいられない。もしかしたら結果によっては互いの距離が離れるような事態になってしまうかもしれない。
そのリスクを背負ってでも、彰人はこちらも想いを伝える決意を固めた。
そうして歩き続けていれば…いつしか目的の場所にも辿り着く。
「……朱音、待たせてごめん」
「ううん、気にしないで。私が先に着いちゃっただけだから」
変わりない風景を映し出している彰人の自宅前。いつもならゆったりとした時間を過ごすための場所。
しかし、今はそのすぐ近くに…少し小さな背丈をした彼女の姿がある。
はにかむように小さな笑みを浮かべながら、艶やかな唇は柔らかな弧を描いている。
全身からは先ほどの出来事の衝撃などどこ吹く風といった様子で佇んでおり、それどころか…少し嬉しそうな空気すら漂わせているように思える。
誰もが目を惹かれるだろうことは間違いないほどの美少女だと断言できるほどの存在感を放つ朱音は、普段と何ら変わらない様子でそこにいた。
だが…よくよく見てみればそこにもわずかな差異があることが見て取れる。
彼女の頬はほんの微かにだが赤く紅潮しており、彰人と対面してから目線も忙しなくどこともつかない方角に向いてしまっている。
…言うまでもなく、先ほどの言葉を振り返って気まずい雰囲気にあるからだろう。
「……とりあえず、うちに入ってくか? 色々と話したいことも、あるし…」
「…うん。そうさせてもらうね」
それは彰人も同様であり、お互いに何となく気まずさを感じつつも…ひとまず彰人の家に彼女を上がらせることとした。
動揺しているにせよ、気まずさが漂っているにせよ。
どちらにしてもこのまま顔を突き合わせていても落ち着いた話など出来やしないだろうという判断から提案したのだが…一旦受け入れてもらえたので安心した。
——ゆえにここから先は、二人の歩みを進めるための時間だ。