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常に微睡む彼女は今日も甘えてる  作者: 進道 拓真
第四章

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第百四十一話 一歩先へ


 …朱音が足早に去って行ってしまった後。

 彰人もそれからしばらくは階段付近に留まりながら、先ほどまでの朱音の言葉について思い返していたが…やはり、あの言葉は()()()()()()なのだろうか。


 答えの出ない疑問に悶々とした思考を巡らせているが、どこまで考えたところで本人からの明確な返答がない限り断定など出来やしない。

 しかし……考えられる可能性を思い浮かべてみれば、どうしてもその方向で結論が出されてしまう。


 彰人の都合のいい妄想であり、こうあってほしいという願望が混ざっただけだと言われればそれまでのものだが…そうだとしても思考はそちらに引っ張られる。


(朱音は…どういう意味であんなことを言ったんだ…?)


 時間も昼休みとなり、一時的に教室へと戻ってきた彰人の周辺では同様に休息を取るために帰ってきていたクラスメイトが騒がしく会話を繰り広げている。

 男子も女子も関係なく、非日常的な行事ゆえの盛り上がりと運動直後の高揚感が重なり合っているために普段よりも一段とクラス内の空気は熱いものだ。


 …しかし、そんな熱気に溢れた空間の中であっても彰人の内心はその空気に引っ張られるほど余裕はない。

 今現在彼の思考の大半を占めているのは言うまでもなく先刻の朱音とのやり取り。その一部始終だ。


 蕩けそうな笑みを浮かべられながら、あのようなことを言われたことによる衝撃の度合いは凄まじいものであったし…何より、そこで伝えられた内容が問題だった。

 どういう意図を持って言ってきたのかは不明瞭。もしかしたらこちらの単なる勘違いの可能性だって高い。


 だがどうしても…こちらにとってご都合的な解釈が頭から消えてくれる気配はない。


(こういう時に限って航生もどっか行ったみたいだし…それに朱音もさっきからいないんだよな。先に帰ってたものだと思ってたんだが…どこ行ったんだ?)


 堂々巡りに陥りかけていた思考に意識が割かれていたが、いつまでもそこにばかり注意していても頭は休まらないので一度別のことを考えることとした。

 とはいっても思考の方向がわずかに変わっただけで根本は何も変化せず、意識を向けたのはこの場に姿が見えない友人のこと。


 何か飲み物を買いに行くと言って教室を出て行ってしまった航生はともかくとして、今の彰人の混乱を招いた張本人でもある朱音の姿も確認できないのでそこも不思議に思っていたのだ。

 てっきり早々に去っていった様子から先に教室へ戻っているものだとばかり思いこんでいたのだが、その予想は違ったのだろうか?


 試しにと彰人も教室を少し出て廊下を見渡してみたが彼女の姿どころか気配も感じられなかったため、おそらくはかなり遠くに行ってしまったのだと思われる。

 …あんな気になることを言っておきながら放置でもされるような状況下におかれると、色々といらぬことを考えてしまうものだと身をもって実感させられた気分である。


(…結局、何だったんだろうな。さっきの言葉は…)


 ただ時間が経つにつれて彰人の頭も冷えてきたのか…次第に冷静さを取り戻しつつあった。

 無論、まだ完全に平静になったわけではないが…それでも先ほどまでと比べれば格段に落ち着いた考えが出来るようになっている。


 そうして落ち着きを取り戻していけば、先の朱音が口にした思わせぶりな言葉も何かの聞き間違いだったのではと思うようになってきた。

 もちろん、あの時にしたやり取りはばっちり記憶に残しているのでそんなわけもないが余韻に振り回されすぎたのかもしれない。


(…『勇気を出せる』、か。でもあと三十分もすれば昼休みも終わりだっていうのに、朱音もいないようじゃ時間が過ぎるだけで………っ!)


 …だがその瞬間、状況は一気に変化した。


 思考に耽りながら彰人が一人での時間を満喫していた最中に…複数人の団体と共に()()が現れたからだ。


「疲れたよねぇー……でも、間宮さんは意外と平気そうな感じ?」

「んー…? そんなこともないよ? ただ私はそんなに動いてないから、そう見えるだけじゃないかな…?」

「朱音ちゃんは運動苦手だもんね。まっ、そういうところも可愛いんだけど!」


 それまで教室に姿を見せていなかった同級生の女子数人と共にやってきたのは今しがた思いを馳せていた朱音であり、近くには優奈の姿もある。

 珍しく優奈との二人きりではなく、他の女子も交えて歩いてきた様子が物珍しくもあったので周囲の目を引くが…やはりどこに行っても注目を集めるのが朱音だ。


 彼女がここにやってくると途端にクラス内の目が朱音へと向けられ、周囲の意識を否応なしに引き寄せていく。

 朱音自身はそれを気にした様子もなく、もう慣れ切ったように近くにいた女子との会話を繰り広げていたが…その見た目はどこからどう見ても自然体だ。



 …そう、自然体なのだ。

 さっき見せていた蕩けた感情など微塵も浮かべておらず、微かに滲ませた眠たげな雰囲気は普段の朱音そのもの。


 教室へと入ってきた瞬間に彰人の方向を一瞬だけチラリと見ていたものの…違ったことがあるとすればその程度のもので、それ以外はおかしな違和感一つない。


(…やっぱり、あの時のことは何でもなかったってことか。まぁそれはそうだよな…)


 数分前までの出来事を思い返してドギマギしていた彰人とは全く異なり、まるでそのようなことがあったことすら忘れたとでも言うように振る舞う彼女の姿を見れば何かが起こるなんて到底考えられない。

 結局、今までのことは彰人の勝手な解釈によって盛り上げられた妄想だったということだろう。


 それに対して残念でなかったと言えば…嘘になってしまう。

 だが仕方ない。こうなったら意識を切り替えるしかないのだ。


 そう考え、彰人もいつまでも引きずられているのではなく休息に集中しようと思ったところで…昼食に移行したらしい向こうの様子も意図せず耳に入ってきた。


「——でもさー、やっぱり男子の見せ所と言ったらバスケでしょ! 結構見せ場多かったもんねー!」

「えー、そう? …私としては三組の山本とか良かったと思うけど? 格好良かったじゃん!」


 どうやらあちらで繰り広げられている話題というのは今日行われた球技全般にまつわることだったようで、かなり白熱している感じだ。

 内容にしても女子が集まればそうなるのはもはや自然の摂理だが…どの男子が一番格好良かったかという話に流れが寄ってきていた。


 そこに参加している朱音は何かを言うわけでもなく、ただ薄く微笑みながら自分の昼食を取っているようだったが…声量にしても相応に大きな声で喋っているので心なしか彰人以外のクラスメイトもあのグループの話に耳を傾けているように思える。

 まぁそれも無理はない。


 この年頃の高校生ともなれば同級生の恋愛沙汰…今回はそういった方面だとも限らないが、そこは彼らにとって重要ではないのだろう。

 クラスの面々も誰が誰に好意を抱いているらしい、なんて噂でも聞ければそれで満足なのだろうから。


「でもやっぱさー…一番気になるのは間宮さんでしょ! 誰か気になる人とかいないのー?」

「あ、それ私も気になる! 意外と気になってる人とかいそうだよね!」

「え…私?」

「…ちょっとちょっと! どさくさに紛れて朱音ちゃんに変なこと聞かないでよ!」


 そうすればクラスに蔓延していた空気を鋭敏に察知でもされたのか、自然と話題はそちらの方向に偏ってきたようだ。

 内容的に彰人にとっても非常に気になるものへと移り変わってきてしまったが…まぁだからと言って朱音も妙なことを言うなんてことは無いはずだ。


 優奈もそこについてはガードをしっかり硬くしてくれているようなので、ひとまずは安心である。


 ——が、そんな一時の安心など現実は容易く上回ってくる。


「えーいいじゃん! そうだなぁ……あっ、ほら黒峰とかどうなの? いつも一緒にいるじゃん!」

「あ、確かにそこは気になるねー。…実際のところどうなの? 実は好きだったり!?」

「こら、あんたたち調子の乗りすぎ! そんなこと聞いて、ここで答えられるわけないでしょーが!」

「そんなこと言わないでよー…ほらほら、ぶっちゃけどんな感じ? まさか仲良いだけってこともなさそうだよね!」


(……そんなこと聞かれてもって感じだな。まぁ向こうも本気で聞き出そうとしてるわけじゃないだろうし、朱音も適当に流すだろ)


 遠巻きに眺めながら自分も話題に取り上げられているらしいことは察したが、だからどうしたという感じだ。

 既に彰人と朱音の距離感の近さは周知の事実であるし、これまでにも似たような質問をされることだって無かったわけではない。


 その度に自分たちは何かがあるわけでもない。単なる友人同士だと弁明してきたのだ。

 だから今回も朱音はそのように対応するだろうと推測して呆れも交えた息を吐き…ふと、彼女の方に目が向いた。


 常に自分の隣にいてくれた少女は何も変わらない。いつもと同じ出で立ちでそこに座っている。

 …だというのに、不意に向けた彰人の視界に映った朱音は気のせいか……まるで悪戯を仕掛けようとする子供のような、前にも何度か見たことがある小悪魔めいた雰囲気と共に口角を上げていた。


 どうしてそんな表情を浮かべるのか……意味は分からない。


 …それでも、その表情が意味するものがとてつもなく大きなものなのだろうという根拠のない予感と…そして、理由は分からないが彰人の胸中に広がる言いようもない胸騒ぎ。

 止めようもない朱音の言葉を前にして、その二つを実感している彰人をほんのわずかに見つめた朱音は…()()()()を紡いだ。



「———うん。好きだよ」



(……え?)


 ——その瞬間だけ、本当に一瞬だけ、教室から音は消えたと錯覚した。


 それほどまでに、誰もが度肝を抜かされたに違いない彼女の言葉は…しかし数秒後。

 ようやく理解に頭が追い付いたらしい女子の一部から、黄色い悲鳴が上げられるのを彰人は遠くなった耳で自覚していた。


 …それに伴って騒がしさを取り戻していった教室は数秒前までの談笑による盛り上がりなど比にもならない、衝撃的過ぎる言葉を放った朱音と当事者となった彰人へと視線は集中されていった。


 唐突に繰り出された朱音の告白と同義だとすら言える一言は…されど、何てこともないように微笑む彼女の笑みを見れば冗談ではないことくらい理解できる。



 ——どうしてこのタイミングでそれを口にしてきたのかとか、朱音は自分のことを好意的に思っていたのかだとか、言いたいことは山のようにある。


 だが、ただ一つ分かることは彼女が間違いなく勇気を出して歩み寄ってこようとしてきたのだということ。

 もう現状の関係には甘えていられないと、そう覚悟を決めて一歩を踏み出そうとしてきたこと。


 …それを認識してしまえば、彰人も驚愕真っ只中にはあっても立ち止まってばかりではいられない。


 朱音は少なくない勇気を振り絞って伝えてきてくれたのだ。

 だったら彰人はその覚悟を…無駄にするようなことはしたくない。


 彼女にきっかけを作らせてしまったことは申し訳ないが、ここまで言わせて恥をかかせるような真似などさせない。


 だから今度は…こちらが足を進める番なのだろう。


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